61.狂気の可能性
スチーム・フィールドへ戻った頃には、アルディスの街を照らしていた太陽は海へと沈み始めていた。
工房の小さな窓から差し込む夕暮れの光が、並べられた工具や歯車を赤く染め、いつもなら聞き慣れたはずの蒸気機関の音さえ、どこか静かに響いているように感じられる。
シアン、カイ、ルシアの三人が戻ってきた姿を見たグレンダは、工具を置くこともなく、その表情だけで何かを察した。
「……随分と妙な顔をして帰ってきたね」
「分かるか?」
シアンが苦笑する。
「誰がお前さんとカイを育てたと思ってるんだい? その雰囲気だけで、掴んできたことくらい分かるさ」
グレンダは椅子へ腰掛けると、三人へ視線を向けた。
「それで? 何が分かったんだい」
その一言に促されるように、シアンたちは図書館で起きた出来事を話し始めた。
レオナール・グレイン。
帝国の歴史から消された天才技術者。
そして、その人物と共に研究をしていたエーテル研究者の存在。
全てを聞き終えたグレンダは、しばらく何も言わなかった。
やがて、机の上に置かれた古い資料へ視線を落とし、小さく息を吐く。
「……そうかい」
「ああ、ばあちゃんの睨んだ通りだった」
シアンはゆっくりと頷く。
「蒸気の心臓とエーテル。どちらもただの技術じゃない。生まれた過程に、妙な共通点がありすぎるんだよ」
指先でトントンと机を叩く。
「それにしても……レオナールの友人に繋がるとはね」
その声には驚きと、わずかな警戒が混じっていた。
「思った以上に、心臓に近付いたのかもしれないね」
シアンは黙って義手へ視線を落とした。
左腕に宿る蒸気兵装。
この技術も、レオナールが作り出したもののひとつ。
自分が追いかけ始めたものが、ただの失われた技術ではないことを改めて感じた。
「ばあちゃん、ククルカン渓谷へ行こう」
拳を握る。
「今すぐにでもな」
「ねえねえ。そのククルカンって、どんな所なの?」
カイが首を傾げる。
するとルシアが窓の外へ目を向けながら答えた。
「アークライン帝国の北方にある、大きな渓谷地帯です」
その声には、どこか記憶を探るような響きがあった。
「地形は険しく、風も強い場所です。昔から人が簡単に近づける場所ではありません」
「だが、今は違う」
グレンダが続ける。
「白電鉱石が見つかってから、あそこは帝国でも有数の採掘地域になった」
机の上の地図を広げる。
「鉱山ができ、研究施設が建ち、商人や技術者が集まった。今じゃ立派な採掘街と研究街さ」
「じゃあ、そこへ行けばパールさんのお父さんに会えるんだね」
カイが少しだけ期待を込めた声を出す。
しかし、グレンダの表情は晴れなかった。
「問題は……行き方さ」
その言葉に、シアンの眉が動く。
「普通の道は?」
「無理だね」
即答だった。
「あそこは崩落が多すぎる。まともな道を選べば、北へ回り込むだけで何ヶ月もかかる」
グレンダは地図を指でなぞる。
「それに鉄道もまだ通っていない。だから普通なら飛空船か飛空艇を使う」
「なら、それで行けばいいじゃねえか」
シアンが言うと、グレンダは首を横に振った。
「帝国の飛空艇は今、簡単には使えない」
「バルナスとの緊張……ですね」
ルシアが呟く。
グレンダは頷いた。
「最近は軍の警戒も強くなってる。申請して許可が下りるまで、早くても一ヶ月はかかるだろうね」
「一ヶ月……」
シアンは舌打ちした。
目の前に手掛かりがある。
あと少しで届くかもしれない。
それなのに、待つしかない。
その事実が何よりも歯がゆかった。
「せっかくここまで来たってのによ……」
その呟きを聞きながら、ルシアだけは黙ったまま立ち尽くしていた。
「……どうしたんだい?」
グレンダが気付く。
「さっきからずっと難しい顔をしているね」
ルシアはすぐには答えなかった。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……怖いんです」
その言葉に、三人が振り向く。
「私たちは、レオナールの手紙があったからここまで辿り着きました」
ルシアは胸元へ手を添える。
「でも……」
一度、言葉を飲み込む。
「同じく軍の人も、辿り着けたとしたら?」
シアンが眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
ルシアは震える声で続けた。
「シアンさんとグレンダさんは教えてくれましたよね。蒸気の心臓の材料を……。エルディア大戦で亡くなった兵士たちの亡骸ってことを」
工房の中へ、重い沈黙が落ちる。
「もしですよ。もし、蒸気の心臓の件を軍に持ち込んだキース・バレンタインが心臓の材料を知っているとしたら」
カイの表情が変わる。
「まさか……」
ルシアは小さく頷いた。
「蒸気の心臓が見つからないなら」
その声がわずかに震える。
「自分たちで作ればいい。そう考える人が出てくるとは思いませんか」
誰も言葉を返せなかった。
その考えが、どれほど恐ろしいものなのか。
三人とも知っていたからだ。
「再現しようとする人が現れたら……また誰かが犠牲になる」
シアンは拳を強く握りしめた。
義手の金属が小さく軋む。
「……冗談じゃねえ」
低い声だった。
「俺たちが探してる間にも、誰かがそんなことを考えてるかもしれないってことか」
グレンダも険しい表情も険しくなる。
「狂気ってのはね……最初から狂っている奴だけが持つものじゃない」
静かな声が響く。
「守るため、勝つため、必要だからと言い訳を重ねた先で、人は簡単に踏み越える」
その言葉に、誰も反論できなかった。
ルシアは三人を見つめる。
「だから……急がないといけません」
涙を堪えるように、強く拳を握る。
「誰かが犠牲になる前に」
「誰かが、もう一度生み出そうとする前に」
夕暮れの光が消え、工房には蒸気機関の音だけが残った。
いつもなら安心できるはずのその音が、その日はなぜか不気味な警告のように聞こえた。
蒸気の心臓を巡る旅は、心臓を手に入れ戦争を止めるだけの簡単な話ではもう収まらない。
その先で待つ狂気を、誰よりも早く止めるための戦いでもある。




