第105話 覚悟の在処
ライカが静かに口を開いた。
「ベアトリクス」
瑠璃色の瞳が、ベアトリクスを真っ直ぐに捉えた。総帥の目だ。部下の覚悟を見極める、指揮官の目。
「覚悟を聞かせて。あなたは、何のために戦うの」
ベアトリクスは一瞬だけ目を閉じた。そして、開いた。深紅の瞳に、迷いはなかった。
「わたしは、姫様を守るために戦います。それだけです。姫様が安全にヴェンツェル王国に辿り着くために、今ここでこの子を止めなければならない。レイラさんがそうしたように。アビゲイルさんがそうしたように。わたしも、託された役目を果たします」
ベアトリクスの声は、静かだった。だが、その奥にある決意は鋼のように固い。
「でも、わたしは死ぬつもりはありません。姫様のお傍を離れるつもりもありません。この子を倒して、必ず皆さんのところへ参ります。だから、先に行っていてください」
ライカはベアトリクスの目を見つめ続けた。数秒の沈黙。少女の背後で吸血鬼たちが蠢いている。残された時間は多くない。だが、ライカはこの数秒を惜しまなかった。覚悟とは、急かして確かめるものではない。
そして、口元に小さな笑みが浮かんだ。
「あなたの覚悟、確かに聞いたわ」
ドラコが信頼した理由が分かる。この子は、言葉だけではなく、行動で示す子だ。
ライカはエルザに目を向けた。
「エルザ。ベアトリクスを信じましょう。ドラコが信頼した子よ。必ず、わたしたちのところに来てくれるわ」
エルザはベアトリクスを見つめた。深紅の瞳が、穏やかにエルザを見返している。あの目は、嘘をつけない目だ。初めて会った日から、ずっとそうだった。エルザはそのことを、誰よりもよく知っていた。その笑みが言っている。大丈夫です、姫様。わたしは、どこにも行きません。
長い沈黙の後、エルザは小さく頷いた。
「……必ず、来なさい。絶対よ」
声は震えていたが、目は真っ直ぐだった。主としてではなく、親友としての言葉だった。
ベアトリクスは微笑んだ。いつもの、穏やかな笑み。ロードの深紅の瞳の中に、メイドの優しさがそのまま宿っている。
「はい。必ず」
短い言葉だった。だが、その二文字に、ベアトリクスの全てが込められていた。
ライカが周囲を見渡した。王の間に残る吸血鬼たち。少女を囲むように、まだ数十体が蠢いている。魔術式が地下室にある以上、そこに敵を入れるわけにはいかない。転移の最中に吸血鬼が飛び込んできては、全てが台無しになる。
ライカの瑠璃色の瞳に、指揮官の光が灯った。
「ベアトリクスがあの少女を抑えている間に、残りの吸血鬼を全て片づけるわ。地下室への道を完全に確保する」
レオンが黄金の大剣を肩に担いだ。
「異論はない。掃除は得意だ」
エルザも魔力を右手に集中させた。火炎の光が手の中で揺れる。ベアトリクスを信じると決めた。ならば、自分にできることをする。ベアトリクスが安心して戦えるよう、その道を守り抜く。
「わたくしも戦います」
ライカは頷いた。そして、ラミーナとリューネットに目を向けた。二人は傷だらけだったが、まだ立っていた。倒れた仲間たちの分まで戦うという意志が、二人の目に宿っている。
「ラミー。リューネ。動ける傭兵を連れて、地下室までの廊下を確保して。一体も通さないで」
「了解しました」
ラミーナが刀を構え直した。血で滑る柄を握り直し、切れ長の目に不敵な笑みを浮かべる。リューネットもメガネを押し上げ、魔杖を握り直した。先ほどまでの消耗が嘘のように、目の奥に力が灯っている。
全員の役割が決まった。
ベアトリクスが前に出た。少女と向き合う。幼い顔の吸血鬼は、無表情のままベアトリクスを見つめていた。ロードの力を纏ったベアトリクスの姿を、品定めするように。二人の間の空気が、張り詰めた糸のように緊張していた。
少女の紅い瞳が、僅かに細められた。興味を示したのか、それとも警戒なのか。その表情からは読み取れない。だが、少女の周囲に渦巻く魔力が、明らかに密度を増していた。
ベアトリクスの竜の腕に魔力が凝縮された。赤い鱗の隙間から炎の光が漏れ出す。片翼が大きく広がり、王の間の薄暗い空気を赤く染めた。
「行きます」
その一言を合図に、ベアトリクスが少女に向かって踏み込んだ。少女が破壊術を放つ。ベアトリクスの竜の腕が炎を纏い、破壊術を真正面から打ち砕いた。衝撃波が王の間を揺さぶり、石畳にひびが走る。二つの力がぶつかり合った余波で、壁際の魔術灯が全て弾け飛んだ。
同時に、レオンが動いた。黄金の大剣が孤を描き、王の間に残っていた吸血鬼の一体を両断する。灰が散った。続けてライカの狙撃銃が火を噴き、二体目が崩れ落ちる。エルザの火炎術が三体目を焼き尽くした。ラミーナとリューネットは傭兵たちを率い、王の間の奥から地下室へ続く廊下へ駆け出した。
ベアトリクスと少女の一騎打ち。ライカ、レオン、エルザによる吸血鬼の殲滅。ラミーナとリューネットによる地下室への退路確保。三つの戦いが、同時に始まった。
王の間に、剣と魔術と炎の光が交錯した。




