87.揺らめく灯りと嘘
夜のスチーム・フィールドは、昼の喧騒が嘘のように静かだった。
店内の灯りが硝子越しに滲み、揺れる影が外の路地へと投げ出されている。
その影は二つ。
シアンが診療所へグレンダを運んで行ったうちに帰ってきカイとルシアだった。
ガチャリ、と扉を開く。
「……ただいま」
掠れた声が店に響いた。
夜気を連れて戻ったシアンの表情は、どこか固い。
「あ! おかえりなさい、シアンさん。」
ルシアは買ってきた荷物を抱えたまま振り返る。
蒸気灯に照らされた彼女の顔は安心と安堵に満ちていた。
「もう! どこに行ってたのさ兄貴! 買い出しから帰ってきたら二人ともいないし……あれ? グレンダさんは?」
カイがきょろきょろと辺りを見回す。
そこに“いつも同じ場所にいるはずの人”がいないことに、すぐ気付いた。
「あー……ああ! なんか準備してる最中にさ、ばあちゃん腰やっちまったみたいなんだよ!」
それは二人を心配させない為の咄嗟の嘘だった。
「俺もビックリしてさ、ノートン先生のところに連れてったんだよ。全く、こんな時に困るよな! ははは!」
軽い笑い声。
だが、明らかに軽く“作られた”笑い声だった。
「ええ!? 大丈夫なんですか、グレンダさん!」
ルシアはすっかり信じ込んでしまい、両手の荷物をぎゅっと掴み直す。
「明日にはククルカンに向かうのに! ど、どうするのさ!」
カイは焦って歩き回り、シアンに詰め寄る。
「と、とりあえず俺たちだけで向かうことになりそうだ! んでルシア。お前も一緒に行けってばあちゃんが言ってた。」
「わ、私も……ですか? で、でも……私なんかがついて行ってもシアンさんやカイくんの足を引っ張っちゃうんじゃ……」
ルシアは胸の前で両手を組み、不安そうに俯く。
「ばあちゃん、しばらく動けねえから診療所に入院するんだ。お前が一人でここにいたら危ないだろ? 軍の奴らが居場所嗅ぎつけて来たらどうするんだってばあちゃんが言ってたんだよ!」
シアンはできるだけ明るく、いつもの調子を装って言った。
「たしかに……! グレンダさんがここ居なくて、僕も兄貴も向こうに行ってる間に、お姉ちゃんにもしものことがあったら大変だしね!」
カイも大きく頷く。
「ってことだ! 危ないかもしれねぇけど……カイもお前も絶対に俺が守る。約束する!」
シアンは笑ってみせた。
しかしその笑みは、蒸気灯の揺らぎのせいか、どこか影が差しているように見えた。
「……そうですね。たしかに、その方が安全かもしれません。」
ルシアは静かに頷く。
だが、その目はシアンの顔をじっと見つめていた。
「……あの……シアンさん。なにか、隠してませんか?」
その問いは優しく、しかし鋭かった。
ルシアは自分の不安を確かめるように、シアンの表情を探る。
「なっ……何も隠してねぇよ! そ、それより明日は早いんだ! 準備も終わってるし、今日はもう寝ろ! 俺も一旦家に帰ってゆっくり休む! 明日の出発に備えねえとな!」
捲し立てるように言い終えると同時に、逃げるようにシアンは店を飛び出した。
扉が閉まる音だけがやけに大きく響く。
「もーう! まだ買ってきた荷物の整理もしてないのに! 兄貴ったらホント無責任なんだから!」
カイはぶつぶつ文句を言いながら、買い出しの袋を開けていく。
「……何だか、シアンさん。いつもと雰囲気が少し違いました。」
ルシアは胸のあたりを押さえながら呟く。
「たしかに……きっとグレンダさんが一緒に行けなくなったから焦ってるんだよ。なんだかんだ兄貴はグレンダさんの事大好きだからね」
カイは笑いながら、荷物を詰め直していく。
「兄貴はああ言ってたし、僕も頑張るよ。お姉ちゃんを絶対に守るから!」
無邪気で強がりな笑顔だった。
「はい……ありがとうございます。」
ルシアは笑って返したが、その心の奥底では別の思いが渦巻いていた。
(シアンさん、本当に……大丈夫なのでしょうか)
グレンダという大きな影が欠け、三人だけとなった影。
しかし残った一番大きな影──シアンの影だけが、どこか不安定に揺れていた。




