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蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第2章、夢と決意を乗せて
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57.狂気の方程式

アークライン帝国軍首都基地、その中枢に位置する作戦会議室の前。


通路の一面に張り巡らされた無数の配管の奥では、絶え間なく蒸気が送り込まれ、低く唸るような振動が床を通して伝わってくる。


囲む空気は重く、誰一人として口を開こうとはしなかった。


その沈黙を破ったのは、ハーランだった。


「口だけは相変わらずだな」


低く吐き捨てるような声が響く。


「まだ蒸気の心臓の件で何一つ動かない貴様が、随分と大したことを言えたものだな」


その視線の先では、一人の女が静かに踵を返していた。


規則正しいヒールの音が鉄床へ乾いた音を刻む。


長い赤髪を一つに束ね、軍服を隙なく着こなした女。


マルティナ・グレーヴ少将。


かつてはハーラン直属の部下だった女は、今では彼より上位の階級へと駆け上がり、その瞳には昔以上の鋭さが宿っていた。


「ふっ……」


小さく笑う。


「私が何もせず今日まで過ごしてきたと思うのか?」


ゆっくりと振り返る。


「昔からそうだが……。大佐、貴方は少々視野が狭すぎるな」


その余裕ある態度に、ハーランは眉ひとつ動かさない。


マルティナは構わず歩み寄ると、机へ指先を滑らせながら静かに口を開いた。


「キース様から蒸気の心臓の製造過程を聞いた時、私はひとつの違和感を覚えた」


部屋の空気がわずかに張り詰める。


「死者の肉体を装置へかけ、極限まで圧縮する。そして最後に残るものが、蒸気の心臓」


そこまで語ると、彼女は意味ありげに微笑んだ。


「それがどうした」


ハーランが短く返す。


「帝国中の研究者たちが今もっとも力を入れているものが何か、覚えているか?」


答えを待つことなく続ける。


「エーテルだ」


その一言に、ラルゴがわずかに目を細めた。


「白電鉱石へ超高圧縮を施し、純粋なエネルギーだけを抽出する技術」


マルティナは指先で机を軽く叩く。


「材料は違う。でも工程だけを見るなら、あまりにも似すぎているとは思わないか?」


誰も答えない。

その沈黙こそが答えだった。


マルティナは満足そうに口角を上げる。


「つまり——。蒸気の心臓とエーテル、このふたつには何か共通点がある」


一歩前へ出る。


「そして……見つからないなら、自分たちで作ればいい。どういう事か分かるか、大佐」


その瞬間、会議室の空気が凍りついた。


スピアーが思わず息を呑み、ラルゴも無言のまま眉を寄せる。


ハーランは一歩前へと踏み出した。


「……正気か!」


壁に拳を叩きつける。


鈍い金属音が部屋中へ響き渡った。


「蒸気の心臓を人の手で作り出そうというのか! 貴様、気でも狂ったか!」


だが、マルティナはまるで動じない。


「何とでも言え」


冷たく笑う。


「忘れるな。我々が相手にしているのはバルナス共和国、過去にこの国を攻め落とそうとしたあの国だ」


その瞳は氷のようだった。


「奴らに勝つには、それ以上の力が必要なのだ」


「そのために国民を犠牲にするつもりか!」


ハーランの怒声が蒸気の唸りさえ押し潰した。


「戦争になれば、どのみち人は死ぬ」


マルティナは淡々と言い放つ。


「だったら、その命が帝国を勝利へ導く礎になる方が合理的ではないか?」


そこには迷いも葛藤もない。

ただ、勝利だけを追い求める冷徹な思想だけがあった。


スピアーは青ざめた顔で小さく首を振る。


「いくらなんでも、正気じゃないわ……」


震える声が漏れる。


「そんなの……人間のやることじゃない」


「いいや。人間だから出来るのだ、今を生きる人間だからこそな」


マルティナは即座に言い返した。


「理想だけで国は守れない」


彼女は窓の外へ視線を向ける。

帝都の蒸気塔からは夜空へ白煙が立ち昇り、その灯火が無数の煙突を照らしていた。


「二日後、私は自ら編成した特務部隊を率いてククルカン渓谷へ向かう」


静かな声だった。


「目的はエーテル研究施設」


誰も口を挟めない。


「そこには、蒸気の心臓を再現する鍵が眠っているはず」


その声には、もはや確信しかなかった。


「私はその方法を、必ず見つけ出す」


そして。


「新たな蒸気の心臓を、この手で完成させる」


長い外套を翻し、マルティナは迷いなく部屋を後にする。


重い鉄扉が閉まる音だけが、しばらく室内へ響いていた。


「……狂っている」


ハーランは低く呟く。


次の瞬間、床を踏みつけた


鈍い衝撃音が通路を震わせる。


「クソッ……!」


怒りを押し殺した声が漏れた。


「ハーランちゃん……」


スピアーが不安そうに見上げる。


「このままじゃ、本当に取り返しがつかなくなるわ」


ラルゴも静かに口を開いた。


「どうする、ハーラン」


短い問いだった。


ハーランはゆっくりと目を閉じる。


怒りを押し込み、深く息を吐いたあと、真っ直ぐ二人を見据えた。


「奴らより先に、見つけなければ」


その一言には揺るぎがなかった。


「奴らが蒸気の心臓の製造法へ辿り着く前に、我々が本物を手に入れる」


その瞳には、帝国軍人としてではなく、一人の人間としての信念が宿っていた。


「勝利のためとはいえ、人の命を材料にするなど断じて認めん」


静かな声だった。


だが、その決意は誰よりも強い。


「帝国を守るとは、狂気に堕ちることではない」


窓の外では、夜の帝都を鉄の兵士たちが整然と行進し、蒸気塔の警笛が低く鳴り響いていた。


ハーランは外套の裾を翻すと、静かに拳を握る。


「やるぞ」


その声は低く、しかし確かな重みを持っていた。


「狂気が世界を書き換える、その前に!」


蒸気の流れる夜風が窓の隙間から吹き込み、その誓いだけを静かに帝都の夜へ運んでいった。

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