[29] イアン村へ――防壁の中 ②
「アンナさん、この方は?」
私が尋ねると、アンナはハッとして立ち上がった。
「友達のヤンです。普段は、剣鍛冶なのに……いつの間にか騎士になってて驚きました」
アンナは嫌味を言いながらヤンを上目遣いで見ると、ヤンは頭を掻いた。
「ヤン、こちらは、レノドン伯爵令嬢のピオニー様、そしてこちらは、フィリップ・ホームズ子爵様、その後ろはフィリップ様の護衛のヘルマ様、こちらのマリアドネさんはピオニー様の侍女で、この男の子はジャン、そして、こちらの銀髪の美しい殿方は……」
アンナはチラリとキャンディと私を交互に見て、咳払いをした。
「キャンディ様は、ピオニー様の護衛です」
「よろしく!」
キャンディが無邪気にヤンに手を差し出し、握手をした。
ヤンは一瞬、面食らったようだったが、手を取った瞬間に表情を引き締めた。
「随分、剣を振りなさったでしょう?」
キャンディは小さく笑った。
「それほどでも」
「ヤン、村がどうなっているのか、教えてよ!」
アンナはヤンへの攻撃の手を緩めない。
ヤンは一瞬だけ、出入り口の見張りに目を向け、それから小さくため息をついた。
「まずは、お茶を入れるよ。少し、リラックスしたほうがいい。ジャンには、ホットミルクだな」
アンナは頬を膨らませた。
「困るとすぐ逃げるんだから」
「アンナさん、ここで、ヤンさんを責めたら可哀想だわ」
私は、アンナの袖を引っ張って耳元でそっと告げた。
アンナは、見張りの騎士に視線を送り、小さく頷いた。
「ヤン、できればジャンに食べ物をあげて。お腹がすいてると思う」
「そうだな! ちょうど、チェリーがある」
ヤンは、水で洗ったチェリーの山をジャンの前に置いた。
「ありがとう!」
ジャンは美味しそうに頬張った。
「皆さんも、良かったら召し上がってください」
ヤンの言葉に空腹を覚え、私も手を伸ばした。
王都のチェリーより実が大きくて、ハリがあった。
「甘い!」
ジャンの声は、部屋の空気を明るくした。
気づけば、胸の奥が、少しだけ温かくなっていた。
窓から差し込む光は、夏の夕暮れの柔らかな赤に変わっていた。
「そういえば、フィリップ様はどちらにお泊りに? 私とマリアドネはアンナさんのご自宅にお邪魔するのですが」
私が尋ねると、フィリップは傍に立つヘルマを見た。
ヘルマは頭を掻く。
「それがですね。宿は一つしかないと聞いてましたので、特に予約はせずに」
ヘルマは、すぐに深く頭を下げた。
「申し訳ございません」
フィリップの眉がピクリと動くと、ヘルマは「申し訳ございません」と言いながら後ずさった。
すると、チェリーを頬張ったアンナが、フィリップにチェリーを差し出した。
「フィリップ様、私のメッセンジャーバードでもここに来られなかったんだから、宿の依頼なんて無理ですよ。ヘルマ様を怒らないでください」
フィリップはチェリーを受け取ると、眉の力を抜いて言った。
「アンナ嬢、故郷に着いた途端におしゃべりになりましたね」
アンナはへへへと笑う。
「気が緩みました」
「早く会いたいでしょう。おじいさまとお母様、そして婚約者様に」
私が笑いかけると、アンナは顔を赤くした。
「もちろんです」
アンナは照れ隠しに、逃げるようにチェリーをさらに頬張った。
「そんなに食べるとむせますよ」
私が言った途端にアンナはチェリーを喉に詰まらせてむせた。
「さ、皆さん、お茶が入りましたよ。なんだよ。ほら、アンナが先だな」
ヤンはアンナにマグカップを渡し、他の者にも順に配った。
立ちのぼる湯気から、ラベンダーの香りがふわりと漂った。
飲むと、身体の奥から力が抜けていった。
チェリーの甘さのせいか喉が渇く。
一口、二口、三口……。
気づけば瞼が重く、視界がゆっくりと霞んでいった。
頭にもやがかかり、次に何を考えるべきかはっきりしない。
重い瞼を無理やり開けた時に、ヤンの眉尻がかすかに下がり、唇が震えているのが見えた。




