65.蒼天を取り戻す者たち
アマテラスに支えられながら、タカカゲは格納庫の床に横たわっていた。
かつては自分の夢を乗せ、どこまでも青い空へ飛び立つはずだった場所は、今では壊れた機材と散らばった金属片に埋め尽くされている。
鼻を刺すのは、破壊された機械から漂う鉄の匂いと古い油の臭いだった。
そこには本来、空へ向かう希望に満ちた場所にあるはずの明るさはなく、誰かの大切なものを踏みにじった後だけが、重く沈んだ空気となって残っていた。
そんな静まり返った格納庫の中に――。
コツ……コツ……と、小さな足音が響く。
その音に気づいたタカカゲがゆっくり顔を上げると、薄暗い灯りの中から、シアンが彼に向かって歩いてきた。
左腕の義手が動くたび、内部の歯車が小さく噛み合い、低い機械音を鳴らす。
その金属の輝きは、壊れた飛行船の残骸を照らすわずかな光のようだった。
普段なら軽口を叩き、どこか飄々としている青年。
しかし今のシアンの表情には、いつもの柔らかさはなかった。
目の前で誰かの大切なものを奪われた怒り。
そして、それを見過ごすことができない強い意志。
その二つが、まっすぐ瞳の奥に宿っていた。
シアンはタカカゲの前にしゃがみ込み、同じ目線になる。
「タカカゲさん……だったよな」
静かな声だった。
「……あんた、このままでいいのか?」
荒い呼吸を繰り返していたタカカゲは、驚いたようにシアンを見る。
床についた手には力が入り、汚れた指先が震えていた。
悔しさも、怒りも、そしてどうすることもできなかった自分への情けなさも、すべてそこに滲んでいる。
「このままでいい……というのは……どういうことだ?」
掠れた声で問い返す。
するとシアンは、ゆっくりと後ろにある飛行船へ視線を向けた。
「どういうこともねえよ」
そして親指で、壊された船体を指す。
「このままやられっぱなしでいいのかって聞いてんだ」
傷だらけになった外装。
叩き壊された機械。
奪われた鍵。
そのすべてを見つめながら、シアンは続ける。
「あんたの夢も……あんたの相棒も……」
義手の指が、ぎり、と小さな音を鳴らした。
「こんな雑な暴力で壊されて、本当にいいもんなのか?」
その言葉は怒鳴り声ではなかった。
けれど、静かな分だけ強く響いた。
まるでタカカゲ自身が奥底に押し込めていた気持ちを、無理やり引き出すような声だった。
シアンは壊れた飛行船を見る。
「あんたの“相棒”……」
少しだけ目を細める。
「あいつだって、きっと納得なんかしてねえよ」
タカカゲの瞳が揺れる。
「こんな終わり方でいいわけねえって……そう思ってるはずだ」
静かな言葉だった。
しかしその一言一言が、消えかけていた火種へ少しずつ風を送っていく。
「どうなんだ、タカカゲさん」
シアンはもう一度問いかけた。
「あんたは……このままやられっぱなしで、本当に終わるのか?」
その言葉に、ルシアが慌てて前へ出る。
「シアンさん……! この方はこんなに傷を負っているんです! 今そんなことを言うのは――」
だが、その声を遮るように。
「お、俺は……」
タカカゲの口から、震える声が漏れた。
アマテラスも心配そうに近づく。
「タカ……無理をしないで」
そしてシアンを見る。
「シアンくん、彼女の言う通りだよ。今はそんな――」
しかし、その瞬間だった。
タカカゲの拳が強く握りしめられる。
震えていた手が、今度は別の理由で震えていた。
「……俺は」
絞り出すような声。
「俺は……!」
次の瞬間。
「このままじゃ終われない!!」
叫び声が、静まり返った格納庫全体に響き渡った。
涙。
悔しさ。
そして、もう一度立ち上がるための決意。
それらすべてが混ざった叫びだった。
「俺は空を飛びたい……!」
タカカゲは壊れた飛行船を見る。
「たくさんの人に……あの空の青さを知ってほしいんだ!」
震える声で、それでもはっきりと言葉を続ける。
「親父が残した夢を……俺は叶えたい!」
そして、壊れた相棒へ手を伸ばす。
「俺の飛行船……メンデルスゾーンを……絶対に、もう一度空へ上げたい!」
その言葉を聞いたアマテラスは、胸元へ手を当てた。
長い付き合いだからこそ知っている。
この男が、どれほどその夢を大切にしてきたのかを。
グレンダも腕を組みながら、静かに頷いていた。
そして――。
「決まりだな」
シアンが立ち上がる。
「ばあちゃん、カイ」
呼ばれた二人へ向けて、迷いのない笑顔を向けた。
グレンダは壊れた飛行船へ歩み寄ると、巨大な船体へそっと手を触れる。
「ふーむ……」
指先で傷をなぞる。
「派手にやられてるねぇ」
けれど、その声には悲観はなかった。
「普通なら修理には時間も金も山ほどかかる」
そして船体を軽く叩く。
「だがね」
グレンダは笑った。
「今ここには、何でも屋のスチーム・フィールドがいる」
「お前さんの相棒、ちゃんと空へ戻してやるさ」
そして横を見る。
「なあ、カイ?」
カイはすでに飛行船の周囲を確認していた。
「うん……!」
目を輝かせながら頷く。
「外装はかなり壊れてるけど、内部機関の重要部分は無事だよ!」
「制御管を直して、外装を補強すれば……」
カイは拳を握る。
「数日でいける!」
その言葉に、タカカゲは唇を噛んだ。
「でも……俺には……修理費なんて……」
するとグレンダは、静かに首を振る。
「これは、お前さんの夢なんだろう?」
優しい声だった。
「アタシはね、人の夢に値段なんかつけられないよ」
その瞳には、長い人生を歩んできた者だけが持つ強さがあった。
「ましてや……誰かを幸せにするための夢ならね」
タカカゲの目から、再び涙が落ちる。
「……ありがとう」
小さな声だった。
けれど、その言葉には心からの感謝が込められていた。
「ルシア」
グレンダが振り返る。
「悪いけど、お前さんも手伝ってくれるかい?」
「は、はい!」
ルシアは迷うことなく頷いた。
その瞳には、もう旅の同行者としての覚悟が宿っていた。
シアンはタカカゲへ向き直る。
そして拳を軽く突き合わせた。
「てわけだ」
「俺たちが、あんたの夢を繋げる」
「……いいだろ?」
タカカゲは涙を拭いながら、何度も頷いた。
「ありがとう……」
しかし。
シアンの表情は、すぐに引き締まる。
「で――」
低い声で続ける。
「鍵を奪ったルーグレムの奴らは、どこにいるだ?」
その問いに、アマテラスの顔が強張った。
「ルーグレムなら……ここから少し行った貧民街に根城があるんだけど——」
そして慌てて続ける。
「まさか……シアンくん、一人で行くつもりじゃ!?」
シアンは静かに笑った。
「アマテラスさん……タカカゲさんの手当は任せます」
そして義手を握る。
「——俺なら、大丈夫です」
穏やかな声だった。
だが、その瞳の奥には揺るがない炎が灯っていた。
誰かの夢を踏みにじる奴を、放っておくことはできない。
義手の歯車が低く唸り、格納庫の薄暗い灯りの中で静かに輝く。
奪われた夢を。
失われかけた希望を。
もう一度、空を愛する男の胸に取り戻すために。




