58.蒸気の街の喧噪
アルディス地下での騒動から数日が過ぎ、街には再びいつもの活気が戻っていた。
蒸気塔から立ち昇る白煙が青空へゆっくりと溶け、通りには機関車の汽笛と歯車の回る音が絶え間なく響いている。焼けた鉄の匂いと機械油の香りが風に混じり、人々はそれを当たり前のように吸い込みながら今日も忙しなく行き交っていた。
そんな街の片隅にあるスチーム・フィールドもまた、いつもと変わらぬ賑わいに包まれていた。
店の奥では、巨大な工具を肩へ担いだグレンダが工房中へ響き渡る声を張り上げている。
「カイ! そっちの配管は締め終わったのかい! 蒸気圧の調整を忘れるんじゃないよ!」
「任せてよグレンダさん!」
返事と同時にレンチを回す音が鳴り、蒸気弁が小気味よく音を立てる。
そのすぐ隣では、ルシアが両腕いっぱいに木箱を抱え、慎重に足元を確かめながら工房の中を歩いていた。
白い手袋も袖口も煤で黒く汚れていたが、本人はまるで気にした様子もなく、額に浮かんだ汗を袖で拭って再び部品箱を持ち上げる。
そんな姿を見守る視線が、店の外にはずらりと並んでいた。
この街の街男たち。
彼らは誰ひとり店へ入ろうとせず、入口の前へ集まっては仕事をするルシアへ熱い眼差しを送り続けている。
「あの金髪のお嬢ちゃん……やっぱり可愛いなぁ」
「見た目だけじゃねぇぞ。働き者だし愛想もいい」
「うん。ありゃ天使だな」
好き勝手な声が飛び交うたび、ルシアは困ったように笑って小さく頭を下げるしかなかった。
男たちの声がさらに大きくなる。
「ルシアちゃん! そんな重いもん持たなくていいぞ!」
「グレンダさんが運べばいいじゃねぇか!」
「カイ坊! もっとルシアちゃんのこと手伝ってやれ!」
痺れを切らしたカイがとうとう振り返る。
「もー! みんな邪魔だってば!」
だが男たちは聞く耳を持たず、口々に応援とも冷やかしともつかない声を飛ばし続ける。
その様子を見ていたグレンダの額に、ぴくりと青筋が浮かんだ。
「この馬鹿ども!」
杖を床へ勢いよく叩きつける。
「仕事の邪魔だよ! 散った散った!」
怒鳴り声と同時に杖がぶんと振るわれるが、それでも男たちは動じることがなかった。
そこへ外回りの仕事を終えたシアンが工具箱を肩へ担いだまま戻ってくる。
入口に群がる男たちをかき分けながら、呆れたようにため息をついた。
「ったくよぉ……そんなに女に飢えてんなら、ランプ通りのルビーの小径にでも行きゃいいじゃねぇか」
その一言に男たちが一斉に振り返る。
「馬鹿言え!」
「俺たちは擦れてねぇ子がいいんだ!」
「そうそう! ルシアちゃんみたいな清純派なんて、この街じゃ久しぶりなんだよ!」
「知らねぇよ……」
シアンは頭を押さえ、大きくため息をついた。
「これじゃ仕事どころか調べものもできやしねぇ」
その言葉を聞いた一人の男が、何か思い出したように顎へ手を当てる。
「そういや、お前ら調べもんしてるんだったな」
「ん?」
「図書館には行ったのか?」
ルシアが抱えていた木箱をそっと床へ下ろし、不思議そうに首を傾げた。
「図書館……ですか?」
「ああ。少し前にな、管理人が替わったんだよ。今じゃ専門書も歴史書も技術書も、前とは比べもんにならねぇくらい増えたらしい」
その話にグレンダが眉をひそめる。
「管理人が替わった? そんな話は初耳だねぇ」
「あー……それは、その……」
男は急に視線を泳がせた。
「新しい管理人が、そりゃもう飛び切りのべっぴんさんでよ」
「ほぉ?」
グレンダの目が細くなる。
「シアンが知ったら絶対見に行くだろ? だからスチーム・フィールドには黙っとこうって皆で――」
そこまで口にした瞬間、自分の失言に気づき、男は慌てて口を押さえた。
「……あっ」
一瞬の静寂。
やがてシアンの口元がゆっくりと緩む。
「へぇ……べっぴんさん、ねぇ」
「そういうのに興味あるんですか?」
ルシアが思わず頬を膨らませる。
「いやぁ、男としては少しくらい気になるだろ?」
「シアンさんも、男の人なんですね」
ルシアが呆れたように息をつく横で、カイまで腕を組んで頷いた。
それと同時に店の前の男たちも揃えて声を飛ばす。
「最低だな、シアン」
「お前らが言うかよそれ!」
その瞬間だった。
「だから邪魔だって言ってるだろうがぁっ!」
ついに堪忍袋の緒が切れたグレンダが杖を振り回しながら店先へ飛び出した。
「仕事の邪魔しかしない男どもはとっとと帰んな!」
逃げ惑う男たちを追い回すグレンダの姿に、通りを歩く人々まで吹き出し始める。
やがて騒ぎも収まり、工房にはようやく静けさが戻った。
ルシアは小さく笑みを浮かべながら、散らかった工具を拾い集める。
「本当に……賑やかな街ですね」
「そうさ」
グレンダも苦笑を浮かべた。
「騒がしい連中だけどね、悪い奴らじゃない。あの街の連中なりの歓迎なんだよ」
そう言って図面を手に取ると、ふと表情を引き締める。
「それより、図書館の話だ」
店の空気が少しだけ変わる。
「そういや、依頼人から聞いた蒸気の心臓の製造過程……あれとエーテルの抽出技術には、どうにも引っ掛かる共通点がある」
ルシアも真剣な眼差しで頷いた。
「専門書が増えたというなら、何か手掛かりが見つかるかもしれませんね」
「そういうことさ」
グレンダは図面を丸め、シアンたちへ向ける。
「仕事が終わったら三人で図書館へ行っておいで。何でもいい、手掛かりを一つでも掴んできな」
「了解!」
カイが元気よく拳を上げる。
シアンも工具箱を肩へ担ぎ直しながら笑った。
「ま、手掛かりも大事だけど……その管理人さんってのが本当にべっぴんなのか、それも気になるところだな」
「もう!」
ルシアは呆れたように肩を落とし、カイは「懲りないねぇ」と苦笑する。
その様子を見たグレンダは、思わず吹き出した。
工房には再び笑い声が広がり、その音は歯車の回転音や蒸気の吐き出す音と混ざり合って、スチーム・フィールドらしい穏やかな一日を彩っていく。
窓の外では、街の中央にそびえる時計塔の向こうに、石造りの図書館が静かに陽光を浴びていた。
その場所に、蒸気の心臓へと繋がる新たな手掛かりが眠っていることを、この時の彼らはまだ知る由もなかった。




