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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第77話 勇者レオン

 金属の音が響いた。

 重い、鉄の音。甲冑の留め具が外れる音だった。

 全員の視線が、レオンに向いた。

 レオンが、白い甲冑を外し始めていた。

 まず、兜のフェイスプレートが外された。次に、兜そのものが。黒い髪が零れ落ちた。

 そこに現れた顔に、謁見の間にいた全員が息を呑んだ。

 若い顔だった。青年どころか、まだ少年と呼んでもおかしくない。

 黒色の短い髪。端正な顔立ち。鋭いが澄んだ目をしている。どう見ても一〇代の後半にしか見えない。かつて魔王を討伐し、一五年以上帝国を統治してきた皇帝の顔とは思えない、あまりに若い顔だった。

 兵士たちが動揺した。皇帝の素顔を見たことがある者は、この場にほとんどいなかった。常に白い甲冑と兜に身を包み、素顔を晒さない。それがレオン皇帝だった。あの甲冑の下にいたのが、自分たちよりも遥かに若い少年だったとは。動揺を超えて、困惑が広がった。


「陛、下……?」


 兵士の一人が呟いた。信じられないという目だった。

 レオンは胸の甲冑を外し、腕の甲冑を外し、一つ一つを玉座の横に置いていった。白い鎧が脱がれるたびに、その下から質素な黒い衣服が現れた。

 甲冑の中にいた巨躯は消え、そこに立っていたのは意外なほど普通の体格の少年だった。あの甲冑がいかに大きかったかが分かる。だが、鎧がなくとも、この少年から発せられる気配は常人のそれではなかった。静かに立っているだけで、空気の密度が変わる。これが、かつて魔王を倒した男の存在感だった。

 兵士たちは言葉を失っていた。皇帝の素顔。あまりに若い。一五年以上帝国を統治してきた人間が、一〇代の少年にしか見えない。その事実に、誰もが呆然としていた。


「セクレタリア帝国皇帝を、本日限りで退位する」


 レオンの声が、謁見の間に響いた。静かだが、壁の隅々にまで届く声だった。兵士たちが凍りついた。


「陛下、何をおっしゃって」

「お待ちください! 帝国は陛下なくしては」

「皇帝が吸血鬼との協力を命じても従えないのなら、オレが皇帝である意味はない」


 レオンの目が、ベアトリクスに剣を振るった兵士を見た。感情の読めない目だった。怒りではない。失望でもない。ただ、静かに見ていた。それが何より恐ろしかった。


「あの少女は、お前に斬られても反撃しなかった。味方だと証明するために、自ら血を流した。その覚悟を、お前たちは見てなお信じないのか」


 兵士たちが黙り込んだ。レオンの言葉は短いが、反論の余地がなかった。


「オレは皇帝として命じるのではなく、一人の人間として行動する」


 レオンはエルザの前に歩み出た。甲冑のない姿は、兵士たちが見たことのない皇帝の姿だった。黒い髪が風に揺れ、鋭い目がエルザを見下ろしている。


「エルザ王女。オレは皇帝レオンではなく、勇者レオンとしてお前たちと行動する。それでいいか」


 エルザは目を見開いた。皇帝の座を捨ててまで、自分たちと共に戦うと言っている。

 言葉が出なかった。だが、エルザは深く頭を下げた。


「はい。よろしくお願いいたします」


 レオンは頷いた。それだけだった。振り返り、兵士たちを見渡した。


「帝国の指揮は副官に任せる。ついてくる者は来い。来ない者は残れ。強制はしない」


 兵士たちは顔を見合わせた。動揺が広がっている。だが、ベアトリクスに剣を振るった兵士は、顔を背けたままだった。他の兵士たちもそうだ。膝をついた者はごく一部で、ほとんどの兵士が目を逸らしている。受け入れられない。頭では分かっていても、感情がついていかない。そういう顔だった。

 だが、レオンはそれ以上何も言わなかった。強制はしないとは言った。その言葉通り、兵士たちの判断に任せている。信頼は、言葉ではなく行動で勝ち取るものだ。それはベアトリクスが身をもって示した。時間がかかるかもしれない。だが、いつか届く日が来る。ベアトリクスはそう信じていた。

 ベアトリクスは立ち上がり、肩の傷を手で押さえた。血は既に止まりかけている。吸血鬼の回復力だ。兵士たちの方を見た。ほとんどが目を逸らしている。それでも、ベアトリクスは小さく頭を上げた。


「いつか、信じていただける日が来ると思っています」


 誰も答えなかった。だが、頬に傷のある兵士の拳が、僅かに震えていた。

 謁見の間に、重い沈黙が漂っていた。

 エルザはベアトリクスの傍に駆け寄り、肩の傷を確認した。出血はあるが、骨には達していない。メイド服が赤く染まっているが、ベアトリクスは平気な顔をしていた。


「姫様。大丈夫です。少し切れただけですから」

「ベアト……ありがとう」


 エルザがベアトリクスの手を握った。この少女は、信頼を得るために自ら血を流した。それがベアトリクスの戦い方だった。剣ではなく、覚悟で。メイドとしてではなく、一人の生きる者として、仲間であることを証明してみせた。

 レオンは窓の方に歩いた。ターリンガの街並みを見下ろしている。甲冑のない背中は、皇帝のそれではなかった。ただの一人の少年の背中だった。だが、その背中には一五年分の重みが刻まれていた。甲冑を脱いだことで、むしろその重みが際立って見えた。

 エルザはレオンの横顔を見つめた。この人がかつて、ドラコと戦ったものだ。魔王を倒した勇者。だが、今のレオンからは英雄の威厳よりも、静かな決意が感じられた。皇帝の座を捨て、甲冑を脱ぎ、一人の人間として立つことを選んだ男。その選択の重さを、エルザは噛み締めていた。

 アビゲイルはレオンの方を見ていた。レオンの素顔。あの頃と変わらない。時が止まったかのように、同じ顔をしている。勇者レオン。かつて敵だった男が、今は味方になった。ドラコもきっと笑うだろう。因縁とは不思議なものだ。

 レオンが振り返り、アビゲイルの方を見た。


「アビゲイル。お前は、変わらないな」


 短い言葉だった。だが、その一言に、アビゲイルは小さく笑った。


「レオンこそ。相変わらず寡黙ね」


 レオンは何も答えなかった。だが、口元が僅かに緩んだように見えた。一五年以上前、この男とは敵同士だった。今は、同じ敵に向かって共に立とうとしている。世界は変わる。人も変わる。だが、この男の目だけは変わっていなかった。

 窓の外で、ターリンガの街に夕暮れの光が差していた。

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