第64話 ダンピール
ヴェアヴォルフ同胞団の基地は、アセンブリーの旧市街の外れにあった。
石造りの古い倉庫を改装した建物で、外観は何の変哲もない。看板もなければ紋章も掲げていない。だが中に入れば印象は一変した。壁には武器が整然と並び、棚には弾薬と薬品の木箱が積まれている。地下には訓練場と兵舎があり、地上階は会議室と食堂を兼ねていた。質素だが、機能的だった。目立たず、しかし即座に動ける。傭兵たちの拠点にふさわしい場所だった。
一行が基地に着いたのは、夜明け過ぎだった。
ラミーナが手配した部屋で、エルザとベアトリクスはようやく体を休めることができた。清潔な寝台と毛布。ヴェンツェル王国を出てから、まともな寝台で眠るのは久しぶりだった。エルザは横になった途端に意識を失うように眠り、ベアトリクスもその隣で深い眠りに落ちた。血に汚れたメイド服のまま眠るベアトリクスの寝顔を、アビゲイルが毛布をかけて見守った。
ドラコとアビゲイルは眠らなかった。二人はラミーナ、リューネットと共に、基地の会議室に集まっていた。
長いテーブルの上に、書類と地図が広げられている。各地の同胞団から届いた報告書。財団に関する調査結果。断片的ではあるが、輪郭が見え始めていた。
リューネットがメガネを押し上げ、報告を始めた。魔杖をテーブルの脇に立てかけ、書類を整然と並べる。几帳面な性格がそのまま仕事に表れていた。
「帝国の首都ターリンガからの連絡、各国からの情報、そして我々同胞団の独自調査から得た情報を総合しました。断片的ではありますが、財団の目的の輪郭が見えてきました」
リューネットは書類の一枚を指で示した。
「財団は『不老不死の軍隊』を作ろうとしています」
アビゲイルの目が細くなった。ドラコは帽子の鍔を指で弾き、黙って続きを促した。
「吸血鬼は不老不死と言われていますが、銀や魔術で殺すことが可能です。また、心臓を潰されても死にます。財団はそれを超えた、いかなる手段でも殺せない完全な不死の体を量産しようとしている。不老不死の兵士による軍隊。それが財団の最終目的と推測されます」
「量産。一人や二人じゃなく、軍隊規模でか」
ドラコが低く呟いた。リューネットは頷いた。
「はい。そして、その計画の核心となるのが……」
リューネットは一度言葉を切り、ドラコの目を見た。ドラコは帽子の鍔を下げ、小さく頷いた。知っている。分かっている。その先を言え、という目だった。
「エルザ・ヴェンツェル王女の血です」
会議室が静まった。ラミーナが腕を組んだまま、リューネットに視線を向けた。
「王女の血に、何か特別なものがあるのか」
「あります」
リューネットは書類を捲り、古い文献の写しを取り出した。
「エルザ王女は、人間の父ギルバート・ヴェンツェルと、吸血鬼の母ルイーザ・ヴェンツェルの間に生まれた子です。人間と吸血鬼の混血。古い文献では『ダンピール』と呼ばれています」
ダンピール。その言葉が、会議室の空気を変えた。ラミーナの目が僅かに見開かれた。アビゲイルは息を呑んだ。伝承でしか聞いたことのない存在だ。人間と吸血鬼の間に子が生まれること自体が極めて稀であり、記録に残っている事例はほとんどない。
ドラコだけが、動かなかった。
「ダンピールは、二つの特異な性質を持つとされています。一つは、吸血鬼を殺す力。吸血鬼にとって天敵とも言える存在です。そしてもう一つは……」
リューネットの声が、僅かに低くなった。
「ダンピールの血を摂取した者は、単なる不老不死ではなく、完全なる不死になる。銀でも魔術でも、心臓を破壊しても死なない。いかなる手段をもってしても殺すことができない、絶対の不死」
沈黙が降りた。
完全なる不死。それは吸血鬼の不老不死を遥かに超えた概念だった。通常の吸血鬼には明確な殺し方がある。銀の武器、心臓の破壊、強力な魔術。だが、ダンピールの血がもたらす不死には、それすらも通用しない。
ラミーナが低い声で言った。
「そんな兵士が軍隊規模で存在したら、どこの国も太刀打ちできない」
「はい。世界の勢力図が根本から覆ります」
リューネットの声にも、僅かに重みがあった。
アビゲイルが口を開いた。
「だから財団はエルザの血を欲しがっている。不老不死の軍隊を作るために、エルザの血が必要不可欠ってこと」
「その通りです。それだけでなく、ダンピールは吸血鬼を殺す力を持っている。財団にとっては、味方につければ最大の武器であり、敵に回れば最大の脅威です。どちらにしても、放っておくわけにはいかない存在でしょう」
リューネットはメガネを押し上げた。報告は以上だった。
ドラコが口を開いた。
「つまり財団は、エルザの血を手に入れるためなら手段を選ばない。最悪の場合、エルザを殺してでも血を奪おうとする」
言葉にすると、事態の深刻さが改めて重くのしかかった。リューネットは沈痛な面持ちで頷いた。
ドラコは椅子の背もたれに体を預けた。帽子の鍔が影を落とし、表情が読めない。
「リューネ。よく調べたな」
「過分なお言葉です」
リューネットが頭を下げた。ラミーナは腕を組んだまま、ドラコに視線を向けた。
「ドラコちゃんは、最初から知ってたんでしょう。エルザ王女がダンピールだってこと」
ドラコは答えなかった。ただ帽子を深く被り直した。それが答えだった。
アビゲイルがドラコを見つめていた。険しい顔ではない。ただ、事の重さを噛み締めている目だった。
「エルザには話さないと」
アビゲイルが言った。静かだが、迷いのない声だった。自分の出自を知らないまま追われ続けるのは、あまりにも残酷だ。知る権利がある。
「分かっている」
ドラコは椅子から立ち上がった。
「あいつに話すのは、オレの役目だ。ギルバートとルイーザの友として」
ドラコの声には、覚悟が滲んでいた。




