75. 氷煙の一瞬、電撃の刃
爆炎が揺らめき、赤熱した空気が荒れ狂うルーグレムのアジトの前。
瓦礫の影から立ち上る黒煙を裂くように、シアンの金色の瞳が燃える炎を反射して妖しく輝いていた。
対するディルモットは、肩を上下させながらも獣のような笑みを浮かべている。
アイアンスパートの脚部はアジトからの落下の激突で軋んでいるが、それでもなお圧倒的な存在感を誇示している。
「どうしたァ? さっきまで跳ね回ってた癖に、急におとなしくなったじゃねえか!」
挑発混じりの声が鉄壁の腹部から響き、金属の反響音が戦場を満たす。
シアンはわずかに呼吸を整えながら、もう一度胸元に触れた。
そこには銀色の一本の筒──スチーム・ブランクが収まっている。
(タイミングは一度……外したら終わり。どこで、どう当てる……?)
額に浮かぶ汗が、爆炎の熱で一瞬にして乾くその中で、シアンは戦場の全景を素早く見渡した。
陥没した地面、ガトリングによって破壊された建物、激突で亀裂の入った壁。
そして──、ディルモットの無警戒な足運び。
「動かねえなら、こっちから行くぜェェェ!!」
次の瞬間、ディルモットの巨体が地面を踏み砕きながら突き進んでくる。
アイアンパートの脚が火花を散らし、金属の爪が唸りを上げた。
シアンは咄嗟にワイヤーアンカーを弾き放ち、降りかかる金属の爪を回避した。
「甘いんだよォッ!」
ディルモットのガトリングが震え、弾丸の雨が吹き荒れる。
火花と火薬煙が視界を埋める中、シアンはワイヤーの反動を利用して空中を旋回しつつ弾丸の隙間を縫うように身体を捻った。
(まだだ……! まだ条件が揃ってない!)
地面に着地すると同時に、ディルモットの爪が横薙ぎに迫る。
金属の咆哮とともに突き抜ける殺意。
シアンは紙一重でそれをかわし、雷撃を纏った左拳を叩き込む。
しかし──。
「効かねえんだよォ!!」
アイアンスパートの腹部が火花を散らしながら衝撃を吸収する。
攻撃が通じなくてもいい。
重要なのは、ディルモットの動きと視線を操作すること。
シアンはすぐさまその場でワイヤーアンカーを展開し、再び戦場を駆け巡る。
「このっ……! ちょこまかしやがってェェェェェ!!」
ディルモットは目を血走らせながら怒号を上げる。
(どこだッ! きっとどこかにアイツの意識が向くところがあるはずだ!)
その時——。
ディルモットが立っているその背後。
アイアンスパートの体当たりで壊れたアジト壁。
その上階に今にも崩れ落ちそうな瓦礫を見つけた。
(あれだ……!)
即座にワイヤーアンカーを射出し、その瓦礫に打ち込む。
「はァ? どこ狙ってんだテメェ!」
そんな言葉に耳も貸さず、シアンは全身の力でワイヤーを引き、瓦礫を落とそうとする。
その様子にディルモットは即座に上を見てニヤリと笑う。
「バカが! そんな瓦礫でこのアイアンスパートを壊せるとでも思ったか!」
「この!! 落ちろぉぉぉッ!!」
轟音とともに瓦礫がディルモット目掛けて崩れ落ちる。
「ははは! こんなもんで止まるかよォォ!!」
ディルモットは上空を睨むと、落ちてきた瓦礫を鉄の爪で粉砕した。
破片が四散し、爆炎に照らされ輝く。
「こんなんで俺を倒せると思ったかァ!?」
勝ち誇る声。
しかし、シアンは笑っていた。
「いや……むしろ、ここからだよ」
シアンはディルモットの足元を指さす。
「……なに?」
見ると、足元に銀色の筒──スチーム・ブランクが転がっていた。
「バカな……いつの間に!!」
ディルモットの顔色が変わる。
シアンが瓦礫を落とすためにワイヤーを引いた時。
ディルモットの視界が上に向いたその一瞬の隙に投げ込んだのだ。
「ディルモット──これで終わりだ」
次の瞬間、スチーム・ブランクが砕け白い氷煙が一気に噴き上がった。
極低温の霧がアイアンスパートを包み込み、全身を駆け巡る蒸気配管を一瞬で凍り付かせる。
ギギギギ……
内部から軋むような悲鳴が響く。
「なっ……!」
脚部の蒸気が止まり、膝が大きく沈んだ。
「う、動け……動けェェェェェッ!!」
内部のレバーを乱暴に引き、蒸気圧を限界まで送り込もうとする。
だが返ってくるのは、乾いた金属音だけだった。
「そんな……バカなァァァァ!!」
その叫びを聞いた瞬間だった。
シアンが駆けた。
地面を蹴る。
一歩。二歩。三歩。
左手の蒸気兵装、リベラルナックルの拳からほとばしる雷光が夜を裂く。
「歯ぁ食いしばれよッ! ディルモット・ユークリウスぅぅぅぅッ!!」
「しっ、しま──」
ディルモットが顔を上げるが、もう遅い。
ドゴォォッ!!
拳は装甲ではなく、むき出しの顔面を正面から撃ち抜いた。
「がァッ!!」
巨体が大きく仰け反る。
今まで何十発と耐えてきたディルモットの表情が、初めて苦痛に歪んだ。
「まだだぁぁぁ!!」
シアンは止まらない。
右、左、右、左と硬く握った両拳を体勢を崩したディルモットの顔面へと一気に叩き込む。
嵐のような連撃。
鉄を砕く音ではない。肉を打つ鈍い衝撃音。
それが何度も何度も夜空へ響く。
「ぐあぁッ! ぐっ……!」
ディルモットは腕を振るうが、凍り付いた脚は踏ん張れない。
「終わりだぁぁぁぁッ!!」
レヴィンコアが最後の輝きを放つ。
青白い稲妻が義手を包み込み、周囲の空気を震わせた。
シアンは腰を深く落とし、全身の力を左拳へ乗せる。
左足が地面を噛む。
右肩が静かに引かれ、レヴィンコアの雷光が義手へと収束していく。
その瞬間──シアンの世界が、ゆっくりになった。
揺らめく爆炎。
宙を舞う瓦礫。
凍てついたアイアンスパートから立ち上る白い蒸気。
苦痛と焦りに見開かれたディルモットの瞳。
そして──
脳裏をよぎる。
飛行場の格納庫と無残に壊れた飛行船。
その傍らで血を流し、悔しさに震えていたタカカゲの姿。
『メンデルスゾーンを……絶対に、もう一度空へ上げたい!』
その声が、胸の奥で響き渡る。
シアンはすべてを見据えた。
「──これが! お前を倒す一撃だぁぁぁぁッ!!」
踏み込むと同時に、世界が元の速さを取り戻した。
ドゴォォォォォォン!!!!
雷鳴にも似た轟音が夜空を震わせる。
雷光を纏った拳は、迷いなくディルモットの顎を真下から撃ち抜いた。
巨体が大きく仰け反り、そのまま宙へと浮かび上がる。
「あ……が……」
ゆっくりと瞳から力が消えていく。
そして、アイアンスパートの蒸気が静かに止まった。
「俺が……この……怪物が……」
ガシャン……
膝から崩れ落ちる巨体は、そのまま地面へ沈む。
夜の貧民街を包んでいた轟音が、ようやく静寂へと変わった。
シアンは大きく息を吐き、ゆっくりと拳を下ろす。
長い死闘は、ついに終わった。




