第79話 新たな冒険
「ドラコの日記に書いてあったの。旅の途中で、ゴブリンの集団が村を襲っていたって。しかも、そのゴブリンたちは吸血鬼になっていた。誰かが魔術式を使って、ゴブリンを無限に召喚していたって」
傭兵たちの間にざわめきが走った。ゴブリンが吸血鬼に。人為的な召喚。それは明らかに、財団の仕業だ。
「ドラコたちが魔術式を止めたから、その場の被害は収まった。でも、同じことが他の地域でも起きている可能性がある。財団がゴブリンを使って各地の村を襲っているなら、放っておけない。村の人たちが苦しんでいるかもしれない」
ライカの目が鋭くなった。普段の穏やかさの奥に、総帥としての決断力が覗いている。
「みんなにお願いがあるの。二人一組で各地域の村を回って、ゴブリンによる被害がないか調べてほしい。被害がある場合は、ゴブリンたちがどこから現れているのかも調査して。魔術式が見つかったら、すぐに壊して。そして、被害に遭った村の人たちを助けてあげて」
傭兵たちが頷いた。ライカの言葉は命令ではなく、お願いだった。それでも全員が従うのは、この女性を信頼しているからだ。
リューネットがメガネの奥から、ライカを見つめた。
「ライカ殿ご自身は、どうされるのですか」
ライカは少し間を置いた。朝日がライカの白い髪を照らし、瑠璃色の瞳に光を映している。
「わたしは、ヴェンツェル王国の首都イルドブルに向かうつもり」
ラミーナが目を見開いた。
「イルドブルですか? エルザ王女の故郷の」
「うん。ドラコの日記に書いてあったの。ドラコは一五年間、イルドブルの宮殿で眠っていた。エルザ王女を守るために。その宮殿に、財団に繋がる手がかりがあるかもしれない」
ライカは手帳をポケットの上から押さえた。ドラコの文字が、指先の向こうにある。
「財団は最初から、エルザ王女を狙っていた。ダンピールの血を手に入れるために。でも、なぜ財団がダンピールの存在を知っていたのか。エルザ王女がダンピールだということは、ごく一部の者しか知らないはず。ドラコの日記にも書いてあった。エルザ王女自身ですら、自分がダンピールだと知らなかったって」
ライカは傭兵たちを見渡した。
「情報の出所を辿れば、財団の正体が掴めるかもしれない。イルドブルの宮殿には、エルザ王女の父であるギルバート王の記録が残っているはず。そこに手がかりがあるかもしれないの」
リューネットが頷いた。
「なるほど。情報を漏らした者がおり、それが誰なのか分かれば、財団との接点が見える。理に適っています」
「でも、ライカ様。イルドブルは今、財団の勢力圏に近いのでは。エルザ王女が国を離れている。国の守りが手薄な今、財団が入り込んでいてもおかしくありません。危険です」
ラミーナの声に、僅かな不安が混じっていた。ライカは微笑んだ。
「大丈夫。わたしは総帥だよ、ラミー。それに」
ライカは右手を見つめた。人狼化の力が宿る手。ドラコの体であり、自分の体でもある。
「ドラコがこの体を守ってくれている。わたしも、この体でできることをするだけ。ドラコが残した手がかりを、わたしが辿る。夫婦ってそういうものでしょ」
ラミーナは何か言いかけたが、口を閉じた。ライカの決意は変わらない。それは分かっている。ならば。
「わたしもお供します、ライカ様」
ラミーナが一歩前に出た。
「ラミーには調査班のまとめ役を」
「兄弟たちは自分で判断して動けます。それよりも、ライカ様の傍にいることの方が大事です」
リューネットも一歩前に出た。
「わたしも同行します。わたしの魔術は偵察や隠密行動に向いています。イルドブルの宮殿に忍び込むなら、わたしがいた方が確実です」
二人の目は真剣だった。ライカは二人の顔を見て、小さく笑った。
「……二人とも、頑固なところは変わらないね」
ラミーナが胸を張った。
「ライカ様に拾われて、憧れて同胞団に入ったんです。総帥が一人で危険な場所に行くのを、黙って見ていられるわけがありません」
ライカは観念したように頷いた。
「分かった。三人で行こう」
ライカは笑った。ドラコに似た。屈託のない笑みだった。同じ体、同じ顔。だが笑い方は少し違う。ドラコの笑みは飄々としている。ライカの笑みは、もう少し柔らかい。
残りの傭兵たちに向き直り、ライカは言った。
「みんなは調査をお願いね、何かあれば、互いに連絡を取り合って。わたしたちがイルドブルから戻るまで、くれぐれも気をつけて」
傭兵たちが頷き、敬礼した。
ライカは懐から手帳を取り出し、最後のページを開いた。ドラコの文字の下に、自分の文字を書き始めた。ライカの筆跡はドラコよりも丁寧で、少し丸みがある。同じペンを使っていても、書く人が違えば文字も変わる。
日記を読んだこと。泣いていないこと。エルザ王女たちに早く会いたいこと。これからイルドブルに向かうこと。財団の正体を必ず突き止めること。短い文章だったが、一文字一文字に想いを込めた。
ペンを止め、手帳を閉じた。
目元が、また少し赤くなっていた。だが、涙は流さなかった。
この体の中で、ドラコが眠っている。次の満月まで、目覚めない。声も出さない。でも、手帳がある。文字がある。それだけで、十分だ。何百年もそうしてきた。これからも、そうしていく。
ライカは帽子の鍔に手を添えた。ドラコと同じ帽子。同じ体、同じ顔。だが、二人は違う存在だ。それでいい。それが、二人の生き方だ。
「出発するよ。準備は、できてる?」
リューネットが頷いた。ラミーナが腰の刀を叩いて笑った。
ライカの装備は身軽だった。狙撃銃の照準器を丁寧に拭い、両腰の拳銃と短剣の鞘も確認した。帽子を深くかぶり直し、瑠璃色の瞳が鍔の下から前を見据えた。
傭兵たちが、それぞれの方向へ動き始めた。
ライカは北東の空を見た。その先に、ヴェンツェル王国がある。ドラコが一五年間眠っていた場所。エルザ王女が生まれ育った場所。エルザの父ギルバート王は、娘がダンピールであることを知っていた数少ない人物だ。その王が残した記録の中に、財団に繋がる何かがあるかもしれない。
白い髪が風に靡いた。瑠璃色の瞳が、遠い空を映している。
ドラコが守ろうとした人たち。ドラコが追いかけた真実。その全てを、今度はライカが受け継ぐ。
ライカ、ラミーナ、リューネット。三人は北東へ歩き出した。新たな冒険が、始まった。




