91.飛翔、交錯する思惑
アルディス西地区。
蒸気の白煙が空に昇り続ける飛行場は、朝日を浴びて輝きながらも、どこか緊張した空気に包まれていた。
その一角に、鋼鉄と木材の調和した独特の機体──タカカゲの愛機、飛行船メンデルスゾーンが停泊している。
巨大なバルーンの下、複数の補助翼が陽の光を反射し青白い光を煌めかせ、今にも空へと躍り出す準備を整えていた。
機体の前では、操縦服に袖を通したタカカゲと、飄々とした表情でいつものように何かを食べているアマテラスが並んでいた。
「タカカゲさーん!!」
駆けてくる声。
シアン、ルシア、カイ──三人は息を弾ませながらも、その表情は強い決意に満ちている。
「来たか。準備は万端だ。すぐにでもククルカンへ飛び立てるぞ」
タカカゲは笑い、三人を迎えた。
「ん……おや? 今日はグレンダさんの姿が見えないようだけど?」
隣のアマテラスが、今日はジャムたっぷりのパンをくわえながら首をかしげる。
「ばあちゃんは……体調が優れなくて。だから俺たちだけで行くことになったんだ」
シアンが言うと、後ろの二人も力強く頷いた。
「そうか……残念だ。あの人にも空の素晴らしさを見せたかったのにな」
タカカゲは少し寂しげに目を細める。
「グレンダさんの体調が良くなったら、今度はちゃんとした手続きをして、みんなで来るよ! 今回みたいなズルは無しでね!」
カイが笑いながら突っ込むと、タカカゲは苦笑した。
「ズルだなんて言わないでくれ。これは……ちょっとしたお礼なんだから」
そう言われた三人は自然と笑った。
緊張の中にも、確かに温かい空気が流れていた。
「ところでアマテラスさん、どうしてここに?」
ルシアが尋ねると、アマテラスはいつもの飄々とした雰囲気を消し、少し神妙な顔を見せた。
「君たちの見送りだよ〜……と言いたいんだけどね。実はちょっと、きな臭い情報を仕入れてさ」
「きな臭い?」
「ククルカンが妙な状況なんだ。北の方面から帰ってきたうちのパイロットが言ってたんだけどね、帝国軍の飛空艇がククルカンへ飛んでいったらしい」
「なっ……!?」
三人の表情が一瞬で強張った。
ルシアはシアンを振り向き、震えた声で言う。
「シ、シアンさん……もしかして……」
脳裏に浮かんだのは、あの日ルシアが語った“最悪の予測”。
エーテル制作技術を紐解き、蒸気の心臓を再現しようとする者が現れる。
その技術を悪用し、たくさんの命を犠牲にしようとする者が必ず出る。
あの日の予測が、現実味を帯びて迫ってきた。
「あの日言ってたこと……もしかしたら本当に起きちまうかもしれない」
シアンが絞り出すと、カイは強く拳を握った。
「そんなことになったら大変だよ! もし帝国が心臓を再現したら……!」
「どうやらパールさんのお父様から話を聞くだけの旅にはならないかもしれないですね……」
そうルシアが呟くと、シアンは拳を握り、歯をかみしめた。
「そんな事──絶対にさせない……!」
その言葉には、昨夜グレンダ、そしてリベラルナックルと交わした誓いが宿っていた。
「アマテラスさん、ありがとう! タカカゲさん、すぐにでも出発したい!」
「ああ、すぐにでも! さあ、乗り込んでくれ!」
タカカゲは力強く頷き、船へ誘導した。
カイとルシアが先に乗り込み、そしてシアンが最後に乗り込もうとタラップに手をかけたその時だった。
「シアンさーん!!」
甲高い声が飛行場に響いた。
誰かがシアンを大声で呼びながら近づいてくる。
飛び立つ前の飛行船の前に現れたのは、アルディスの図書館の管理人であり、そしてククルカンでエーテルの研究を行っている博士の娘、パールだった。
「パ、パールさん!? どうしてこんな所まで!」
シアンが驚く中、パールは息を切らし顔を真っ赤にして駆け寄ってくる。
「はぁ……はぁ……。スチーム・フィールドに行ったら誰もいなくて……近所の人に聞いたら飛行場へ行ったって……!」
息も絶え絶えにそう言うと、彼女は懐から封筒と取り出し、それをシアンへ差し出した。
「あの……これ、持っていってください。あなた方が私の紹介で父を訪ねることを書いた手紙です」
「手紙? ど、どうして」
「あそこはセキュリティが厳しいので、これがあればきっと……。父に電話して伝えようと思ったのですが、研究か忙しいのか繋がらなくて」
「え……でも、なんで……?」
シアンは驚きのあまり言葉を失う。
「あの日、図書館で見たあなたたちは……ただの興味じゃなく、何か大切なことに向かおうとしているって、そんな気がしたんです」
パールは息を整えながら、ゆっくりとシアンを見つめる。
「だから……私も、何か力になれればと思って」
シアンは差し出された手紙を受け取り、そしてパールへ一度深く頭を下げた。
「……ありがとう! 本当に恩に着るよ! 絶対に恩返しするから、待っててくれよ!」
シアンは全力の笑顔でそう言うと、パールは僅かに頬を緩ませる。
「シアンくん! そろそろだ!」
タカカゲが船体から顔を出し、離陸することを告げる。
「おっと、じゃあ行くよ! パールさん、アマテラスさん、本当にありがとう!」
「はい! 気をつけてくださいね!」
「シアンくん! 無茶はダメだからねー!」
パールとアマテラスは大きく手を振る。
それに応えるようにシアンも手を振り返し、ついに船内へ駆け込む。
「お待たせ皆! タカカゲさん、頼むよ!」
「ああ! 任せてくれ!」
タカカゲは操縦桿を握りしめる。
ゴゥゥゥン……プシュゥゥ——。
エンジンが唸り、蒸気が勢いよく立ち昇る。
プロペラが勢いよく回転し始めると、機体は浮かび上がり徐々に空へと持ち上がっていく。
「カイ、ルシア……。行くぞ!」
「はい! どんな場所でも……三人ならきっと大丈夫です!」
「いざ! ククルカンへしゅっぱーつ!!」
見送るパールとアマテラスの姿が小さくなる中、シアンたちの旅は新たな段階へ進もうとしていた。
向かう先は──
帝国軍の影が迫り、数多の思惑が交錯する危険な地、ククルカン渓谷。
蒸気の心臓一機工幻想譚一
第2章・夢と決意を乗せて・完結




