51.運命のカードは蒸気の香りとともに
「さてと♡ 何を占おうかしら♡」
ラファエルが楽しげに微笑みながら、色鮮やかなカードの束を胸の前で揃える。
食後の皿はすでに片づけられ、《サルバトーレ》の窓際には穏やかな昼の時間が流れていた。窓の外では蒸気機関の駆動音が街の鼓動のように響き、人々の話し声が絶え間なく行き交っている。
店内は昼時を迎えて賑わい始めていたが、この窓際だけはどこか別世界のように落ち着いていた。
「占いなんて久しぶりだな」
椅子にもたれたシアンが肩を軽く回す。
「せっかくだ。俺たち四人のこれからでも見てもらおうか」
「いいね!」
待ってましたと言わんばかりにカイが身を乗り出した。
「僕、こういうの大好き!」
「ふふ♡ 素直でよろしい♡」
ラファエルが満足そうに頷くと、その様子を見ていたグレンダは腕を組みながら苦笑する。
「当たりすぎても困るんだけどねぇ」
「占いは信じる人だけ信じればいいんじゃない?」
ルシアが穏やかに笑う。
帝都にも占い師はいた。
けれど、こうして皆で肩を並べ、他愛ない会話を交わしながら未来を覗いてみようとする時間は、ほとんど経験したことがなかった。
「じゃあ始めるわね♡」
ラファエルがカードを手に取る。
細くしなやかな指先でカードを切るたび、色鮮やかな札が軽やかに舞い、一枚、また一枚と滑るように重なり合っていく。その縁が昼の陽射しを受けてかすかに輝き、不思議と店内の喧騒さえ遠ざかっていくような気がした。
やがてラファエルは手を止め、にっこりと笑う。
「まずは、かわいい坊やから♡」
そう言って一枚のカードを引く。
くるり、と宙で裏返ったカードには、大樹の枝へ力強く立つ少年の姿が描かれていた。
「これはいいわぁ♡」
ラファエルは嬉しそうに目を細める。
「あなた、大きく成長する運命にあるわね♡」
「えっ、本当!?」
カイは勢いよく身を乗り出した。
「もうすぐ子どもを卒業するわ♡」
「僕、もう大人だって!」
思わず声を上げると、ラファエルは人差し指を立てて微笑む。
「身体じゃなくて、心の話よぉ♡」
その一言に店内へ笑いが広がる。
「兄貴、聞いた?」
「まだまだガキってことだな」
「兄貴にだけは言われたくない!」
「なんだと?」
睨み合う二人のやり取りに、ルシアは思わず吹き出した。
「次はグレンダさん♡」
ラファエルが次のカードをめくる。
そこには一本の道が二つへ分かれ、その先で再び交わるような絵が描かれていた。
カードを見つめたラファエルの笑みが少しだけ穏やかなものへ変わる。
「懐かしい人と再会するわ♡」
「ほぉ?」
グレンダが片眉を上げる。
「でも、その人だって気づくまで少し時間がかかるみたい♡」
その言葉を聞いたグレンダはカードではなく窓の外へ目を向けた。
昼の陽射しに照らされる石畳を眺めながら、昔を思い返すように目を細める。
「……昔の知り合いなんて、もう何人生きてることやら」
どこか懐かしさを滲ませた声だった。
「でも会えるなら悪くないね」
「ええ♡ きっと悪い再会じゃないわ♡」
ラファエルは優しく頷き、続いてルシアの前へカードを置く。
しかし今度は、すぐにはめくらなかった。
カードの上へ静かに指先を添え、ゆっくりと目を閉じる。
賑やかだった店内の空気が、ほんの少しだけ張りつめたような気がした。
やがて静かにカードが開かれる。
そこに描かれていたのは、深い谷の向こうから一筋の光が差し込む景色だった。
「これは……試される時が来るわ♡」
ルシアは思わず息をのむ。
「深い谷を越えることになる♡ でも、その先にはちゃんと光がある♡」
「試される……」
小さく呟いたルシアは、膝の上でそっと手を握りしめた。
帝都を離れたばかりの自分に、その言葉は妙に重く響く。
隣に座るシアンは何も言わなかった。
ただ、ルシアの横顔を静かに見つめている。
「大丈夫よ♡」
ラファエルは安心させるように微笑んだ。
「谷を越えられる人にしか、このカードは出ないもの♡」
その言葉に、ルシアはゆっくりと息を吐く。
「ありがとうございます」
小さく頷くその表情は、先ほどよりも少しだけ穏やかだった。
そして最後。
ラファエルはカードの束から一枚だけを静かに抜き取る。
そのカードを指先で軽く弾くと、ひらりと宙を舞い――壊れたシアンの蒸気兵装《Mark.Ⅲ》の上へ、音もなく舞い降りた。
そこに描かれていたのは、仮面をつけた男。
その背後には崩れゆく街。
そして、ただひとつの心臓。
ラファエルの笑みが、すっと消える。
「シアンちゃん……♡」
いつになく静かな声だった。
「あなたは真実を知るわ♡」
シアンは笑わない。
ただカードを見つめたまま、黙って続きを待つ。
「でも、その真実は、あなた自身を大きく変えることになる♡」
ラファエルは一瞬だけ言葉を止めた。
「それと……大きな別れも経験するわね♡」
その瞬間、不意に窓の外を風が吹き抜けた。
白い蒸気がゆっくりと流れ、誰も言葉を挟まない。
店内の賑わいだけが、妙に遠く聞こえた。
「……真実と、別れか」
シアンは小さく息を吐き、苦笑する。
「なんとも重たい占いだな」
カイが不安そうに尋ねる。
「兄貴……大丈夫だよね?」
「さあな」
シアンは肩をすくめた。
「未来なんて、来てみなきゃ分からねえさ」
ラファエルは四枚のカードを見つめたまま、小さく呟く。
「でも、不思議ねぇ♡」
「四人とも同じ種類のカードが出てるの♡」
「同じ種類?」
シアンが眉をひそめると、ラファエルは四枚のカードを静かに横一列へ並べた。
描かれている絵柄はそれぞれ違う。
けれど、そのどれにも胸のあたりには、小さな心臓の紋様が刻まれていた。
「“心”のカードよ♡」
ラファエルは指先でその紋様を優しくなぞる。
「滅多に現れないカードなの♡」
「誰かの心が、大きな運命へ呼ばれている時だけ姿を見せるのよ♡」
そう言って四人を順番に見渡し、どこか遠くを見るように微笑んだ。
「まるで……何かが、あなたたちの鼓動に合わせて動き始めたみたい♡」
誰も言葉を返さなかった。
遠くで汽笛が鳴る。
窓の外では白い蒸気がゆっくりと空へ昇り、その向こうにはどこまでも青い空が広がっていた。
何が始まるのか。
何が待っているのか。
それはまだ、誰にも分からない。
「……まっ♡」
ラファエルがぱん、と手を叩く。
張りつめていた空気は、その一音で嘘のようにほどけた。
「占いなんて、当たるも八卦当たらぬも八卦よぉ♡」
いつもの調子に戻ったラファエルは、鼻歌交じりにカードをまとめ始める。
その姿に、四人も自然と笑みを浮かべていた。
「さて」
グレンダがゆっくりと腰を上げる。
「今度こそ行くとしようか」
四人もそれぞれ席を立つ。
すると厨房の奥から、白いコックコート姿のスコピンが姿を現した。
「忙しくて、お見送りが遅くなってしまいました」
袖をまくりながら穏やかに笑う。
「本日はありがとうございました。またいつでも食べに来てください。美味しい料理を用意して、お待ちしていますから」
「ありがとうございましたぁ♡」
ラファエルも大きく両手を振る。
「シアンちゃん♡ 今度は一人で来るのも大歓迎よぉ♡ もちろんアフターもありよ♡」
「そ、それは勘弁してくれよ!」
間髪入れずに返したシアンに、店内は再び笑いに包まれた。
「スコピンさん! ラファエルさん!」
カイが元気いっぱいに頭を下げる。
「ごちそうさまでした!」
ルシアも静かに一礼した。
「ありがとうございました」
扉を開けると、午後の陽射しが四人をやわらかく包み込む。
白い蒸気は街並みをゆっくりと流れ、人々はそれぞれの日常を歩いていた。
「じゃあ行くか」
シアンの一言を合図に、一行は店先で二手へ分かれる。
シアンとルシアは機肢屋へ。
グレンダとカイはスチーム・フィールドへ。
同じ街を歩いていても、その先に待つ出来事は誰にも分からない。
それぞれの足取りは、静かに新たな運命へと続いていた。




