89. 禁断の継承者たち
シアンはベッドの縁に腰をかけ、左手――リベラルナックルを見つめながら、長い長い話を続けた。
エルディア大戦が終結して四十年以上経ったこと。
その戦いで辛くもアークライン帝国が勝利し、今も国家として存続していること。
そして、リベラルナックルに施されている“意志の鋲”の技術が大戦後に禁忌として封印され、公式には歴史から葬られたこと。
【──なるほどな。それで先程“禁断の技術”と言ったわけか】
静かな響き。
長い沈黙の果てにようやく蘇った意志は、淡々と、しかしどこか懐かしむように言った。
「ああ。でもそのおかげで今のアークラインがあるんだけどな……皮肉だよな」
【それにしてもシアン。公にされていないはずの技術を、なぜお前は知っている?】
鋼の内部から発せられる声は、呆れでも怒りでもなく、ごく自然な疑問だった。
「ああ、それは──」
そこからシアンはすべてを語った。
アークラインとバルナスが再び戦争の危機にあること。
アークライン帝国軍が、かつて封印された“禁断の発明”――蒸気の心臓を再び探し出し、戦争の切り札として利用しようとしていること。
そして、自分たちが帝国の影で平和を守る集団“赤”からの依頼で、それを阻止しようとしていること。
蒸気の心臓。
意志の鋲と同じく、決して開いてはならない禁断の扉の事も。
【なるほど、それが理由か。帝国の裏仕事を任されるとは……恐れ入ったよ。通りで強いわけだ。その点は納得した】
リベラルナックルは感心したように言う。
「強いだなんて……俺なんか全然さ。ばあちゃんがいなきゃ……」
【おいおい、また落ち込むのか?】
鉄とは思えないほど柔らかい声音だった。
不思議と胸の奥の痛みが和らぐ。
「……悪い、つい」
シアンは照れたように鼻をこする。
【それで? 蒸気の心臓は手に入れられたのか?】
その問いに、シアンは小さく首を振った。
封印の地に蒸気の心臓はなかったこと。
代わりに残されていたのは、心臓の欠片と、手掛かりとなる一通の手紙。
そしてその手掛かりを追って、明日、ククルカンへ向かう予定であることを丁寧に説明した。
【ふむ……。想像以上に厄介な依頼を受けたものだな】
「本当だよ。でもやらなきゃ……きっと大勢の犠牲者が出ちまう。だから逃げ出すわけにはいかないんだ」
いつの間にか、シアンの目には不安ではなく、強い意志が宿っていた。
【……ふっ。ようやく覚悟が戻ったな】
「お前のおかげだよ、リベラルナックル。俺一人じゃ、きっとぐるぐる悩んだままだった」
【礼を言われるほどのことではないさ……おっと、どうやらお前の精神状態が安定してきたようだ。そろそろ繋がりが切れそうだな】
「マジか……また話せるかな?」
【またお前が取り乱したり、感情が揺れればな】
どこか茶化すような声。
「そん時はさ、また色んな話をしよう。ばあちゃんのことも、カイのことも、ルシアのことも……この街のことも、まだまだ教えてやりたいことが山ほどあるんだ」
自然と笑みが浮かぶ。
涙で濁っていた世界が、少しずつ澄みはじめていた。
「本当にありがとう」
その言葉を最後に、リベラルナックルからの返事は途切れた。
シアンは左手を見降ろす。
もう声はしない。ただ、いつもと同じ、冷たい蒸気兵装があるだけだ。
「……切れたか」
しかし表情は暗くない。
むしろ晴れやかで、迷いを振り払った者の顔だった。
これからすべきことははっきりしている。
守りたいものがある。
戦わなければならない相手がいる。
そして頼ってくれる仲間がいる。
シアンは深く息を吸い、ゆっくりとベッドに背を預けた。
その一方——。
完全に繋がりが遮断されたはずのリベラルナックル内部で、微かな意識が独り言のように揺らめいた。
【……シアン、やはり面白い男だな】
ドクン。
【それにこの精神……この眩い光……何だ、この感覚は……】
ドクン。
【シアン……お前はいったい……“何者”なんだ】
ドクン。
【まあいい。いずれ分かる時が来るだろう。私が……消えなければ、だが】
蒸気の心臓を巡る不吉な予兆と、蒸気義手に宿る未知の意識。
見えない運命の歯車が、静かに回り始めていた。




