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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第52話 時間

 リファランの街が、燃えていた。

 宮殿を出たドラコたちが大通りを走る中、街のあちこちから悲鳴と破壊音が響いていた。吸血鬼たちは宮殿だけを狙ったのではなかった。街そのものが襲撃を受けていた。

 通りの向こうで、商店の壁が砕ける音がした。建物の屋根から黒い影が飛び降り、逃げ惑う市民を追っている。別の通りでは、兵士たちが吸血鬼の一団と斬り合っていた。剣が火花を散らし、魔術の閃光が夜空を裂く。昨日までの穏やかな湖畔の都市は、一夜にして戦場に変わっていた。湖の水面が炎の光を映し、不気味な橙色に揺れている。

 エルザの足が、止まった。

 通りの角で、若い女が子供を抱えて座り込んでいた。泣き叫ぶ子供を必死に抱きしめ、体で庇っている。その向こうでは、老人が路上に倒れていた。動かない。

 エルザの目に、涙が溢れた。


「わたくしの、せいなのですか」


 震える声だった。問いかけているようで、問いかけではなかった。自分に言い聞かせるような、あるいは自分を責めるような声だった。


「この街が襲われているのも、この方たちが傷ついているのも、全部わたくしのせいなのですか」


 エルザの膝が折れかけた。ベアトリクスが咄嗟にエルザの腕を支えた。ドラコがエルザの手を引いた。立ち止まっている暇はない。だが、エルザの足は動かなかった。目の前の光景が、エルザの心を縛りつけている。ポーラーが言った言葉が、頭の中で何度も繰り返される。狙いはエルザ王女、あなたの命です。この街が襲われているのも、陽動ではなく、自分がこの街にいたからだ。


「走れ、エルザ」


 ドラコの声は厳しかった。だが、エルザの足は動かない。


「姫様」


 ベアトリクスがエルザの顔を覗き込んだ。紅い瞳が、涙に塗れたエルザのエメラルドの瞳を真っすぐに見ている。


「今は走りましょう。お願いです」


 ベアトリクスの声に、エルザの体が僅かに反応した。ベアトリクスの手が、エルザの手を強く握っている。冷たい手だった。吸血鬼の手だ。だが、その冷たさの中に、確かな温もりがあった。

 エルザは歯を食いしばり、走り出した。涙を流しながら。

 アビゲイルが後方で魔術を放ち、追ってきた吸血鬼を氷の壁で遮断した。氷の壁が通りを塞ぎ、追手の視界を遮る。アビゲイルの得意とする氷の魔術は、こうした場面で真価を発揮した。


「早く。駅はもうすぐよ」


 アビゲイルの声に、四人が走る速度を上げた。途中、路地から飛び出してきた吸血鬼にドラコが短機関銃の銃床を叩き込み、地面に沈めた。立ち止まらない。足を止めれば、囲まれる。

 大通りの先に、リファラン中央駅の建物が見えた。石造りの大きな駅舎で、蒸気機関の煙突から白い煙が上がっている。汽車はまだ動いている。

 駅の周囲にも兵士が展開していた。市民を避難させながら、吸血鬼の侵入を防いでいる。ドラコたちは駅舎に駆け込み、構内を走り抜けた。

 ホームに出ると、一本の汽車が停まっていた。蒸気を吐き出す機関車の後ろに、客車が連なっている。出発を待っているのか、それとも襲撃で足止めされているのか。乗客たちが不安そうな顔でホームに立っている。中には荷物を抱えてうずくまっている家族もいた。子供が泣いている。リファランから逃げようとする人々だった。

 ドラコがフローレンスから受け取っていた切符を出した。宮殿を出る直前、フローレンスが軍服のポケットから封筒を取り出し、ドラコに渡していたのだ。ポーラーの名で手配された特別席の切符。五枚のうち四枚を、フローレンスは迷いなくドラコに託した。車掌が切符を確認し、すぐに案内した。


「こちらへどうぞ。特別席は最後尾の車両です」


 四人は車掌に導かれ、最後尾の車両に乗り込んだ。特別席は個室になっていた。広い座席が向かい合わせに並び、窓にはカーテンが掛かっている。小さなテーブルの上には、飲み物と軽食が用意されていた。

 汽笛が鳴った。汽車が、ゆっくりと動き始めた。ホームが後ろに流れていく。リファランの街が、窓の向こうで遠ざかっていく。まだ、あちこちで火の手が上がっていた。魔術の閃光が夜空を照らしている。フローレンスが、ポーラーが、ジレーヌが、あの中で戦っている。

 エルザは窓際の席に座り、遠ざかるリファランを見つめていた。その目は虚ろだった。涙は止まっていたが、代わりに何の感情も浮かんでいない。心が、閉じかけていた。街で見た光景が、まぶたの裏にこびりついている。倒れた兵士。泣き叫ぶ子供。逃げ惑う市民。そして、自分のために残ったフローレンスの背中。

 ベアトリクスがエルザの隣に座り、その手を握った。だが、エルザは反応しなかった。握り返すことも、目を向けることもしない。ただ、窓の外を見つめている。ベアトリクスの紅い瞳に不安がよぎったが無理に話しかけることはしなかった。

 ドラコは向かいの席に座り、帽子の鍔を引き下げた。腕を組み、目を閉じている。考え込んでいるのか、あるいはエルザに時間を与えているのか、アビゲイルはドラコの隣で、膝の上に本を広げていたが、ページをめくる手は止まっていた。

 汽車はリファランを離れ、平原に出た。窓の外の景色が、街から草原に変わった。夜明けが近い。空の端が、僅かに白み始めていた。

 沈黙が、車内を満たしていた。

 汽車の車輪が線路の継ぎ目を叩く音だけが、規則的に響いている。誰も口を開かない。窓の外では、草原が流れていく。空が少しずつ明るくなり、東の地平線が橙色に染まり始めていた。

 エルザは窓の外を見つめたまま、動かなかった。ベアトリクスもドラコも、声をかけることができなかった。今のエルザに必要なものは、励ましでも慰めでもない。時間だ。自分の中で、あの光景を受け止める時間。

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