6.陽光とデモの広場
ランプ通りを抜けた瞬間、視界がぱっと開けた。
アルディスの中心に広がる大広場には、朝の陽光が惜しみなく降り注いでいる。
広場の中央には、大時計を備えた鐘楼が堂々とそびえ立ち、歯車仕掛けの長針と短針が、規則正しく時を刻んでいた。
周囲を囲む建物の屋根からは細い蒸気が幾筋も立ち昇り、青空へ溶け込むように白くたなびいている。
露店が並ぶ通りには焼きたてのパンの香ばしい匂いと、油で揚げ物をする香りが漂い、どこからともなく流れるアコーディオンの音色が広場全体を包んでいた。
子どもたちは演奏に合わせて飛び跳ね、小銭を投げ入れては楽しそうに笑っている。
商人たちの威勢のいい声も負けじと響いていた。
「さあさあ見ていっておくれ! 南の港町から届いたばかり、完熟トマトと陽気なオレンジだよ!」
「奥さん、この値段で持ってけ泥棒だよ! 明日には倍だ!」
「まあ! 倍になるなら今日もらっとくわ!」
笑い声があちこちで弾け、人の流れは絶えることなく広場を行き交う。
その人波を縫うように歩きながら、シアンは胸元のポケットから懐中時計を取り出した。
針は、すでに十時を指している。
「もうこんな時間か……。早いとこ港まで行かねぇとな。また終わらなかったら、ばあちゃんの説教が延長されちまう」
小さくぼやきながら工具箱の位置を背負い直し、歩調を速める。
そのときだった。
広場の賑わいを突き抜けるような大きな声が耳に飛び込んできた。
「帝国は、また同じ過ちを繰り返すつもりなのか!」
怒号にも似た叫びに、広場の空気がぴんと張りつめる。
人々の視線の先には、木箱を積み上げただけの即席の壇上があった。
その上で、一人の男が拳を高く掲げている。
黒髪を後ろへ撫でつけ、自前らしい軍服をまとった三十代半ばほどの男だった。
男の背後には、一枚の横断幕が風にはためいている。
〈戦火を止めろ! 民の血で空を染めるな!〉
その周囲には若者や労働者たちが集まり、思い思いの手製のプラカードを掲げていた。
「アークラインの王族や帝国軍は、また戦を望んでいる!」
「バルナス共和国との境界線で、空挺団が動き出しているぞ!」
「我々が声を上げなければ、またアルディスは焼け野原になる!」
熱を帯びた叫びが、次々と広場へ響き渡る。
その少し後方では、蒸気警備局の兵士が二人、無表情のまま様子を見守っていた。
いつでも割って入れる距離を保ちながらも、今は静観を決め込んでいる。
賑やかだった広場は、いつの間にか別の熱気に包まれていた。
シアンは立ち止まり、小さく眉をひそめる。
「……またやってるな」
四十数年前。
帝国と共和国が空の覇権を争った大戦で、この街は灰と化した。
いまでは美しく甦ったアルディスも、目を凝らせば古い煉瓦や建物の土台に、その傷跡がまだ残っている。
男の演説は、さらに勢いを増していく。
「蒸気も鉄も、人の命を繋ぐためのものだ! 戦争に使うためじゃない!」
その言葉に、群衆の中から大きな拍手が湧き起こる。
「そうだ!」
「俺たちはもう失いたくない!」
怒りと恐れが入り混じった声が、広場いっぱいに反響した。
シアンは肩をすくめ、小さく息を吐く。
「まったく……みんな不安になるっつーの」
群衆を避けるように歩きながら、自然と視線が周囲へ向いた。
今朝、ラジオが伝えた知らせ。
バルナス共和国との平和協議、決裂。
その報せは、もう街中へ広がっている。
屋台の片隅から流れる軍楽隊のマーチだけが妙に陽気で、その明るさがかえって不気味に耳へ残った。
鐘楼の頂には帝国の紋章旗が翻り、そのさらに上では、黒い飛行船が二隻、ゆっくりと街の上空を横切っていく。
艶を抑えた黒い船体に刻まれた番号が、陽光を受けて鈍く光った。
「チッ……物騒な鳥どもだ」
舌打ちを鳴らしたシアンは、再び港へ向かって歩き出す。
焼きたてのパンの匂い。
鉄を叩く甲高い音。
蒸気の吐き出される音。
そして、人々のざわめき。
街はいつも通り動いている。
それなのに、その空気のどこかには、誰も口にしない不安が静かに沈んでいた。
その時だった。
「……あら、シアンくん。こんなところで偶然ね」
聞き覚えのある穏やかな声に、シアンは足を止めて振り返った。
そこには、優しく微笑む一人の女性が立っていた。
ふんわりとしたワンピースの上からでも分かるほど大きく膨らんだお腹へ、思わず視線が向く。
「あっ! お久しぶりです!」
慌てて頭を下げる。
「ご無沙汰してます。もうこんなに大きくなったんですね」
女性はお腹へそっと手を添え、嬉しそうに笑った。
「ええ。もうすぐなの」
「無理しちゃ駄目ですよ? 一人で歩き回って大丈夫なんですか?」
「ふふ、大丈夫よ。この子も元気だから」
そう言って優しくお腹を撫でる姿は、どこか穏やかな空気をまとっていた。
少し言葉を交わしてから、女性は思い出したように口を開く。
「そうだわ。せっかく会えたんだもの。少しだけ家へ寄っていかない?」
「えっ!? でも俺、仕事が……」
「ほんの少しだけよ」
女性はそう言うと、シアンの左腕へ視線を落とした。
「最近、この左手。ちゃんと診てもらってないでしょう?」
シアンは思わず目を逸らす。
「……バレました?」
「あなたが顔を出したら、あの人も喜ぶわ」
「……しょうがないですね」
観念したように頭を掻く。
「少しだけですよ。遅くなると、またばあちゃんにぶっ叩かれますから」
「ふふ、それなら急がなきゃね」
女性はくすりと笑い、そのままシアンを連れて歩き出した。
二人の姿は、ゆっくりと人混みの中へ溶け込んでいった。




