59.静寂の図書館
昼下がりの柔らかな陽射しがアルディスの街を照らし、蒸気塔から立ち昇る白煙が青空へ溶け込んでいた。
石畳を行き交う人々の足音に混じって、遠くでは機関車の汽笛が鳴り響き、歯車の回る音が街全体へ絶え間なく広がっている。
仕事を終えたシアン、カイ、ルシアの三人は、街の中中心へ向かってゆっくりと歩いていた。
「あ。たぶんあれが図書館ですね」
ルシアが前方を指差す。
時計塔の隣に建つ石造りの建物は、街並みに溶け込むような落ち着いた佇まいを見せていた。
長い年月を重ねた外壁には風雨の跡が刻まれ、重厚な木製の扉だけが静かに来訪者を迎えている。
「ここがアルディスの図書館ですか」
建物を見上げながら、ルシアが小さく微笑んだ。
「帝都の図書館に比べると随分小さいんですね」
「僕、図書館って初めてだよ」
カイは興味津々に建物を見回す。
「もっと人がいっぱい集まる場所かと思ってた」
「この街の連中は本を読むより工具を握ってる時間の方が長ぇからな」
シアンは肩をすくめ、そのまま重たい扉へ手を掛けた。
軋んだ音とともに扉がゆっくりと開く。
外の喧騒が嘘のように消え、ひんやりとした空気が三人を包み込んだ。
鼻をくすぐるのは、古い紙と革表紙、それに微かなインクの香り。
高い天井まで届く本棚が整然と並び、窓から差し込む陽光が舞い上がる埃を淡く照らしている。
誰一人として話す者はおらず、聞こえてくるのはページをめくる音だけだった。
「……すごい」
思わずルシアが息を漏らす。
「専門書ばかりかと思っていましたけど、小説の新刊まで置いてあるんですね」
一冊の本を手に取り、嬉しそうにページを開く。
「あ! もしかしてあれは!」
カイも別の棚へ駆け寄った。
「見てよ! これ人気の漫画! こんなのもあるんだ、すごいや」
「お前、何しに来たんだよ」
シアンが呆れた声を上げる。
「だって息抜きも大事じゃん」
「却下だ」
「えぇー……」
不満そうに肩を落とすカイを見て、ルシアは小さく笑う。
その笑い声に釣られるようにシアンも苦笑すると、周囲を見回しながらぽつりと呟く。
「それにしても、新しい管理人ってのは見当たらねぇな」
「まだ言うんですか」
ルシアが呆れたように振り返る。
「そんなに気になります?」
「男としては少しくらいな」
「グレンダさんに言いつけますよ」
「いっ! それは勘弁してくれよ」
肩を竦めるシアンを見て、カイがくすりと笑った。
「じゃあ、そろそろ本来の目的を忘れないでくださいね」
ルシアがそう言って歩き出すと、三人は自然と手分けして書棚の間へ散っていった。
シアンは工学書が並ぶ棚へ向かい、カイは歴史書を、ルシアは研究資料がまとめられた区画へ足を運ぶ。
分厚い本を机へ積み重ね、ページをめくる音だけが静かな館内へ響き続けた。
エーテル。
白電鉱石。
高圧縮精製。
どの本にも同じような研究内容が並んでいる。
ルシアは気になった箇所を丁寧に書き留め、カイは難しい専門用語に頭を抱えながらも必死についていき、シアンは片っ端から資料を読み漁っては次の本へ手を伸ばしていった。
気が付けば窓から差し込む陽射しは傾き始め、館内を照らす色も黄金色へ変わっていた。
「……だぁーっ!」
とうとうシアンが椅子へ大きくもたれ掛かる。
「何冊読ませる気だ。しかもどれも似たようなことしか書いてねえじゃねえか……」
「僕も限界……」
カイは机へ突っ伏しながら弱々しく笑った。
「エーテル博士くらいにはなれた気がするよ……」
「あと少しだけ頑張りましょう」
ルシアだけは諦めず、新しい本へ手を伸ばす。
「まだ何か見落としているかもしれません」
その時だった。
「お静かにお願いいたします」
穏やかな声が三人の横から聞こえる。
顔を上げると、図書館員が人差し指を口元へ添え、柔らかく微笑んでいた。
「あっ……すみません!」
ルシアは慌てて頭を下げる。
三人は顔を見合わせ、小さく苦笑すると、それ以上は声を潜めながら再び本へ向かった。
しかし、それからさらに時間が過ぎても、新しい発見は何一つ見つからなかった。
やがて館内のどこかで、閉館を知らせる鐘が静かに鳴り響く。
シアンは本を閉じ、大きく息を吐いた。
「収穫なしか」
机へ肘をつきながら天井を見上げる。
「そもそも蒸気の心臓とエーテルが繋がってるって考え自体、見当違いだったのかもしれねぇな」
「エーテルが発見されたのはレオナールが姿を消してから、ずっと後だもんね」
カイも本を閉じながら呟く。
「そう考えると、やっぱり関係ないのですかね」
ルシアは静かに最後の一冊を閉じる。
歴史から名を消された天才技術者、レオナール・グレイン。
蒸気の心臓を生み出し、意志の鋲という禁忌へ手を染めた男。
その足跡は、この図書館にも残されてはいなかった。
そう思った、その時だった。
「あの……」
静かな声が、背後から聞こえた。
「今、レオナールと仰いましたか?」
三人が同時に振り返る。
書棚の向こうに、一人の若い女性が立っていた。
窓から差し込む夕陽を背に受けた銀色の髪が柔らかな光を帯び、白い手袋をはめた細い指先が、一冊の本を胸へ静かに抱えている。
どこか儚げで、それでいて不思議と目を離せない雰囲気をまとった女性だった。
「レオナール・グレインのこと……ですよね」
申し訳なさそうに微笑む。
「閉館のお時間をお伝えしようと思っていたのですが、そのお名前が聞こえてきたものですから……思わず、お声を掛けてしまいました」
シアンたちは思わず顔を見合わせた。
この街で、その名を知る者がいるとは思ってもいなかった。
館内には、古い柱時計が時を刻む音だけが静かに響いている。
その一音一音が、新たな出会いの訪れを告げる合図のように、三人の耳へゆっくりと染み渡っていった。




