71.邪悪なる鉄駆
「なあ、頼むよ! もう悪さはしねえ、ルーグレ厶からも抜ける!」
床に膝をついた男は、必死に両手を突き出しシアンへ哀願していた。
その声は涙と汗で濁り、さっきまで威勢よく刃を振り回していたのが嘘のように震えている。
荒れ果てた部屋の中で、彼の息遣いだけがやけにうるさく響いた。
シアンは歩みを止めず、ゆっくりと男に近づいた。
重い足音がひとつ鳴るたびに、男の喉がゴクリと動く。
「……今までお前らに暴力を振るわれた奴らも、今のお前みたいに泣きついたはずだ」
シアンの声は静かだったが、その奥底には抑えた怒りが確かに宿っていた。
「でも、お前らはやめなかったろ?」
「ひ、ひぃぃ!」
男は尻をつきながら後退りし、背中を壁に擦りつけるように必死で逃げようとする。
シアンはそれを追うように一歩踏み出した。
「因果応報だよ。それだけ、お前らはやりすぎたってことさ」
「因果応報だあ!? 違う! 違うんだよ!」
男は首をぶんぶん振りながら叫ぶ。
「俺たちはみんなボスの命令に逆らえなかっただけなんだよ! 俺が好きでやったわけじゃ──頼む、本当に許してくれ!」
その必死の後退りの末、男はディルモットの入っていった扉に背中をぶつけた。
その時、男の顔に突如として別種の色がよぎる。
生き残るためなら何でもするという醜い希望の色だ。
「そ、そうだ! ディルモットを一緒にやっちまおうぜ!」
笑顔とも引きつった表情ともつかない顔でシアンを見上げる。
「アンタと俺なら、きっとあの野郎を倒せる! 俺は味方になる、ほんとだ!」
「……お前、自分のボスを売るのかよ」
シアンが眉をしかめたその瞬間だった。
「……誰と誰が俺を倒せるって?」
扉の奥から、鉄の板を擦るような低い声が響き渡った。
——ドゴォン!!
鈍い爆音とともに扉が破砕し鉄のアームが煙を巻き上げながら飛び出し、その巨大な爪が男の頭を一瞬で鷲掴みにした。
「ひぃぃ!! ボ、ボス! 違うんです!! 俺は、これは、その! こいつを油断させようとッ──」
男は喉を震わせ涙と鼻水を垂らしながら必死の弁解をしようとするが、鉄のアームはそれを待たない。
ギリ、ギリリ……ミシミシッ……
金属が軋む音とともに、アームの握力がゆっくりと強まっていく。
「や、やめ……あがっ!あががが──!」
男は絶叫し、両手でアームを必死に引き剥がそうとするが、びくともしない。
爪の根元から漏れ出す蒸気が、じわりと彼の頭皮を焼いた。
ディルモットの声が、粉塵の向こうから淡々と届いた。
「全くよ……寄せ集めの集団はこれだから困る。やばくなればすぐ裏切る。ほんっと使えねぇなあッ!」
次の瞬間、耳を塞ぎたくなる湿った音とともに、男の頭が潰れた。
血と破片がアームから滴り落ち、身体は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「なっ……!」
シアンは衝撃に息を呑み、怒りと嫌悪が胸に逆流する。
粉々になった扉を踏みしめながら、ディルモットが姿を現す。
首から下を覆う全身装着型のアーマー。
鉄の巨体が呼吸するように蒸気を噴き、機構音が低く響く。
「……アイアンスパート」
シアンの声に警戒が混じる。
アイアンスパート——。
蒸気圧駆動による完全戦闘用の外骨格。
補助用のギアランナーとは違い、着用者を残酷な戦闘マシンに変える装置。
ディルモットは血まみれのアームを揺らしながら笑った。
「ご名答! しかも俺のは“リミッター解除”済みだ! だからこんな芸当も簡単にできちまう!」
彼は掴んでいた部下の潰れた頭をシアンにわざと見せつけ、ゴミのように放り捨てた。
「──ッ!仲間じゃねえのかよ!」
ついにシアンの怒りが声に乗った中、ディルモットは嗤う。
「仲間ぁ? さっきの台詞聞いただろ? あいつはピンチになったら俺を売るつもりだった。そんな奴、仲間なわけねえだろ」
そしてディルモットはシアンの電撃で気絶していた男の頭を、平然と踏み潰す。
骨と金属の潰れる音が混ざり合った。
「お前! 何やってんだよ!」
シアンの怒りは一気に頂点へと跳ね上がった。
「こいつらは使い捨ての駒だ! どうせさっきの奴みたいにそのうち俺を裏切る!」
ディルモットはなぜか寂しそうな表情を浮かべるが、その目はまるで凍った鉄のように冷たい。
そして、巨体を揺らしながらシアンの目の前に立つ。
蒸気が咆哮のように噴き出し、廊下の空気が震えた。
「そういえばよ」
ディルモットは首を傾げる。
「お前がここに来た理由、まだ聞いてなかったな」
シアンは拳を握り、真っ直ぐ相手を睨む。
「……タカカゲさんから奪った飛行船の鍵を取り返しに来た。でも、もう……それだけじゃない!」
その瞳には怒りだけでなく、確かな覚悟が宿っていた。
「ディルモット・ユークリウス!」
シアンは名を呼び捨て、静かに宣告する。
「お前もルーグレムも──今日で壊滅させる」
一瞬の静寂。その後、爆発のようにディルモットが笑い出した。
「あははは! あの野郎の仕返しか! いいぜ、鍵なら今出てきた部屋にある!」
金属の胸板を叩きながら続ける。
「それにしても…壊滅?俺も? おもしれえじゃねえか……!」
ディルモットの外骨格が咆哮し、蒸気が激しく噴き上がる。
「やってみろよォォォォ!!」
鉄と蒸気が震える根城に──
ついに、シアンとディルモットの死闘が幕を開けた。




