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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第50話 命

 夜明け前の宮殿に、怒号が響いた。

 ドラコは一瞬で目を覚ました。体が反応するより先に、手が枕元の短機関銃を掴んでいた。窓の外から、金属がぶつかる音と、兵士たちの叫び声が聞こえてくる。戦闘の音だ。

 隣の寝台でアビゲイルが身を起こした。魔杖を手に取り、窓の外を見る。

 庭園の向こうに、複数の影が動いていた。

 ドラコは部屋を飛び出し、隣の部屋の扉を叩いた。


「エルザ、ベアトリクス。起きろ」


 扉が開き、エルザが顔を出した。既に目を覚ましていた。騒ぎ声で起きたのだろう。その顔は青ざめていたが、目はしっかりとしていた。ベアトリクスがエルザの後ろに立ち、緊張した顔で廊下を見ている。

 フローレンスが廊下の奥から早足で戻ってきた。狙撃銃を肩にかけている。


「宮殿の正門が破られました。吸血鬼の集団です。数は、多い」


 フローレンスの声は冷静だったが、「多い」の一言に重みがあった。

 廊下の向こうから、ポーラーが駆けてきた。寝間着の上から外套を羽織り、両手に魔力の光を纏わせている。その表情は厳しかったが、取り乱してはいなかった。


「吸血鬼の集団が宮殿に攻めてきました。先日の襲撃よりも遥かに規模が大きい。近衛兵が正門で食い止めていますが、長くは持ちません」


 ポーラーの青い瞳がドラコを真っすぐに見た。


「ドラコさん。エルザ王女を連れて、今すぐ汽車に向かってください。駅は宮殿の裏門から出て、大通りを真っすぐ行けば辿り着けます。裏門の兵士には通すように伝えてあります」

「あんたはどうする」

「わたくしは、ここで戦います。ここは、わたくしの国です。守るのは、わたくしの務めです」


 迷いのない声だった。ポーラーの指先に纏う魔力の光が、一段と強くなった。

 ドラコは頷いた。


「行くぞ」


 五人は廊下を走った。宮殿の裏手に向かう通路は、まだ敵の手が及んでいなかった。だが、正門の方角から聞こえる戦闘音は激しさを増している。兵士たちの剣戟けんげきと、吸血鬼の咆哮が混じり合い、石壁を震わせていた。途中の廊下で、負傷した兵士とすれ違った。腕から血を流しながらも、剣を握ったまま正門の方向に戻ろうとしている。この宮殿を守る者たちの覚悟が、その背中に見えた。

 窓ガラスが割れる音が響いた。庭園側から吸血鬼が侵入してきたのだ。宮殿の防衛線が、じわじわと崩されている。

 裏門に近づいた時、フローレンスが足を止めた。


「待ってください」


 フローレンスの紅い瞳が、暗がりの向こうを見ていた。吸血鬼の視力が、人間には見えないものを捉えている。


「裏門の外にも、います。一〇数体。門を出た瞬間に囲まれます」


 ドラコの表情が険しくなった。正門は破られ、裏門にも敵がいる。宮殿の中に留まれば、いずれ包囲される。だが、外に出れば待ち伏せに遭う。

 逃げ場が、ない。

 廊下の窓から外を見た。庭園のあちこちに、黒い影が動いている。吸血鬼だ。数は二〇を超えていた。先日の襲撃とは比較にならない規模だった。しかも統率が取れている。正門と裏門を同時に押さえ、宮殿を完全に包囲する。陽動ではない。ここに送り込まれた吸血鬼たちは、エルザを仕留めるだけに来ている。この数を相手にしながらエルザを守り、駅まで走るのは現実的ではなかった。

 アビゲイルが魔杖を構え、周囲を警戒している。ベアトリクスがエルザの腕を掴み、離すまいとしていた。フローレンスは裏門の外の敵の配置を確認している。

 エルザの顔が蒼白になっていた。

 自分が狙われている。昨日、ポーラーからそう聞いたばかりだ。そして今、まさにその通りのことが起きている。自分を殺すために、これだけの吸血鬼が送り込まれた。またポーラーの兵士たちが傷つき、命を落としている。自分のために。昨日の夜、ドラコに言われた言葉を思い出す。お前のせいじゃない。だが、目の前で人が倒れていく光景を見て、その言葉を信じることができなかった。

 エルザの中で、何かが弾けた。


 エルザは走り出した。

 裏門に向かってではない。正門の方角に。吸血鬼たちがいる方向に。


「姫様!」

 

 ベアトリクスが叫んだ。ドラコが即座に追いかけた。だが、エルザの足は止まらなかった。廊下を抜け、庭園に面した大きな扉を押し開けた。

 庭園に出た瞬間、エルザの目に飛び込んできたのは、戦場だった。近衛兵たちが吸血鬼の集団と斬り合っている。地面には倒れた兵士の姿があり、血の匂いが夜気に混じっていた。

 吸血鬼たちがエルザの姿を認め、一斉にこちらを向いた。紅い瞳が、暗闇の中で光る。


「わたくしの命が欲しいのなら」


 エルザの声が、庭園に響いた。震えていた。涙が頬を伝っている。だが、それでも声を出した。


「わたくしの血が欲しいのなら、どうぞ奪ってください。わたくしの命で済むのなら、差し出します。ですからお願いです。他の方たちには、手を出さないで」


 涙声だった。王女の誇りも、体面も、全て捨てた声だった。自分一人の命で、これ以上の犠牲が止まるのなら。エルザはそう思った。もう誰も、自分のせいで死んでほしくなかった。

 ベアトリクスが「姫様!」と叫び、エルザに駆け寄ろうとした。だが、エルザは庭園の中央に一人で立っていた。両腕を広げ、吸血鬼たちの前に身を晒している。

 吸血鬼たちが、エルザに向かって動きがした。

 その前に、黒い影が立ちはだかった。

 ドラコだった。

 短機関銃を構え、エルザの前に立っている。帽子の鍔の下から覗く紅い瞳は、冷たく鋭い。普段の飄々とした空気は消え、そこにいたのは魔王だった。吸血鬼たちの足が止まった。本能が警告を発したのだろう。目の前に立つ者が、自分たちとは格の違う存在だということを。


「馬鹿なことを言うな」


 ドラコの声は低く、静かだった。だが、その一言にはエルザの体を動けなくするだけの重みがあった。ドラコはエルザを振り返らなかった。背中で語っていた。


「お前の命は、お前だけのものじゃない。お前の命を守るために、こいつらが戦っている。ポーラーが。兵士たちが。フローレンスが。アビゲイルが。ベアトリクスが。そしてオレが。お前が死んだら、全部無駄になる」


 ドラコはエルザを背に庇い、吸血鬼の集団と対峙した。フローレンスが狙撃銃を構え、アビゲイルが魔杖を掲げる。ベアトリクスがエルザの傍に駆け寄り、その手を握った。

 吸血鬼たちが距離を詰めてくる。二〇体以上。いくらドラコたちでも、エルザを守りながらこの数を相手にするのは厳しい。

 その時、一本の矢が飛んだ。

 先頭の吸血鬼の肩を貫き、動きを止めた。続けて二本目、三本目。正確無比な射撃が、吸血鬼たちの前衛を次々に射抜いていく。

 矢が飛んできた方向に、一つの影があった。

 金色の髪を後頭部で一つにまとめ、弓を構えたエルフの女性。薄緑色の瞳が、夜闘の中で冷たく光っている。

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