98.白電鉱の哭く部屋
白電鉱石採掘場の奥深く。
岩盤をくり抜いて造られたエーテル研究施設の一室には、薬品と焦げた金属の匂いが重く滞留していた。
照明は半分ほどが落とされ、薄闇に揺れる赤橙のランプが研究機材の影を歪めている。
まるで機械そのものが怯えて身を縮めているようだった。
部屋の中央、研究員たち数名とエーテルを作り出したシンジュ・ノーピアス博士は拘束椅子に縛りつけられ、冷たい金属の帯が手足を締め付けていた。
「博士、いい加減吐いてもらおうか?」
赤髪を掻き上げ、背筋を伸ばした少将マルティナ・グレーヴが硬質な声で問いかける。
「エーテルは──蒸気の心臓の生成技術を流用している。そうなのだろう?」
「そうだよ博士〜。ほんとのこと言わないと、もーっと大変なことになるんだからねッ」
隣でマルティナ直属部隊《野薔薇》の一人、ダイアナが陽気に肩を上下させる。
その明るさがかえって異様だった。
「そんなことを言われても……私は何も知らないんだ!」
シンジュ博士が震える声で訴えた、その直後だった。
——ボキッ。
乾いた、しかし妙に耳に残る鈍音が部屋に落ちた。
「ぎゃああああ!!」
悲鳴をあげたのは博士の部下の研究員。
その腕をねじ折ったのは、無表情で立つゾーイだった。
彼女もダイアナと同じくマルティナ直属部隊《野薔薇》の一人。
「お、お前が吐くまで……ゆ、ゆっくりこいつを痛めつける。い、嫌なら……早く情報を吐くんだな」
低く震える声とは裏腹に、その口元だけがぎこちなく笑みの形を作っていた。
「なんてことをっ! 大丈夫か!!」
シンジュ博士は椅子から身をよじり、部下へ身を乗り出そうとするが、拘束具がそれを許さない。
「こ、こんなことをしても……“冗棄”の心臓の技術については、私も分からないんだ! 本当なんだ!」
博士は必死に叫ぶ。
「たしかに私はレオナールの技術を流用して白電鉱石からエーテルを抽出している。だが……あれがどうやって出来るのかは私にも不明なんだ!」
マルティナは細めた目で博士を見つめ、そしてふっと笑った。
「やはり……エーテルは蒸気の心臓と同じ生成方法だったというわけだ」
「セレニティ」
マルティナは静かに名前を呼ぶ。
「はい、マルティナ様」
返事をしたセレニティ。
野薔薇のリーダー格であり、最も残虐と噂される女。
その者が足音を立てずに前へ出る。
彼女は近くに縛られた女性研究員の髪を掴むと、抵抗も意に介さず、そのまま機械の奥へと引きずっていく。
研究員の爪が床をかき、悲鳴が壁に反響した。
「全く……帝国の未来のためなんですから。そんなに叫ばないでくださいな」
セレニティは微笑を浮かべたまま、ゆるく首をかしげる。
「やれ」
マルティナの短い指示。
「はい。おまかせあれ」
セレニティは軽い調子で答えると、研究員をエーテル精製機──その巨大な圧縮炉の口へ放り込んだ。
金属扉が鈍い音をたてて閉まる。
「待て! 一体何をするつもりなんだ! やめろ!!」
博士が喉を裂かんばかりに叫ぶ。
「戦争の勝利のための犠牲だ。悪く思うなよ」
マルティナは炉に背を向けたまま言い放つ。
炉の中からは研究員が激しく扉を叩く音と、くぐもった悲鳴が金属越しに響いた。
やがてセレニティが機械の作動ボタンに指を伸ばした。
──カチリ。
作動音とともに、圧縮炉の計器が軋み、内部の圧が急激に跳ね上がる。
機械全体が低くうなり、床まで震わせた。
長い数十秒が経ち、部屋の空気そのものが重く沈む。
「どうだ?」
マルティナの問いに、セレニティは炉の前に進み、ゆっくり扉を開ける。
開いた瞬間、室内の空気がわずかに変わった。
金属と肉が焦げるような匂いと、鉄を湿らせたような匂いがふっと流れ込み、博士たちは息を呑む。
炉の奥は暗く、照明を反射する不自然な影がこびりついていた。
その“影”が先程まで人であったことは、誰も言葉にしなかったが、見た者なら否応なく理解してしまう。
「マルティナ様……残念ですわ。蒸気の心臓らしきものは生成されていません。汚らしい残滓ばかりが付着しておりますわ」
セレニティは顔を顰めながらも、柔らかな声でそう告げる。
「ふむ。失敗か」
マルティナは興味を失ったように視線をそらす。
「なんてことを! お前たちは……自分が何をしたのかわかっているのか!?」
シンジュ博士が震え、怒りと恐怖で声を裏返す。
「騒ぐな」
マルティナの鋭い一喝が部屋を切り裂いた。
「帝国の平和のためだ」
博士は何も言えず、ただ俯き、歯を鳴らした。
その肩の震えが、沈黙よりも雄弁に恐怖を語っていた。
部屋に残ったのは、血と白電鉱の匂い、そしてひどく静かな──しかし確かに“哭いている”空間だった。




