72.鉄駆と鉄拳
「行くぜェ! すぐに終わるなよォ!!」
ディルモットが吠えた瞬間、アイアンスパートの各部から圧縮蒸気が一斉に噴き上がった。
轟音とともに巨体が床を蹴る。
踏み込んだだけで石畳が砕け、吹き飛んだ破片が宙を舞う。
そのまま砲弾のような勢いで一直線にシアンへ突っ込んできた。
だが、その鉄拳が届くよりも早く、シアンの姿は視界から消えていた。
「そんな一直線、当たるかよッ!」
左腕から射出されたワイヤーアンカーが天井へ突き刺さる。
同時に鋼線が勢いよく巻き上がり、その牽引力とレヴィンコアによって極限まで高められた反射速度が重なることで、シアンの身体は斜めへと鋭く滑り抜けた。
空を切った鉄拳はそのまま背後の壁へ叩き込まれ、轟音とともに石壁を粉々に砕く。
「ちょこまかと……くそっ、止まりやがれ!」
「止まったら死ぬからな」
軽口を返しながら、シアンはレヴィンコアの出力を引き上げた。
左拳を包む雷光が一段と濃くなり、青白い火花が指先を走る。
「喰らえッ!」
踏み込みと同時に放たれた拳が、ディルモットの腹部装甲へ突き刺さった。
雷撃が爆ぜ、小さな火花が散るがアイアンスパートはびくともしない。
「当たってる……だが、効かねぇなァ!」
腹の底から笑いながら、ディルモットはそのまま巨大な鉄爪を振り抜いた。
シアンはすでに後方へ跳び退き、紙一重でその一撃をかわしている。
鉄爪は床を深く抉り、砕けた石片が激しく飛び散った。
(装甲が厚いだけじゃない……衝撃そのものを受け切ってるのか)
舌打ちを飲み込みながらも、シアンの視線は揺るがない。
ならば――。
「もっと当てるだけだ!」
「面白ぇじゃねぇか!!」
ディルモットの両腕が低く唸りを上げた。
装甲が変形し、腕部から二門のガトリング砲がせり出す。
「チッ……ガトリングまで積んでやがるのか!」
「蜂の巣になりやがれェ!!」
蒸気圧で銃身が高速回転を始めた瞬間、無数の鉄弾が暴風となって吐き出された。
轟音が空気を震わせ、床は次々と抉られ、壁には巨大な穴が穿たれていく。
シアンは迷わずワイヤーアンカーを天井へ撃ち込んだ。
鋼線に身体を預け、そのまま振り子のように大きく弧を描く。
弾丸は彼の足元を掠め、衣服の裾を裂きながら背後へ流れていった。
「当たらねぇなぁ! どうしたディルモット!」
「調子に乗ってんじゃねぇぞォォォッッ!!」
怒号とともに背部ブースターが咆哮する。
蒸気を噴き上げた巨体が再び一直線に加速した。
質量そのものが襲いかかってくるような圧力。
しかしシアンは逃げない。
真正面から踏み込み、互いの距離がゼロになる寸前で身体を半歩だけ滑らせた。
鉄拳は肩先を掠めることすらなく空を裂く。
「あらよっと!」
すれ違いざま、シアンの拳が後頭部を打ち抜いた。
衝撃でディルモットの頭が大きく揺れたが、それでも倒れない。
「……効いてねぇって言ったろうが!!」
唸るような声とともに振り返りざまの裏拳が迫る。
シアンはすでに天井へアンカーを撃ち込み、身体を真上へ引き上げていた。
「甘い!」
鋼線を切り離すと同時に、今度は床へ撃ち込む。
牽引方向が一瞬で切り替わり、空中で軌道が鋭く折れ曲がる。
常識ではあり得ない角度からディルモットの死角へ回り込んだシアンは、そのまま肩口へ雷撃をまとった拳を叩き込んだ。
火花が激しく散り、黒い焦げ跡が装甲へ刻まれる。
「まだまだぁ!!」
ディルモットが床を踏み砕く。
衝撃で飛び散った石片は弾丸のような勢いでシアンへ降り注ぐが、彼は跳ね上がった破片を足場にしてさらに高く舞い上がった。
「逃がすかよ!!」
両腕のガトリングが再び火を噴き、鉄弾が天井ごと切り裂き雨のように降り注ぐ。
その中を、シアンはワイヤーアンカーを次々と撃ち込みながら縦横無尽に駆け抜けていく。
右へ。左へ。上へ。
落下すると見せかけ、再び急上昇。
鋼線を張り替えるたびに軌道は鋭角に変化し、その姿は夜空を舞う燕のようだった。
「どこだ……!」
ディルモットが視線を巡らせた、その瞬間だった。
「ここだよ!」
眼前へ着地したシアンが、一気に踏み込む。
上段。中段。下段。
雷光をまとった拳が息つく間もなく繰り出され、ディルモットの全身を打ち据えていく。
腹部。脇腹。肩口。顎。
一撃一撃は決定打には至らない。
それでも、技量の差は明らかだった。
ディルモットの反撃はことごとく空を切り、シアンの拳だけが確実に装甲を叩き続ける。
「くっ……!」
ディルモットの表情から、ようやく笑みが消えた。
「余裕がなくなってきてるな、鉄殻野郎!」
「だったら……これならどうだァ!!」
背部ブースターが限界まで開放される。
轟ッ――!!
爆発的な蒸気が周囲へ吹き荒れ、熱風が暴風となって部屋を飲み込んだ。
「うおっ!」
シアンの身体が大きく弾き飛ばされる。
床を滑りながらも、咄嗟にワイヤーアンカーを撃ち込み、壁へ固定することで勢いを殺した。
蒸気の向こうから、ディルモットがゆっくりと歩み寄ってくる。
「確かに当ててきやがる。全部だ。そこは認めてやる」
重々しい足音が一歩ずつ近づく。
「だが――効かねぇなら意味がねぇ!」
シアンは静かに立ち上がった。
左腕のレヴィンコアがこれまで以上に強く脈打ち、青白い雷光が義手全体を覆い空気そのものを震わせ始めた。
「なら効かせりゃいい話だろ」
ディルモットが獰猛に笑う。
「ようやく本気かよ!」
「……お前を倒すための、本気の一歩だ」
二人の視線が真正面からぶつかる。
次の瞬間だった。
ディルモットが床を砕きながら突進し、シアンもまた雷光をまとって一直線に踏み込む。
鉄と雷。
二つの力が真正面から衝突した。
轟音がアジト全体を揺らし、爆ぜた衝撃が周囲の機材を吹き飛ばす。
「おらァァァァァ!! 来いよクソガキがァァァァッ!!」
「お前なんかに、絶対に負けねぇよ!!」
鉄駆と鉄拳が激突するたびに火花が散り、雷光と蒸気が幾度もぶつかり合う。
爆煙の中で二つの影が交差し、離れ、再びぶつかる。
どちらも倒れない。
どちらも膝をつかない。
ただ、鉄と雷の激突だけが、さらに激しさを増していくのだった。




