64.砕かれた夢と、立ち上がる火種
飛行場の中心から離れるにつれて、先ほどまで響いていた蒸気機関の唸り声や商人たちの怒号は少しずつ遠ざかっていった。
代わりに鼻をくすぐるのは、古びた油の匂いと鉄の冷たい香りだった。
人の往来も少なくなった西端。
そこには、大きな青色の格納庫がひっそりと建っていた。
周囲の巨大な企業用格納庫と比べれば飾り気はなく、どこか寂しげにも見える。
けれど、その扉の向こうには、ただの機械ではないものが眠っているような気配があった。
誰かが長い時間をかけて追い続けた夢。
その形が、静かにそこへ置かれている。
「それで、その男はどんな奴なんだい?」
歩きながら、グレンダが隣を歩くアマテラスへ尋ねる。
するとアマテラスは、いつの間にか手にしていた干し肉を口から離し、少しだけ懐かしそうな顔を浮かべた。
「名前は、タカカゲです。どんな奴……そうですねぇ」
少し考えるように空を見る。
「僕と同じで、昔は帝国軍の飛行士でした」
「へぇ、軍人だったのか」
シアンが反応する。
「はい。でも、あいつは僕なんかよりずっと真っ直ぐな奴ですよ」
アマテラスは笑った。
「空に上がった時の顔なんて、本当に楽しそうで。まるで世界中どこへでも行けるって信じてるみたいな……そんな奴でした」
その言葉には、長い付き合いだからこそ分かる信頼が滲んでいた。
「父親が戦闘艇の設計士だったんですけどね。その人が事故で亡くなる前に、ひとつだけ言葉を残したそうです」
アマテラスはゆっくり続ける。
「『空の青さを、多くの人に知ってもらいたい』って」
「……いい親父さんだったんだな」
カイが小さく呟いた。
「ええ」
アマテラスは頷く。
「だからタカカゲは、その夢を継いだんです。軍にいる限り、空を飛べても……誰かを傷つけるために飛ぶことになる」
「それが嫌になって、軍を辞めた」
「そしてやっと、自分の飛行船を買ったんです」
「へぇ……夢を叶えたってわけか」
シアンは感心したように声を漏らした。
その言葉には、少しだけ羨ましさが混じっていた。
自分の信じるものを追い続け、ようやく手に入れたもの。
それがどれほど大切なのか、シアンにも分かっていた。
「ただ……」
アマテラスは苦笑する。
「頑固で、不器用で、ちょっと口下手なんですよ」
「それはアマテラスさんも似たようなもんじゃねえか?」
シアンが言うと、アマテラスは一瞬固まった。
「はははっ。……否定できませんねぇ」
そんなやり取りをしているうちに、五人は格納庫の前へ辿り着いた。
「タカー! いるかーい?」
アマテラスが大きな扉へ手をかける。
錆びた金属が擦れる音を響かせながら、扉がゆっくり開いていった。
しかし。
その瞬間、五人の足が止まった。
「……なんだい、こりゃ」
グレンダの声が低くなる。
中は、ただ散らかっているだけではなかった。
床には工具や金属片が無数に転がり、棚は倒れ、壁際には何かを叩きつけたような傷が残っている。
そして、その中央にあるはずの飛行船は――。
夢を乗せるはずだった翼は、無惨な姿になっていた。
外装は大きくへこみ、船体には鉄パイプで殴られたような痕がいくつも刻まれている。
「……タカ……?」
アマテラスの声が震えた。
その視線の先。
壊れた飛行船の前に、一人の男が倒れていた。
「タカ!」
アマテラスが駆け寄る。
男――タカカゲは、ゆっくりと目を開けた。
「……アマテラス……か……」
声は弱々しく、息をするだけでも痛みに耐えているのが分かる。
「一体、何があったんですか!?」
ルシアが駆け寄る。
するとタカカゲは、悔しそうに拳を握った。
「……マフィアだ」
「マフィア?」
カイが顔を上げる。
「俺が飛行船を買ったって話を聞きつけてきやがった……」
タカカゲの声が震える。
「貸せって言われたから、断ったら……」
視線が壊れた船へ向く。
「こうされた」
その言葉だけで十分だった。
「鍵も奪われた……船も壊された……」
タカカゲは唇を噛む。
「まだ借金だって残ってるのに……これじゃ……俺の夢は……」
拳が震える。
床へ落ちた涙が、冷たい金属の上で小さく弾けた。
「マフィアって……ラッドベイル?」
カイが呟く。
だがアマテラスは首を横に振った。
「いえ、違います」
声には確信があった。
「ラッドベイルは、こんなやり方はしません。それに、彼らはこの辺りを縄張りにはしていない」
「なら……」
グレンダが目を細める。
「ルーグレム……だね」
その名前が出た瞬間、空気が変わった。
聞きなれない単語に、ルシアは眉をひそめた。
「ルーグレム、ですか?」
「ああ。ラッドベイルや、この街のマフィアから追い出された連中が集まって最近できた新興マフィアさ」
グレンダは静かに言う。
「昔の連中みたいな筋も通さない。ただ欲しいものを奪うだけの連中だ」
シアンは何も言わず、壊された飛行船を見つめていた。
そこに残されているのは、ただの破壊跡じゃない。
誰かが必死に追いかけた夢を、平気で踏みにじった跡だった。
「……なあ。ばあちゃん、カイ」
シアンが小さく口を開き、二人を少し離れた場所へ呼ぶ。
「……ここで、この人助けたらさ」
シアンは壊れた船を見る。
「飛行船に乗せてもらえるんじゃねえかな」
「兄貴!」
カイが呆れたように見る。
「こんな時にどうしてそんなこと言うのさ!?」
カイは思わず声を荒げた。
いつだって誰かのために動くシアンが、そんな理由を口にしたことが信じられなかった。
グレンダは黙ってシアンを見て、そして小さく笑った。
「そんな顔して言われてもねぇ」
「何がだよ」
「お前さん、理由なんて最初からどうでもいいんだろ?」
シアンは少しだけ黙った後に、肩をすくめる。
「……まあな」
「目の前で夢壊された奴を見て、知らん顔できるほど器用じゃねえよ」
その言葉に、グレンダは満足そうに笑った。
「なら決まりだ」
杖を握り直す。
「アタシも恩を売るとするかね」
「どうせなら、とびきり大きな恩をね」
カイはそんな二人を見て、小さく笑った。
やっぱり自分の兄貴分は、どこまでも人のために動ける人間なんだと心の底から嬉しくなり拳を握りしめた。
「やっぱり、兄貴は最高だよ」
壊された飛行船。
奪われた鍵。
踏みにじられた夢。
けれど、その場所に残された火種はまだ消えていない。
小さな反撃の炎が、今まさに静かに燃え始めていた。




