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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第73話 三体の人狼

 その時だった。

 二つの影が、人狼の横に並んだ。

 一つは黒い体毛の狼。人狼と同じ姿だが、やや小柄だった。引き締まった体躯に鋭い眼光。黒い毛並みが月光を受けて艶やかに光っている。鉤爪が食屍鬼を一撃で両断した。

 ラミーナだった。

 もう一つは茶褐色の体毛の狼。他の二体よりさらに小柄だったが、その口元から漏れる唸り声には、確かな威圧があった。前足の鉤爪が空を切り、吸血鬼の胸を貫いた。

 リューネットだった。

 人狼化。ヴェアヴォルフ同胞団の名の由来である力。ラミーナとリューネットもまた、人狼の力を持っていた。

 ラミーナの変身は迷いなく一瞬だった。対してリューネットは一瞬だけ顔を歪めた。体が痛むのだ。それでも歯を食いしばり、変身を完了させた。仲間が死んだ。この程度の痛みで尻込みしている場合ではなかった。

 三体の人狼が、月の下に並んだ。

 三つの影が、食屍鬼と吸血鬼の大軍に向かって突進した。

 ラミーナの黒い人狼は獰猛どうもうだった。刀を使わずとも、その鉤爪は刃と同等以上の切れ味を持っていた。食屍鬼を次々と引き裂き、吸血鬼に食らいつく。人間の姿で見せた剣技が、獣の姿でも活きている。斬撃のように鋭い鉤爪が、敵を一体ずつ確実に仕留めていった。仲間を殺された怒りが、一撃一撃に込められていた。

 リューネットの茶褐色の人狼は、人狼の姿でも魔術を使った。喉から低い音を発するたびに衝撃波が広がり、周囲の食屍鬼を吹き飛ばす。精神術を応用した攻撃だ。人狼化しても魔術師であることは変わらない。力任せの戦いではなく、魔術と獣の力を組み合わせた戦術で、効率よく敵を殲滅していく。

 戦況が一気に傾いた。

 一体の人狼でさえ手に余っていた財団の軍勢が、三体を同時に相手にできるはずがなかった。銀色の人狼が正面から突進し、黒い人狼が側面を食い破り、茶褐色の人狼が魔術で退路を塞ぐ。完璧な連携だった。言葉を交わすことなく、三体は呼吸を合わせていた。

 銀色の人狼が吸血鬼の指揮官に飛びかかり、その首を一噛みで断ち切った。指揮系統を失った軍勢は、あっという間に瓦解した。統率を失った食屍鬼たちは散り散りになり、吸血鬼たちは我先にと夜の闇に逃げ込んでいく。黒い人狼と茶褐色の人狼が、逃げ遅れた敵を追い詰め、一体残らず仕留めていった。

 やがて、戦場に静寂が訪れた。

 基地の周囲には、食屍鬼の残骸と吸血鬼の灰が散らばっていた。傭兵たちの亡骸もあった。三〇人近くいた精鋭のうち、生き残ったのは半数にも満たない。多くの仲間が命を落とした。だが、戦いは終わった。財団の軍勢は壊滅した。

 月が、静かに全てを照らしていた。

 生き残った傭兵たちが、物陰から出てきた。互いの顔を確認し、無事を確かめ合う。だが、足りない顔が多すぎた。名前を呼んでも、返事がない仲間がいた。一人の傭兵が膝をつき、倒れた仲間の手を握ったまま動かなくなっていた。


 銀色の人狼が、ゆっくりと姿を変え始めた。体毛が縮み、体が元の形に戻っていく。狼の顎が引き、人間の顔が現れた。白色の長い髪が肩に落ち、青白い肌が月明かりを受けて白く浮かび上がる。

 元の姿に戻ったその人物は、軍服の残骸をまとったまま、静かに立っていた。地面に落ちていた帽子を拾い、埃を払って被り直す。

 ラミーナとリューネットも人の姿に戻っていた。ラミーナは変身の反動で息が荒かったが、すぐに背筋を伸ばし、ライカの前に駆け寄って膝をついた。リューネットはメガネを拾い上げ、かけ直している。人狼化で歪んだフレームを指で整えながら、痛そうに肩を回していた。


「ライカ様。お怪我はありませんか」


 その呼びかけに、ベアトリクスやエルザが聞いていたら驚いたに違いない。ドラコではない。ライカ。ラミーナは、その名を当然のように呼んだ。

 帽子の下から覗く瞳は、紅色ではなかった。

 澄んだ青色だった。ドラコの紅い瞳とは全く違う、深い瑠璃るり色の瞳が、月明かりの下で静かに輝いている。


「大丈夫だよ」


 声が、違った。

 ドラコの低い男性的な声ではない。透き通るような、柔らかな女性の声。同じ口から、まるで別人の声が発せられていた。穏やかで、温かみのある声だった。

 見た目は変わらない。白色の長い髪。青白い肌。美しい女性の外見。だが、纏う空気が全く違っていた。ドラコの持つ飄々とした雰囲気は消え、代わりにどこか包み込むような柔らかさもあった。同じ体なのに、立ち方も、首の傾げ方も、微笑みの形も、何もかもが違う。まるで、全く別の人間がそこに立っているようだった。

 ライカは周囲を見回した。基地は半壊し、傭兵たちの亡骸があちこちに横たわっている。その光景を見て、ライカの瑠璃色の瞳がかげった。


「みんな、よく戦ってくれたね。ありがとう」


 その声は静かだったが、深い悲しみと感謝が滲んでいた。倒れた傭兵たちの一人一人に、ライカの目が向けられた。

 ラミーナは顔を伏せていた。仲間を失った悔しさが、拳を握り締める手に表れている。リューネットはメガネを外し、レンズを服の裾で拭いていた。目元が赤いのは、汚れのせいだけではなかった。


「ラミー。生き残った団員の手当てと、亡くなった兄弟たちの弔いをお願いね」


 ライカの声は穏やかだった。だが、その穏やかさの中に、指導者としての確かな意志があった。ヴェアヴォルフ同胞団の総帥。それがライカの本来の役割なのだ。


「はい、ライカ様」


 ラミーナが立ち上がり、生き残った傭兵たちに声をかけ始めた。リューネットも魔杖を手に、負傷者の治療に向かった。

 ライカは一人、月を見上げた。満月が、煌々と輝いている。ドラコが戦い、自分に体を明け渡した。誰かを逃がすために。何が起きたのか、まだ分からない。だが、ドラコが命を懸けて守ろうとした者たちがいたことだけは、この戦場の跡が物語っていた。

 胸元から一冊の手帳を取り出した。ドラコの日記だ。ここに、全てが書いてあるはずだ。何があったのか、誰と旅をしていたのか。後で読もう。ドラコが綴った言葉の一つ一つを、丁寧に。

 ライカは帽子の鍔に手を添え、小さく微笑んだ。


「あなたが守ろうとした人たちは、無事に逃げたよ。ドラコ」


 誰にも聞こえない声で、そう呟いた。

 東の空が、僅かに白み始めていた。長い夜が、ようやく明けようとしている。

 満月の光が、戦いの跡を静かに照らしていた。

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