80.赤き影、揺らぐ帝都
アークライン帝国、帝都の中心から少し外れた貴族領。
その中でも、さらに許可ある者以外は誰ひとり近づけない古い離宮があった。
表向きは使われていないはずの建物だが、その内部では静かに炎が灯り、重厚な円卓を囲んで六つの影が集っていた。
アークライン帝国を裏側から護る存在——“赤”。
そのメンバーたちによる秘密会合である。
「さてさて、どうしたものだろうね」
円卓の一角。
夜の月光が差し込む窓辺近くに座る青年が、膝の上でウサギ型オートマトンを撫でながら口を開いた。
若くしてアルカディア家の当主となり、帝都の月影と呼ばれる男――キョウ・アルカディア。
膝の上で丸くなった小型オートマトン『モルオ』は、彼の指に合わせて耳をぴくぴくと動かしている。
「まさか、レオナールが関わっているとは……」
重い声を漏らしたのはグレンダの元に蒸気の心臓の件を持ち込んだバーン・アルベルト。
老年の彼の表情には、深い困惑が滲んでいた。
「蒸気の魔女からの通信には、こう書かれていたらしいですな。“心臓が保管されていたはずの場所には、私の友人たちがその在処を示すピースを持っている”……と」
低く響く声で続けたのは、黒い口ひげを整えた恰幅のいい男、ドルトン・ザーリッシュ。
表の顔は帝国の経済産業大臣だが、裏では“赤”の一角を担う重鎮である。
「バーン殿、たしか貴方はその昔レオナールとは親しい仲だったそうですな。何か知らないのですか?」
「バーン殿がそれを分かっておれば、今ここに集まっておらんわ」
ドルトンの横に座る禿げた頭の老人眉を寄せて言った。
ウリアル・ディオデルバ。
かつてエルディア大戦を終戦へ導いた英雄にして、帝国の歴史そのもののような人物。
皺だらけの手で禿頭をハンカチで拭いながら、深いため息をつく。
「まさか……かつて帝国を救う発明を残し忽然と姿を消した男が、今になって再び影を落とすとは。不気味ですね……」
ウリアルの言葉に、テーブルの反対側の椅子に座る新参の男が小さくうなずいた。
ガルド・レイナー。
将来バーンの後任として最近“赤”に加わった、バーンと共にスチーム・フィールドに訪れた現役の軍人。
「我が国の軍が蒸気の心臓を手に入れ、戦争が再び起こそうとするのを止めるために動いたのに……まさか、こんなことになるとはね」
キョウは笑った。
しかしその笑みには、冷たい諦観と鋭い知性が同居していた。
「バーンのおじい! もし何か隠してるなら、タダじゃおかないからね!」
勢いよく声を上げたのは少女、ターニア・ディオデルバ。
ウリアルの孫娘であり、ガルドと同じく新たに赤に加わった“新星”。
「こらターニア! バーン殿も困っておるのだ! 無礼を働くでない!」
「でもおじいちゃん! 心臓の行方が分からないままじゃ……何が起こるか分からないよ!」
眉を吊り上げる孫娘に、ウリアルは「むむむ」と唸るしかない。
「ふむ……もし破壊されているなら軍派閥の手に渡らずに済む。だけど――在処を示唆しているということは、心臓はまだ健在なんだろうね」
キョウはモルオの頭を撫でながら、静かに言葉を落とした。
その時、ドルトンが新たな報告を持ち上げる。
「そういえば……大臣会議でとある噂が届きましたぞ」
そう呟くと、懐からメモ書きを取り出して読み始めた。
「“心臓が見つからないなら作ればいい”、と言い出した者が郡内部、将校の一人に居たそうです」
ドルトンはさらに言葉を続ける。
「しかも、その人物は部隊を引き連れてククルカン渓谷へ向かったそうな」
その言葉に、室内の空気が一気に張り詰めた。
「ククルカン渓谷……たしかエーテル研究施設がある場所だね」
キョウが低く呟く。
「エーテルの生みの親……シンジュ博士だったかな」
その名を聞いた瞬間、バーンの瞳が大きく見開かれる。
「シンジュ! 彼はレオナールと旧友の関係だった!」
円卓の全員が息を呑む。
「まずいね。軍派閥の者がククルカンで博士を問い詰め、仮に博士のエーテル研究が心臓に繋がるものだったとしたら」
「いや、それよりも博士がピースを持っていたとしたら……やっかいな事になるぞい」
ウリアルの声が震える。
「……帝国は再び戦火に包まれる」
誰もがその最悪の未来し言葉が重なったその時、会議室の重い扉の向こうから、落ち着いた声が響いた。
『大丈夫じゃ。つい先程グレンダから通信があった。彼女らもククルカンへ向かう、と』
全員が同時に顔を向ける。
ギィ……と扉が開き、朝日を背負った影がゆっくりと室内へ歩み入る。
「な……何故、貴方が……?」
「う、嘘……どうして……!」
ガルドとターニアが椅子を倒さんばかりに立ち上がる。
その一方で、バーン、キョウ、ドルトン、ウリアルの四名はすぐさま椅子を押しのけ、膝をつき深々と頭を垂れた。
赤の頂点に立つ者——。
この国の影であり、帝国を裏から護る最後の守り手。
その人物が、扉の向こうから現れたのだった。




