第47話 飾りの襲撃
「さて。皆さんには、帝国へ向かうための汽車の切符をご用意しました」
ポーラーが侍従に目配せすると、侍従が革の封筒を差し出した。中には五枚の切符が入っていた。
「特別席の切符です。リファランからセクレタリア帝国の首都ターリンガまで、直通の便があります。道中の食事と寝台も含まれていますので、ゆっくり休んでください」
ドラコが封筒を受け取ろうとした時、フローレンスが先に手を伸ばした。
「ありがたく頂戴します」
フローレンスが封筒を受け取った。ドラコが「オレが受け取ろうとしたんだが」と言いかけたが、フローレンスの冷たい視線で黙った。金銭や切符の管理はフローレンスの担当だ。いつものことだった。エルザが小さく笑い、ベアトリクスも口元を綻ばせた。
ポーラーもその様子を見て、柔らかく微笑んだ。
「仲の良い方たちですね」
それから、ポーラーの表情が僅かに引き締まった。穏やかな雰囲気は変わらないが、その奥に緊張が滲んだ。
「少し、お話したいことがあります」
ポーラーは近衛兵に目配せし、王の間から退出させた。侍従も下がらせ、部屋に残ったのはポーラーとドラコたち五人だけだった。
ポーラーは玉座を離れ、窓際に立った。庭園を見下ろしながら、静かに話し始めた。
「リファランにも、吸血鬼と食屍鬼による襲撃がありました。深夜に宮殿を狙って侵入してきました。ヴェンツェル王国のイルドブルほどの規模ではありませんでしたが、宮殿の一部が損傷し、兵士にも犠牲が出ています」
ポーラーの声は穏やかなまま、だが、その奥に重みがあった。自国の兵士を失った王女の声だ。
「わたくし自身も魔術で応戦しました。大門を破って入ってきた食屍鬼の数は多くはなかったのですが、統率が取れていた。明らかに誰かの指揮の下で動いていました」
ポーラーは窓の外に目を向けたまま、続けた。
「襲撃の際、わたくしたちは三体の吸血鬼を捕えることに成功しました。自爆術式が施されていた二体は、捕縛直後に爆発して死にました。ですが、残りの一体は術式が不完全だったのか、辛うじて生きています。拘束した上で魔術による尋問を行い、ある情報を得ました」
ポーラーが振り返り、ドラコたちを真っすぐに見た。魔術師としての鋭さが、穏やかな瞳の奥に覗いていた。
「ヴェンツェル王国以外の国で起きている襲撃は、全て飾りだそうです」
飾り。その言葉に、ドラコの紅い瞳が鋭くなった。
「テオドル王国、アンティグア王国、帝国。これらの襲撃は、本命を隠すための陽動に過ぎなかったと。本当の狙いは、ヴェンツェル王国のイルドブルにあった」
ポーラーの青い瞳が、エルザに向けられた。
「狙いは、エルザ王女。あなたの命です」
部屋に沈黙が落ちた。
エルザの表情が、凍りついた。ポーラーの言葉が、頭の中で反響している。狙いはエルザの命。各国への襲撃は飾り。全ては、自分を殺すためだった。
あのイルドブルの夜。宮殿に押し寄せた吸血鬼と食屍鬼の群れ。兵士たちが次々と倒れ、宮殿が血に染まった。あの惨劇の全てが、自分一人を狙ったものだったのか。
テオドル王国で犠牲になった人々。このリファランで傷ついた兵士たち。帝国の宮殿で命を落とした者たち。全てが、陽動。自分一人の命のために、大陸中で多くの人が傷つき、死んだ。
エルザは何も言えなかった。
声が出ない。どう受け止めればいいのか、分からない。怒りなのか、恐怖なのか、罪悪感なのか。それすらも判別できないまま、エルザは唇を噛んでうつむいた。拳が震えている。膝の上で握りしめた手の指先が、白くなるほどに力が入っていた。
自分が死ねば、これ以上の犠牲は出ないのではないか。そんな考えが一瞬だけ頭をよぎり、すぐに打ち消した。だが、打ち消しきれない重さが胸に残った。
ドラコは帽子の鍔を引き下げ、静かにポーラーに訊いた。
「財団の目的は分かったか」
「残念ながら、そこまでは。捕えた吸血鬼も、エルザ王女の命を狙えという指示を受けただけで、その理由は知らされていなかったようです。末端の構成員には、最低限の情報しか与えていない」
ドラコは腕を組んだ。財団の構造が、改めて浮き彫りになった。末端には情報を与えず、自爆術式で口封じをする。捕えても何も得られない。マリアムが「厄介な相手」と言った意味が、ここでも証明されていた。
「なぜエルザ王女が狙われるのか。それが分からない限り、根本的な対策は打てません」
フローレンスが静かに言った。
「ですが、狙いがエルザ様であると分かったことは、大きな手がかりです。守るべき対象が明確になった」
ポーラーが頷いた。
「帝国のレオン皇帝にも、この情報は伝えてあります。皆さんが帝国に着けば、レオン皇帝からも詳しい話が聞けるでしょう」
ポーラーはエルザに歩み寄り、その手をそっと取った。
「エルザ王女。あなたが背負うものは重い。ですが、あなたは一人ではありません。それだけは、忘れないでください」
エルザは顔を上げた。ポーラーの青い瞳が、真っすぐにエルザを見ていた。王女として、同じ重みを知る者の目だった。
エルザは何も言えないまま、ただ小さく頷いた。声にはならなかった感謝を、その頷きに込めて。
王の間を出た後、宮殿の廊下を歩きながら、エルザはずっと黙っていた。
ベアトリクスが隣を歩き、時折エルザの顔を窺っている。エルザの表情は沈んだままだった。フローレンスとアビゲイルは少し後ろを歩いており、二人の間に何か小声でやり取りをしている。
ドラコが、不意に足を止めた。
「エルザ」
エルザが顔を上げた。ドラコの紅い瞳が、帽子の鍔の下から真っすぐにエルザを見ていた。
「お前が狙われている。それは事実だ。だが、それはお前のせいじゃない」
短い言葉だった。だが、エルザが今一番聞くべき言葉だった。
「お前を狙っている奴らが悪い。それだけの話だ。お前が自分を責める理由は、どこにもない」
エルザの唇が震えた。目に涙が滲んだ。だが、泣かなかった。王女として、ここで泣くわけにはいかない。エルザは唇を噛み、深く息を吸った。
「……はい」
小さな声だった。だが、うつむいていた顔が、僅かに上を向いた。
ドラコは帽子の鍔を引き下げ、再び歩き始めた。エルザもその後に続いた。ベアトリクスがエルザの手を握ったまま、一緒に歩いている。
宮殿の窓から、リファランの街並みが見えた。湖の水面が午後の光を反射し、きらきらと輝いている。穏やかな景色だった。だが、その穏やかさの向こうに、まだ見えない敵が潜んでいる。
明日、汽車に乗る。セクレタリア帝国の首都ターリンガへ。レオン皇帝のもとへ。
答えは、その先にあるはずだ。




