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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第84話 宮殿の地下室

 エルザとベアトリクスが中庭で木剣を振るっている頃、アビゲイルはレオンと共に宮殿の廊下を歩いていた。

 宮殿は静かだった。レオンが退位を宣言してから、兵士たちの数は目に見えて減っている。残っているのは、レオン個人に忠誠を誓う者たちだけだ。広い廊下に、二人の足音だけが響いている。磨かれた石の床に、窓から差し込む午後の光が帯を作っていた。

 アビゲイルはずっと考えていた。ケネロットの迷宮で見た、あの魔術式のことを。旅の間、ずっと胸の奥に引っかかっていた。見覚えのある筆跡。見覚えのある術式の構成。考えれば考えるほど、一つの名前に行き着いてしまう。だから、確かめなければならなかった。


「レオン。あなたに話しておきたいことがあるの」


 アビゲイルの声は落ち着いていたが、いつもの軽やかさがなかった。レオンは無言で歩きながら、視線だけをアビゲイルに向けた。


「テオドル王国のケネロットにある村で、ゴブリンによる被害が起きていたの。わたくしたちがドラコと旅をしていた時に、立ち寄った場所よ」


 レオンは頷いた。先を促すように。


「ゴブリンたちは吸血鬼になっていたわ。紅い瞳に、人の肉を喰らう化け物になっていた。そして、迷宮の奥には召喚の魔術式が描かれていて、そこから無限にゴブリンが召喚されていたの。自動発動型の永続召喚。召喚と同時に吸血症を付与する術式まで組み込まれていた。倒しても倒しても、次から次に湧いてくる。あの魔術式がある限り、被害は止まらない仕組みだった」

「二重の術式を一つに統合する技術か。それほどの規模なら、熟練の魔術師でなければ描けない」

「ええ。わたくしがその魔術式を止めたわ。でも、問題はそこじゃない」


 アビゲイルは足を止めた。レオンも立ち止まった。窓から差し込む光が、アビゲイルの小さな体に影を落としている。


「魔術式に記されていた古代語の文字。その筆跡が、ずっと気になっていたの。あの時は確信が持てなくて、誰にも言えなかった。でも、何度思い返しても、あの筆跡はマリーのものにとても似ていたの」


 レオンの表情が変わった。僅かに、だが確かに。鋭い目が、さらに鋭くなった。


「マリーが、ゴブリンを召喚していたと言いたいのか」

「断定はできない。でも、筆跡の癖は人を裏切らないわ。魔術式に使われていた術式の構成も、マリーの得意とする方法に酷似していた。わたくしは、あの子の魔術をよく知っている。何度も一緒に研究をした。だからこそ、気づいてしまった」


 アビゲイルの声に苦みが混じっていた。マリアムとは、かつて敵対していた。魔王ドラコの側と、勇者レオンの側。だが戦いが終わり、魔術師同士として意気投合した。互いの研究を分かち合い、夜通し魔術について語り合った仲だ。あの子がそんなことをするはずがない。そう信じたかった。だが、魔術式の筆跡は嘘をつかない。

 レオンは窓の外に目を向けた。ターリンガの街並みが、午後の光に照らされている。


「マリーの様子がおかしかったのは、オレも気づいていた」


 レオンの声は低かった。窓枠に手をかけ、外を見つめている。


「最近、書庫に閉じこもることが増えていた。それだけならいつものことだが、地下室にも頻繁に出入りしていた。何をしているのか問うても、秘密としか答えなかった。目の下の隈がいつも以上に深くなっていて、食事もろくに取っていない様子だった」

「地下室?」

「宮殿の地下にある部屋だ。元は物資の保管庫だった。マリーの行動が気になって、オレ自身が確認したが、何もなかった。空の部屋だ。魔術灯の台座が一つあるだけで、他には何も」


 アビゲイルの目が鋭くなった。何もない部屋に、魔術師が頻繁に出入りしていた。それは不自然だ。何もないのではない。何もないように見せていたのだ。


「その地下室に案内して。今すぐに」


 レオンは頷いた。二人は廊下を引き返し、宮殿の奥へと向かった。人気のない廊下を抜け、使用人用の通路を通り、宮殿の裏手に回る。普段は誰も立ち入らない区画だ。壁の装飾も簡素になり、宮殿というよりも倉庫のような造りに変わっていった。



 地下への階段は薄暗かった。壁に掛けられた魔術灯が弱い光を放っている。石造りの階段を下りるたびに、空気が冷たくなっていく。湿った石の匂いが鼻を突いた。宮殿の華やかさとは無縁の、陰鬱な空間だった。

 アビゲイルは黙って階段を下りた。一段、一段。足音が石の壁に反響する。胸の中で、嫌な予感が膨らんでいく。何もないことを祈っていた。マリアムが無関係であってほしいと、心の底から願っていた。

 階段を下り切ると、重い鉄の扉があった。レオンが扉を開けた。軋んだ音が地下に響く。

 中に入ると、レオンの言った通りだった。何もない、石の壁と石の床。天井も石だ。部屋の隅に魔術灯の台座が一つあるだけ。埃すら少ない。誰かが定期的に出入りしていた証拠だ。部屋はそれなりに広い。保管庫として使われていた頃は、相当な量の物資が収められていたのだろう。

 アビゲイルは部屋の中央に立ち、ゆっくりと周囲を見回した。そして目を閉じ、魔力を感じ取ろうとする。微かに、何かがある。空気の中に、魔力の残滓ざんしが漂っている。薄いが、確かにある。普通の人間には感じ取れないほどの微弱な魔力だ。だが、何百年と魔術に触れてきたアビゲイルの感覚は、それを見逃さなかった。


「やっぱり。何かが隠されているわ。この部屋全体に隠匿の魔術が施されている」


 アビゲイルは目を開けた。紅い瞳が、地下室全体を見据えた。隠匿の魔術式は、火や衝撃などの外的な力を加えると構造が乱れ、姿を現す。


「レオン。少し下がって」


 レオンが壁際まで退いた。アビゲイルは魔杖を構え、深く息を吸った。杖先の宝珠が、赤い光を帯び始める。

 次の瞬間、宝珠から炎が噴き出した。氷結術を得意とするアビゲイルだが、ありとあらゆる魔術を会得している。火炎の魔術が、地下室全体を包んだ。石の壁が赤く染まり、床が焼けるような熱気が部屋を満たした。

 だが、アビゲイルは壁も床も壊す気はなかった。目的は別にある。

 炎が収まると、地下室の景色が一変していた。

 床に、巨大な魔術式が浮かび上がっていたのだ。

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