第78話 同胞団の総帥
朝日がアセンブリーの街に差していた。
戦いの爪痕は至るところに残っていた。通りには崩れた壁の破片が散らばり、血の匂いが風に混じっている。ヴェアヴォルフ同胞団の拠点だった建物は半壊し、周囲には焼け焦げた財団兵の残骸が転がっていた。
だが、朝の光の中で、生き残った者たちは動き始めていた。
拠点の裏手にある広場に、十数人の傭兵たちが集まっている。昨夜の戦闘を生き延びた者たちだ。足を引きずっている者。それでも、全員が立っていた。ヴェアヴォルフ同胞団の傭兵は、座り込むことを知らない。仲間を失った悲しみは胸の奥に仕舞い込み、今やるべきことに目を向ける。それが、この同胞団の流儀だった。
その輪の中心に、一人の女が立っていた。
白い髪。瑠璃色の瞳。透き通った女性の声。ドラコと同じ帽子をかぶっているが、纏う空気が違っていた。ドラコの飄々とした気配はなく、代わりに穏やかだが芯の通った佇まいがある。帽子の鍔の下から覗く瑠璃色の瞳が、朝日を映していた。
ライカ。ヴェアヴォルフ同胞団の総帥。
その手には、一冊の手帳が握られていた。ドラコの日記だ。
ライカは数時間前に人狼化から戻り、すぐにこの手帳を開いた。一ページ目から最後まで、一字も飛ばさずに読んだ。ドラコの文字は相変わらず少し癖があって、時折読みにくい。だが、一文字一文字に込められた想いは、はっきりと伝わった。
エルザのこと。ベアトリクスのこと。フローレンスのこと。アビゲイルのこと。五人での旅。ゴブリンとの戦い。リファランでのポーラーとの出会い。フローレンスとの別れ。汽車の屋根の上でのウィンガルとの戦い。ルイーザの話。ロードの力。そして、三人をターリンガへ逃がすために自ら殿を買って出るかもしれないこと。
日記は丁寧に書かれていた。ドラコはライカが読むことを前提に書いている。出来事だけではなく、その時に何を感じたかも書いてある。エルザの真っ直ぐさに感心したこと。ベアトリクスの健気さに胸を打たれたこと。フローレンスのエルフの村での医術が見事だったこと。アビゲイルの魔術に何度も救われ安堵したこと。
日記の最後のページには、ライカに後を任せたいということが記されていた。エルザやベアトリクスのことを「かわいい」「いい子だ」と褒めていて、面倒を見てやってくれと書いてある。最後に、日記に涙の跡をつけるなとページがふやけるからと、余計な一言が添えてあった。
ライカは手帳を閉じた。
目元が少し赤い。だが、泣いてはいなかった。涙の跡はつけないと言われたのだ。守らなければ。
最後の一行で、思わず笑ってしまった。こういうところがドラコだ。真剣な話をしているのに、最後に余計な一言を添える。それが、ドラコの優しさだ。ライカが泣かないように、わざと軽口を書いたのだろう。分かっている。何百年も一緒にいるのだ。文字の向こうにいるあの人の顔が、手に取るように見える。
ラミーナが傍に立っていた。腰の刀に手を添えて、ライカの横に控えている。
「ライカ様。日記は読み終わりましたか」
「うん。全部読んだ」
ライカの声は柔らかかった。ドラコの低い声とは対照的な、透き通った女性の声だ。だが、言葉の端に宿る温かさは、ドラコに似ていた。
ライカはラミーナの顔をじっと見つめた。それから、小さく目を細めた。
「ラミー。いい女になったね」
ラミーナが目を丸くし、それから思わず吹き出した。
「ドラコちゃんにも同じこと言われました。やっぱり夫婦ですね、ライカ様」
「あら、そう? 一五年ぶりだよ。最後に会った時は、まだ一二歳の女の子だったのに」
ライカの瞳に、感慨が滲んでいた。ライカもラミーナやリューネットに会うのは一五年ぶりだ。ドラコは目覚めてからの短い旅の中で再会を果たしたが、ライカにとっては今この瞬間が再会だった。
「ドラコが何をしていたのか、全部分かった。大変だったんだね、みんな」
ラミーナは頷いた。
「ドラコちゃんは相変わらず無茶をしますね。一人で財団の軍勢を相手にするなんて」
「そういうところは昔から変わらないね。自分のことは後回しにして、周りを守ることばかり考える」
ライカは苦笑した。愛する夫の悪い癖だ。だが、その性格に惚れたのだから、文句は言えない。
リューネットが広場の端から歩いてきた。手に数枚の紙を持っている。被害状況の報告だ。ライカはリューネットの姿を見て、また目を細めた。
「リューネも、大人になったね。メガネは相変わらずだけど」
リューネットは一瞬だけ表情を崩しかけたが、すぐにいつもの冷静な顔に戻った。
「お久しぶりです、ライカ殿。一五年ぶりですね」
「うん。日記で読んでいたから、知らない間に大きくなった気はしないんだけど。実際に見ると、やっぱり違うね」
ライカは二人の顔を交互に見つめた。一五年前、まだ子供だった二人が、今は同胞団を支える傭兵になっている。ドラコの日記で成長は知っていた。だが、文字の向こうにいた二人が今、目の前にいる。それだけで胸が温かくなった。
リューネットがメガネを押し上げ、紙に目を落とした。
「被害状況をまとめました。昨夜の戦闘で、同胞団の傭兵は三〇名以上が戦死。負傷者は多数。拠点の施設も半壊しています。生き残った戦闘可能な者は、ここにいる一四名のみ」
厳しい数字だった。一〇〇名以上いた傭兵が、一晩で一四名にまで減った。ラミーナの表情が僅かに曇った。だが、ライカの顔には動揺はなかった。悲しみは、ある。仲間を失った痛みは、今も胸の奥で疼いている。だが、今は泣く時ではない。生き残った者たちのために、やるべきことがある。
「みんな、よく戦ってくれたね。生き残ってくれて、ありがとう」
傭兵たちがライカを見た。総帥の瑠璃色の瞳は穏やかだった。ドラコの紅い目とは違う色。だが、そこに宿る光は同じだった。仲間を想う光だ。傭兵たちの顔に、僅かに安堵が広がった。総帥が帰ってきた。この人がいれば、大丈夫だ。そう思わせる何かが、ライカにはあった。
リューネットが続けた。
「今後の方針について確認したいのですが、ドラコ殿がエルザ王女たちをターリンガに送ったとのこと。わたしたちもターリンガに向かい、合流した方がいいと思います。ここに留まっても、次の襲撃に耐えられる戦力はありませんし」
合理的な判断だった。リューネットらしい冷静な分析だ。ラミーナも頷いている。
だが、ライカは首を横に振った。
「わたしも、エルザ王女たちとすぐに会いたいところだけど……合流する前に、やることがあるの」
ラミーナとリューネットが顔を見合わせた。ライカは手帳をポケットにしまい、傭兵たちの方を向いた。




