表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第3章、激突ククルカン
PR
96/118

96.ククルカンの風に立つ

飛行船メンデルスゾーンは、切り立った断崖のあいだをゆっくりと滑るように降下し、ククルカン飛行場の着陸路へ静かに船体を預けた。


車輪が大地へ触れた瞬間、小さな衝撃が船内を揺らす。

乾いた風が谷底から吹き上がり、赤茶けた岩肌に照り返された熱気が、開きかけた扉の隙間から流れ込んできた。


「……着いたぞ」


操縦席で振り返ったタカカゲが、どこか誇らしげに笑う。


やがて船体の扉が開き、軋んだ音を立てながらタラップが降ろされた。


シアンたちは順に飛行船を降り立つ。


乾いた土を踏みしめる感触は、アルディスとはまるで違っていた。

吹き抜ける風は熱を帯びているのに、不思議と肌を刺すような鋭さがあり、渓谷特有の荒々しい空気が旅人たちを迎え入れる。


見上げれば、巨大な断崖が空を切り取るようにそびえ立ち、その間を風だけが自由に駆け抜けていた。


「タカカゲさん。ここまで、本当にありがとうございました」


シアンはタカカゲへ向き直ると、深々と頭を下げた。


「礼を言うのは俺の方さ」


タカカゲは照れくさそうに笑い、肩をすくめる。


「君たちがメンデルスゾーンを直してくれなかったら、俺はもう二度と空へ戻れなかった。本当に感謝してるよ」


その言葉を聞き、シアンたちは自然と顔を見合わせた。


この二日間で知ったのは、飛行船の構造でも操縦技術でもない。

タカカゲという男が、誰よりも空を愛しているということだった。

 

「……ただ」


タカカゲは笑みを消し、飛行場の奥へ視線を向けた。

そこには、一隻の軍用飛行艇が静かに駐機している。


漆黒の船体は朝日を鈍く反射し、船腹に刻まれたアークライン帝国軍の紋章だけが、いやに鮮明に目へ映った。


「帝国軍か……」


低く呟いた声に、先ほどまでの穏やかさはない。


「最近はバルナスとの情勢も悪くなってる。軍の連中も随分と殺気立ってるからな。なるべく関わらない方がいい」


「ああ、分かった」


シアンは短く頷いた。


「君たちは、しばらくククルカンにいるのか?」


「どうだろう……。用事がどれくらいで終わるか次第かな」


「そうか」


タカカゲは頷くと、飛行船へ目を向ける。


「なら俺はいったんアルディスへ戻るよ。飛行場に通信設備があるから、帰る時は連絡してくれ。また迎えに来る」


「ありがとうございます」


ルシアが丁寧に頭を下げると、タカカゲは少し照れたように笑った。


「いいんだ。俺は君たちのおかげで、また空を飛べるようになったんだから」


そう言って飛行船へ乗り込もうとした彼は、タラップを半ばまで上ったところでふと足を止める。


振り返ったその顔には、旅の始まりと同じ、少年のような笑顔が浮かんでいた。


「シアンくん! ルシアちゃん!」


二人が顔を上げる。


「次に乗る時は、ちゃんと空を見てくれよ!」


渓谷を吹き抜ける風に声を乗せながら、タカカゲは力いっぱい叫んだ。


「今度は朝焼けじゃない。俺と親父が何より好きな、最高の青空を見せてやる!」


その言葉に、シアンは思わず笑みを浮かべる。


「ああ。帰りはちゃんと見るよ!」


「はい! 約束です!」


ルシアも満面の笑みで手を振った。


タカカゲは満足そうに頷くと操縦席へ戻り、やがて船体から蒸気が勢いよく噴き上がる。


巨大なプロペラが回転を始め、飛行船はゆっくりと浮かび上がった。


風を受けたメンデルスゾーンは大きく旋回し、朝の青空へ向かって静かに高度を上げていく。


 三人は、その姿が渓谷の彼方へ消えていくまで、いつまでも手を振り続けていた。


 やがて飛行船が小さな点となって見えなくなると、シアンは静かに息を吐き、ルシアへ向き直る。


「さて……研究施設へ向かう前に」


「え?」


戸惑うルシアの頭へ、シアンは自分のキャスケットをそっと乗せた。


少し大きめの帽子が、彼女の金色の髪をすっぽりと隠す。


「そのままじゃ目立ちすぎる。軍の連中に顔を見られたら厄介だからな」


「そっか! お姉ちゃんは元帥の娘だから、顔を見られたらすぐにバレちゃうもんね!」


ルシアは帽子のつばへ触れ、小さく瞬きをした。


「……ありがとうございます」


その声はどこか嬉しそうだった。


「俺の帽子だから、ちょっと煤で汚れてるけどな」


照れ隠しのように笑うシアンへ、ルシアは首を横に振る。


「そんなこと気になりません。大切に使わせてもらいます」


 帽子を被り直した彼女は、少しだけ頬を赤く染めながら微笑んだ。


 その様子を見ていたカイも、ほっとしたように笑う。


「これなら少しは安心だね!」


「ああ」


シアンは二人を見回し、大きく頷いた。


「二人とも、俺から絶対に離れるなよ」


目指す先は、ククルカンにあるエーテル研究施設。


そこで待つのは、エーテル研究の第一人者であり、パールの父でもある研究者との邂逅。


だが、この地には帝国軍も足を踏み入れている。


ただ目的地へ向かうだけで済む旅ではないことは、三人とも分かっていた。


渓谷を吹き抜ける風が、帽子のつばを揺らし、衣服を大きくはためかせる。


三人は無言のまま歩き出した。

その足取りには迷いはない。


待ち受ける嵐を知りながらも、その中心へ踏み込む覚悟だけを胸に抱いて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ