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蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第2章、夢と決意を乗せて
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66.灯る者たちの影と誓い

シアンと言葉を交わしたあと、タカカゲはアマテラスに肩を貸されながら、西地区の飛行場をあとにした。


夕暮れのアルディスは、街並みを茜色に染め始めていた。


中央広場へ向かう石畳には、人々の長い影が伸び、露店からは威勢のいい呼び声が響いている。

誰もがいつも通りの一日を過ごしているはずなのに、タカカゲの胸だけは重く沈んだままだった。


脳裏に焼き付いて離れないのは、壊された飛行船メンデルスゾーンの姿。


ようやく掴んだ夢を、理不尽な暴力で踏みにじられたあの光景が、夕日に照らされる街並みと重なって何度も胸を締めつける。


やがて二人が辿り着いたのは、中央区の一角に建つノートン診療所だった。


決して大きな診療所ではない。

それでも、この街で怪我や病に倒れた者なら、誰もが真っ先に頼る場所だった。


診察を終えたドクター・ノートンは、大きな腕を組んだまま一つ頷く。


「……うむ。外傷は酷いが、脳も内臓にも異常は無いようだ」


そう言ってタカカゲの顔を見る。


「ただし……そうだな。二日は安静にした方がいい。うちのベッドで大人しくしているんだ」


その傍らでは、看護師でありノートンの妻でもあるルナが、優しく微笑んでいた。


「本当に派手に怪我をしちゃいましたね。無理しちゃダメよ」


包帯を巻き終えた彼女の穏やかな声に、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


タカカゲはベッドへ身を預けると、胸の奥に溜まっていた息をゆっくりと吐き出した。


悔しさも、情けなさも消えたわけではない。

それでも命が助かったという事実だけは、少しだけ心を軽くしてくれた。


「……すまない、先生。恩に着るよ」


「先生、ありがとうございます」


隣の椅子に腰掛けたアマテラスも、深々と頭を下げる。


その表情には安堵が浮かんでいた。


だが、その胸の内には別の不安が静かに渦巻いている。

今ごろシアンは、たった一人でルーグレムの根城へ向かっている。


あの青年ならきっと大丈夫だ。

そう信じていても、心配せずにはいられなかった。


そんな胸の内を見透かしたように、タカカゲが静かに口を開く。


「アマテラス……そういえば、何故お前とあの人たちは俺のところへ?」


「あ、ああ……」


アマテラスは思い出したように頷いた。


「そういえば、その話をまだしてなかったね……実は――」


椅子へ腰を下ろすと、シアンたちが飛行場へやって来た理由をゆっくりと語り始めた。


その頃、スチーム・フィールドでは修理の準備が慌ただしく進められていた。


「カイ! 制御管の測定器と外装板を積んどきな!」


工房いっぱいにグレンダの声が響く。


「ルシア、お前さんは工具箱の整理! 格納庫の飛行船をすぐに直せるようにするよ!」


「はい!」


二人は返事をすると、それぞれの持ち場へ散っていく。


工具の音が鳴り響き、工房はいつもの活気を取り戻していた。


しかし、その中でふとルシアの手が止まる。

工具を握ったまま俯き、不安そうに唇を結んでいた。


そんな彼女の様子に気づいたカイが、優しく声を掛ける。


「……お姉ちゃん、心配なの?」


ルシアは少し困ったように笑う。


「はい……」


シアンの強さを忘れたわけではない。

それでも、今回の相手は一人や二人では済まない。


そんな不安が胸から離れなかった。


するとカイは、いつものように屈託なく笑った。


「大丈夫だよ!」


その言葉には迷いがない。


「お姉ちゃん、地下で見たでしょ? あの兄貴の強さ!」


帝国軍特殊部隊、錆翼のスピアーを打ち倒した男。

あの時のシアンは、絶望を切り裂く刃そのものだった。


だが、それでもルシアは静かに首を振る。


「でも……今回の相手はきっとたくさんいます。一人で相手をするには……」


「心配いらないよ!」


カイは胸を張った。


「兄貴は”スモーク・ウォーカー”なんだから!」


その名を聞いた瞬間、ルシアの目がわずかに見開かれる。


アルディスの裏社会で語り継がれる伝説。

煙のように現れ、悪を裁いて姿を消す男。


「たくさんの悪者を倒してきたアークラインの裏社会の伝説! だから兄貴が負けるわけないよ!」


その笑顔には、一片の迷いもなかった。

兄を信じる気持ちが、そのまま言葉になっていた。


その姿を見ていると、不思議とルシアの胸にも少しだけ勇気が灯る。


「……はい。そうですね」


不安が消えたわけではない。

それでも彼女は小さく微笑むと、再び工具箱へ手を伸ばした。


同じ頃。


夜の帳が下り始めたランプ通りでは、赤い電飾が石畳を妖しく照らしていた。


娼館——《ルビーの小径》。


その一室で、シアンは黒髪の情報屋フィーナと向かい合っていた。


「——以上がルーグレムについてよ。他に何か聞きたいことはあるかしら?」


フィーナは長い黒髪を耳へ流しながら、ゆっくりと脚を組み直す。


「助かったよ、フィーナ」


シアンは頷いた。


「それにしても……ルーグレムのボスがディルモット・ユークリウスとはな」


その名を口にした瞬間、左腕の義手が低く軋む。


ディルモット・ユークリウス。


かつてラッドベイルのボスの右腕として恐れられた男。

しかし、その残虐さゆえに組織から追放された異端の怪物。


「それにしても」


フィーナが妖艶に微笑む。


「スモーク・ウォーカーがマフィアとぶつかるなんてね。どういう風の吹き回しかしら?」


シアンは肩をすくめた。


「ちょっと、夢を傷つけられた男の仕返しにな」


義手の指先が、机を軽く叩く。


「それと今回は――“スモーク・ウォーカー”としてじゃねえよ」


一拍置いて、静かに続けた。


「シアン・クロウ=フィールドとして行く」


その言葉に、フィーナは目を細める。


「夢を傷つけられた男……。なるほど、あの飛行場の件。あなたたちも関わっているのね」


「ほんと、お前は耳が早いな」


シアンは苦笑しながら立ち上がった。


「ってわけで、ちょっくら怪物退治してくるわ」


軽く手を振ると、そのまま部屋をあとにする。


扉が静かに閉まり、部屋に再び静寂が戻った。

残されたフィーナは、グラスを揺らしながら小さく呟く。


「ルーグレム……」


その唇に妖しい笑みが浮かぶ。


「あなたたち……怒らせちゃいけない人を怒らせたわね」


窓の外では、夜のアルディスに無数の灯りがともり始めていた。


その光のどこかで、一人の青年が誰かの夢を取り戻すため、静かに歩みを進めていることを知る者は、まだ誰もいなかった。

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