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ブラッディ―メイデン  作者: しましまましま
第Ⅰ章 プリンセス オブ ブラッド

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第45話 勇敢

 全ての重症患者への投与を終えた頃には、夜になっていた。

 患者の家を出たフローレンスは、村の広場のベンチに腰を下ろした。疲労が顔に出ている。数時間にわたる調合と投与で、さすがのフローレンスも消耗していた。

 ドラコが隣に立ち、壁にもたれた。エルザとベアトリクスは患者の様子を見に行っており、アビゲイルは魔力の消耗で先に休んでいた。

 夜空には星が広がっている。森の中のエルフの村は、街の明かりに遮られることなく、満天の星を見ることができた。虫の声と、木々が風に揺れる音だけが聞こえる。

 フローレンスは空を見上げたまま、ぽつりと言った。


「初めてです」

「何がだ」


 ドラコが帽子の鍔を上げた。


「お姉様に、反抗的な態度をとったのは」


 フローレンスの声は、いつもの冷静さの中に、微かな柔らかさがあった。


「昔から、お姉様には逆らえなかった。お姉様が正しいと思っていたし、実際に正しいことのほうが多かった。弓の腕も、判断力も、度胸も、全てお姉様のほうが上だった。村を出る時も、お姉様に何も言わずに去った。面と向かって自分の考えを伝えたことは、一度もなかった」


 フローレンスは膝の上で手を組んだ。吸血鬼の冷たい指が、夜風に触れている。


「今日、初めてお姉様の目を見て、自分の言葉で話しました。吸血鬼になった理由。吸血症を消すという目的。お姉様がそれを受け入れてくれるとは思っていません。実際、許さないと言われました。でも、伝えることはできた」


 その横顔は、心なしか晴れ晴れとしていた。氷のように冷たい表情のフローレンスが見せる、僅かな変化。ドラコはそれを見逃さなかった。


「それに、お姉様は最後に『言い分は理解した』と言ってくれました。許されなくても、理解してもらえた。それだけで、十分です」

「勇敢だった」


 ドラコが言った。短い言葉だったが、そこには確かな敬意があった。


「短剣を突きつけられて、一歩も退かなかった。姉に自分の信念を伝えた。それは、戦場で敵に立ち向かうのと同じくらい、勇気のいることだ」


 フローレンスは一瞬、目を見開いた。それから、視線を空に戻した。


「……ありがとうございます」


 小さな声だった。だが、その声には温もりがあった。星明りの下で、フローレンスの表情が僅かに緩んでいた。



 翌朝。

 エルフの村に、変化が現れていた。

 昨夜解毒剤を投与した重症の患者たちの容態が、明らかに改善していた。老女は自力で起き上がり、水を飲めるようになっていた。壮年の男性は咳が止まり、窓を開けて朝の空気を吸い込んでいた。若い女性は顔色に血の気が戻り、笑顔さえ見せていた。完全な回復にはまだ時間がかかるが、快方に向かっているのは間違いなかった。

 村の空気が、昨日とは違っていた。通りを歩くエルフたちの足取りに力が戻り始めている。あちこちの家から、久しぶりの会話が聞こえてきた。子供が一人、広場を走っていた。その姿を見て、エルザが微笑んだ。

 フローレンスは朝から残りの患者への投与を続けた。フェリアが助手として付き添い、アビゲイルが魔力遮断を担当する。エルザとベアトリクスは軽症の患者に解毒剤を配り、飲み方を説明して回った。ドラコは相変わらず村の周囲を警戒していた。

 昼過ぎには、全ての患者への投与が完了した。


 村を発つ準備を終えたドラコたちの前に、フェリアが立っていた。

 翡翠色の瞳が潤んでいる。だが、昨日までの悲しみの涙ではなかった。


「フロー。本当に、ありがとう」


 フェリアの声が震えていた。


「あなたが来てくれなかったら、村はどうなっていたか分からない。みんな、あなたに感謝しています」


 フローレンスは無表情のまま、フェリアを見ていた。だが、その紅い瞳の奥に、僅かな感慨があった。捨てたはずの故郷。二度と戻らないと決めた場所。だが、ここには自分を待っていてくれた人がいた。


「解毒剤の調合法は、手帳に書き残しておきました。薬草の配分と手順が記されています。今後同じ症状が出た場合は、それに従って調合してください」


 フローレンスは実務的な口調で言った。手帳の該当ページを開き、フェリアに手渡す。だが、手帳を渡す手が、一瞬だけ止まった。フェリアがそれを受け取ると、フローレンスは鞄の中からもう一つ、小さな包みを取り出した。


「これは、村で使えるだけの薬品を分けたものです。わたしの分は足りているので、気にしないでください」


 フェリアが包みを受け取り、胸に抱きしめた。フローレンスの不器用な優しさを、フェリアは昔から知っていた。口では素っ気ないことを言いながら、いつも行動で示す。それは数百年前から、変わっていなかった。


「それと」


 フローレンスが、僅かに間を置いた。次の言葉を選んでいるように見えた。フローレンスにしては珍しい、躊躇いだった。


「……たまには、顔を見せます」


 フェリアの目から、涙が溢れた。


「約束よ。絶対よ、フロー」


 フェリアがフローレンスの手を握った。今度は、フローレンスも僅かに握り返した。冷たい指が、温かい指を包む。ほんの一瞬のことだった。だが、それは数百年の沈黙を経て、ようやく結び直された絆だった。

 ドラコが帽子の鍔を引き下げ、小さく笑った。エルザとベアトリクスも、穏やかな目で二人を見守っていた。アビゲイルは本を開いたまま、知らんぷりを装いながらも、その口元が緩んでいた。


 ドラコたちはエルフの村を後にした。

 リファランへ向かう街道を、五人が歩いていく。朝の光が木々の間から差し込み、街道に長い影を落としていた。フローレンスはいつもの位置、後方に戻っていた。狙撃銃を肩にかけ、周囲を警戒している。その横顔は、いつもの冷静なフローレンスだった。だが、村を出る時に一度だけ振り返ったことを、ドラコは見ていた。

 村の森が遠ざかり、やがて木々の向こうに隠れた。

 その森の高台に、一つの人影があった。

 金色の髪を後頭部で一つにまとめ、弓と矢筒を背負ったエルフの女性。ジレーヌは、木の幹にもたれながら、遠ざかっていく一行を見つめていた。

 昨日、あの部屋で聞いた妹の言葉が、まだ頭の中で響いている。吸血症を消すために、自ら吸血鬼になった。病そのものを根絶することが、敵討ちだと。あの病弱だった妹が、そんな途方もない道を一人で歩いてきたのか。数百年の間、ずっと。

 薄緑色の瞳が、妹の背中を追っている。その表情は、誰にも読み取れなかった。怒りなのか、悲しみなのか、あるいは別の何かなのか。ジレーヌ自身にも、分からなかったのかもしれない。

 許すことはできない。それは変わらない。だが、理解はした。妹が何のために戦っているのかを。それを認めることと、許すことは、別のことだ。

 やがて、一行の姿が街道の向こうに消えた。

 ジレーヌはしばらくの間、その場に立ち続けていた。風が金色の髪を揺らし、木々の葉が音を立てた。

 それから、静かに踵を返し、森の奥へと消えていった。

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