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蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第2章、夢と決意を乗せて
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49.遅めの朝食

工房を出ると、朝のアルディスはすっかり一日の顔を見せ始めていた。


煙突から立ちのぼる白い蒸気は朝日に溶け、石畳の上を忙しなく人々が行き交う。

 

鍛冶屋では金床を打つ乾いた音が響き、通りのパン屋からは焼きたてのパンの香りが流れてくる。

その匂いにつられるように、カイの腹がまた小さく鳴り、本人は照れくさそうに頭を掻いた。


「くぅぅ。は、恥ずかしい……」


「しゃあねえよカイ。それだけ頑張ったって証だと思っとけって」


シアンが笑うと、ルシアまで思わず口元を押さえる。

ついさっきまで命懸けで地下を駆け回っていたとは思えない。


穏やかな空気が、四人を包んでいた。

いくつか路地を曲がった先で、グレンダが足を止める。


古びた煉瓦造りの建物。

扉の脇には小さな木製の看板が掛けられていた。


《サルバトーレ》


派手さとは無縁の、小さなレストランだった。


「ここさ」


グレンダがどこか誇らしげに笑う。


「アタシのお気に入りの店だよ」


木の扉を押すと、小さな鈴が澄んだ音を鳴らした。


カラン——。


その瞬間、焼きたてのパンと香草、煮込まれたスープの湯気が一斉に四人を迎える。


ルシアは思わず足を止めた。


帝都にも名店は数え切れないほどあった。

それでも、この店の匂いにはそれらとは明らかに違う温もりがある。


誰かのために毎日火を入れ続けた厨房だけが持つ、生きた香り。


「いらっしゃいませ」


穏やかな声が厨房から聞こえてくる。


「おや、グレンダさん。こんな時間に来るなんて珍しいですね」


「スコピン。朝から精が出るね」


スコピン。


このレストラン《サルバトーレ》のオーナー兼シェフ。

真っ白なコックコートには皺ひとつなく、栗色の髪を後ろでひとつに束ねている。

包丁を握る手つきには無駄がなく、その穏やかな笑みからは、一流の料理人だけが持つ静かな自信が滲んでいた。


「ええ。朝は仕込みが勝負ですからね」


スコピンは柔らかく微笑み、窓際へ視線を向けた。


「いつもの席、空いていますよ」


「気が利くじゃないか」


四人が席へ向かおうとした、その時だった。


「あらぁぁぁ♡」


店の奥から弾むような声が飛んでくる。


「グレンダさんじゃなぁい♡ そ・れ・に、シアンちゃぁん♡」


ルシアが思わず振り返る。


軽快な足取りで近付いてきた人物は、鮮やかな桃色の髪に同じ色の髭を整え、長い睫毛を揺らしながら満面の笑みを浮かべていた。


「ラファエルさん……朝から元気だな」


シアンが思わず苦笑すると、ラファエルは胸に手を当てて目を潤ませる。


ラファエル。


このレストラン《サルバトーレ》で給仕を務める名物ウェイター。

派手な見た目と底抜けに明るい性格で、初めて訪れた客は決まって面食らう。

けれど一度この店に通えば、その笑顔が店の味のひとつだと誰もが知る。


「朝からシアンちゃんに会えたんですもの♡」


その勢いのままルシアの前へ立つ。


「まあ♡ 見ない顔ね♡ なんて可愛らしいお嬢さんなのかしら♡」


「は、はい……」


「初めまして♡ アタシ、ラファエル♡」


「ルシアです……よろしくお願いします」


あまりの迫力にルシアは思わず一歩下がる。

その様子を見て厨房から笑い声が聞こえた。


「ラファさん、その辺にしてあげてください。完全に固まってますよ」


「あらやだ♡」


ラファエルは肩をすくめる。


「ごめんなさいねぇ♡ 可愛い子を見るとつい張り切っちゃうのよぉ♡」


その一言で店内がどっと笑いに包まれた。


ルシアもつられて笑ってしまう。

気づけば、いつの間にか肩から力が抜けていた。


「さてさて♡」


ラファエルが手帳を取り出す。


「グレンダさんはいつもの、シアンちゃんはもちろんお肉♡ カイちゃんはサンドイッチで決まりね♡」


「うん!」


「それで、ルシアちゃんは……モーニングセットなんてどうかしら♡」


「お、お任せします」


「決まりねぇ♡」


嬉しそうに厨房へ戻っていく。


「ルシアお姉ちゃん」


カイが身を乗り出した。


「ここのご飯、本当に美味しいんだよ!」


「ああ」


シアンも頷く。


「この街で一番うまい店だ。期待していいぜ」


少し間を置いてから肩を竦める。


「ただ、日に二人もオネエに遭遇すると情報量が多すぎるけどな」


「聞こえてるわよぉぉぉ♡ それと日に二人って、アタシ以外に誰にあったのかしらぁぁぁ♡」


厨房の向こうからラファエルの叫び声が飛び、店中が再び笑いに包まれた。


ほどなくして料理が運ばれてくる。


焼き色の美しい肉料理。


湯気を立てるスープ。


焼きたてのパン。


朝露のように瑞々しい野菜。

どれも素朴なのに、目を奪われるほど丁寧だった。


「どうぞ♡ うちのスコピンちゃんの自慢の料理たちよ♡」


ラファエルが皿を並べる。


「温かいうちに召し上がれ♡」


ルシアはフォークを手に取る。


肉をひと口。


噛んだ瞬間、閉じ込められていた肉汁が静かに溢れ、香草の香りが鼻へ抜けていく。


続けてスープを口に含む。


優しい熱が喉を通り、冷え切っていた身体の奥までゆっくり広がっていくようだった。


「……おいしい」


思わず漏れた一言に、厨房で鍋を混ぜていた料理人が静かに笑う。


「そう言ってもらえるのが、一番嬉しいですね」


鍋を火から下ろしながら、穏やかな口調で続けた。


「料理っていうのは、蒸気と同じなんです」


「熱すぎても駄目。冷めても駄目」


皿へ丁寧にソースを流す。


「ちょうどいい熱が、人の心を一番温めてくれる」


その言葉を聞きながら、ルシアはもう一度スープを口へ運ぶ。


不思議だった。


帝都で食べたどんな豪華な料理よりも、この一杯のほうが胸へ沁みていく。


「スコピンさんは昔、帝都にいたんだ」


シアンがパンをちぎりながら言う。


「高級ホテルの料理長だったんだぜ」


「そうなのですか?」


ルシアが驚いて顔を上げる。


スコピンは少しだけ手を止め、小さく笑った。


「ええ」


包丁を布で拭きながら、窓の外へ目を向ける。


「でも、いつしか料理そのものより、誰が食べるか、どこで食べるかばかりが大事にされるようになってしまって」


その横顔には、懐かしさと少しだけ苦さが滲んでいた。


「気づけば、自分も同じことを考える料理人になりかけていました」


少し間を置いてから、店内を見渡す。


笑いながらパンを頬張るカイ。


ラファエルにからかわれるシアン。


腕を組みながらも穏やかな表情を浮かべるグレンダ。


その光景に目を細める。


「だから、この街へ来たんです」


「ここでは料理を出すたびに、『ありがとう』って笑ってもらえる」


「それだけで十分だったんですよ」


ルシアは静かに耳を傾けていた。


帝都。


自分が育った街。


あそこにも温かな人はいた。


けれど、肩書きや格式ばかりが先に語られる場所だったのも、また事実だった。


「でも」


スコピンは優しく笑う。


「帝都が嫌いになったわけじゃありません」


「人の心は、どこだって温かくなれますから」


そう言ってルシアへ視線を向ける。


「ルシアさん。この街を、どうかゆっくり好きになってください」


その言葉に、ルシアは自然と微笑んでいた。


「……はい」


窓の外では、朝日に照らされた蒸気が白く空へ昇っていく。


人々の笑い声。


鍛冶屋の槌音。


誰かのために働き、誰かのために笑う人たち。


アルディスという街には、機械では決して生み出せない熱が、確かに息づいていた。

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