63.風切り羽音と嘘の通らぬ空
翌朝。
アルディス西部の飛行場は、まだ太陽が街を完全に照らしきる前だというのに、すでに多くの人間の声と機械音で満たされていた。
巨大な格納庫の前では整備士たちが飛空艇の外装を点検し、蒸気を吐き出す機関部からは低い駆動音が響いている。
空輸用の荷物を積み込む作業員の怒号、出発を待つ旅客たちの話し声、金属製の足場を歩く音。
地上にいながら、まるで巨大な港にでもいるような騒がしさだった。
その喧騒の一角で、シアンたちはひとりの男を取り囲んでいた。
「えええっ!? グレンダさん、本気で言ってるんですかぁ!?」
男は目を丸くしながら、飛び上がりそうな勢いで叫ぶ。
その口には、なぜかまだ食べかけのパンが挟まったままだった。
「エルロン修理の代金を帳消しにする。その代わり、あたしらをククルカンまで乗せてほしい。それだけの話さ」
グレンダはいつもの調子で杖をつきながら言い切る。
その隣では、カイがシアンとルシアに胸を張っていた。
「どう? 僕の考えた作戦!」
「いや……作戦っていうか、交渉だろ」
シアンが苦笑する。
そんな四人を前に、男は困ったように眉を下げた。
男の名は、アマテラス。
黒髪を後ろで束ね、厚手の革コートを身につけた姿は、いかにも空を渡る飛行士らしい格好をしている。
頭に乗せた操縦用のゴーグル。風を読むような鋭い目つき。
その姿だけを見れば、経験豊富な凄腕操縦士に見える。
だが。
「いやぁ……修理代が無料になるのはですね……本当にありがたいんですよ?」
パンを飲み込みながら、アマテラスは申し訳なさそうに続ける。
「僕としても、ぜひ乗せてあげたい気持ちはあるんです」
「なら決まりじゃねえか」
シアンが言うと、アマテラスは慌てて両手を振った。
「いやいやいや! そこが問題なんですよ!」
「今、軍の確認がものすごく厳しくなってまして……」
その言葉に、シアンの表情が少し変わる。
「バルナスとの緊張ってやつか」
「そうなんです……」
アマテラスは肩を落とす。
「昔なら、ちょっとした抜け道とかもあったんですけどねぇ……今は軍が直接手続きを確認してるので、変なことをしたらすぐ分かっちゃいます」
「バレたら?」
ルシアが尋ねる。
アマテラスは困ったように笑った。
「会社が止まります」
その一言だけは、いつもの抜けた雰囲気とは違っていた。
「僕ひとりならまだいいんですよ。でも、うちには働いてくれている人たちがいますから」
革の手袋を握りながら、アマテラスは続ける。
「僕の勝手で、その人たちの生活まで巻き込むわけにはいかないんです」
その言葉に、グレンダは静かに頷いた。
「なるほどね」
杖の先で地面を軽く叩く。
「筋は通ってる。自分の都合だけで、人様の仕事を危険に晒すわけにはいかないってことか」
「はい……すみません」
アマテラスが頭を下げる。
カイも残念そうに肩を落とした。
「せっかくいい方法だと思ったのになぁ……」
「いや、カイの考え自体は悪くねえよ」
シアンが笑う。
「問題は世の中、そう簡単にはいかねえってだけだ」
その時だった。
「あとですね……」
アマテラスが申し訳なさそうに口を開く。
「実はもうひとつ問題がありまして」
「まだあるのか?」
シアンが顔をしかめる。
「はい……」
アマテラスは遠くを見る。
「うちの飛空艇、今朝出た便を最後に全部出払っちゃったんです」
その言葉に、ルシアの表情が曇った。
「では……やはり許可が下りるまで待つしか……」
小さな声で呟く。
その落胆した姿を見たアマテラスは、しばらく考え込んだ。
そして。
「あっ!」
突然、大きな声を上げる。
「何か思いついたのか?」
シアンがすぐに反応した。
アマテラスは指を立てる。
「僕の友人がいるんです」
「友人?」
「はい。その人、最近……個人で飛行船を買ったんですよ」
「個人で!?」
シアンが目を見開く。
「そんなもん買えるのかよ!?」
「まあ……普通は無理ですね」
アマテラスは苦笑した。
「かなり無茶な借金までしたみたいですけど」
「そこまでして?」
ルシアが驚く。
するとアマテラスは、少しだけ嬉しそうに笑った。
「それでも欲しかったらしいんです。空を飛ぶための、自分だけの船が」
そう言って、飛行場の端へ視線を向ける。
そこには、大企業の巨大な格納庫とは違う、小さな青い鉄骨の建物があった。
周囲の喧騒から少し離れた場所。
まるで、そこだけ別の時間が流れているようだった。
「あそこです」
アマテラスが指を向ける。
「たぶん、まだいると思います」
グレンダは小さく笑った。
「なら、行ってみるしかないね」
歩き出す。
その背中を追うように、シアンたちも続いた。
「ただ……ひとつだけ」
アマテラスが苦笑しながら付け加える。
「その友人、少し……いや、かなり気難しい人でして」
「大丈夫!」
カイが元気よく答える。
「話せば分かってくれるよ!」
「そうだといいんですけどねぇ……。あ、そしたら僕も交渉に参加しますよ。その代わり、エルロン修理の件……ね?」
「……いいだろう。もし成功したら代金は帳消しにしてやるさ」
グレンダが小さく頷くと、アマテラスは意気揚々と歩き出す。
飛行場の大きな喧騒を背に、五人は小さな格納庫へ向かっていく。
まだ誰も知らなかった。
その先に待つ出会いが、ククルカンへ向かうための翼となることを。
そして、その翼を持つ男が、ただの飛行士ではないことを。




