表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第1章、運命の鼓動
PR
46/116

46.月影のウサギ

シアンたちが地下水路を抜け、朝の光を浴びた頃――。


アルディスから帝都へと続く地下水路を、一隻の双胴艇が静かに進んでいた。

岩肌を擦る水音と、蒸気機関の低い鼓動だけが、薄暗い空間に響いている。


「……すっかり遅くなってしまいましたね」


船首に立つガルドが、疲れを滲ませた声で呟く。


「急ぎましょう。使用人たちに見つかれば、言い訳ができません」


向かいに座るバーンは、腕にはめた蒸気計へ視線を落とした。

細い蒸気針は、空を明るく染める時間を示していた。


「うむ。我々が赤ということは、身内にも伏せておるからな」


低く言い、静かに息を吐く。


「秘密は、墓まで持っていかねばならん」


双胴艇は速度を落とし、ゆるやかに岸へ寄った。

岩壁には無数の鉄管が走り、その先には帝都へ続く出口がぽつりと口を開けている。


ガルドは船を降り、水を払って歩き出した。

この地下水路を利用できる者は限られている。


“赤”に連なる者だけ。


「着きましたね。参りましょう」


ガルドが歩き出した、その時だった。


カタ……カタ……。


乾いた金属音とともに通路の角から、小さな白い影が跳ねるように姿を現した。


「……ウサギ?」


耳の長い、小柄な獣。

だが次の瞬間、その違和感に気づく。


片目だけが赤く光っていた。


耳の付け根からは細い蒸気が漏れ、小さな脚が金属音を立てる。


「オートマトン……!」


ガルドは即座に剣の柄へ手を掛けた。


「バーン様、お下がりください!」


一歩踏み込み、前へと立ったその瞬間だった。


「おっと」


柔らかな声が通路へ響く。


「そんなに警戒しなくてもいいよ」


影の中から、一人の青年が姿を現した。

 

白銀の髪。夜明け前の月を思わせる淡い琥珀色の瞳。

燕尾服を思わせるスーツを纏い、その立ち姿には芝居役者のような優雅さがあった。


青年は機械仕掛けのウサギをひょいと抱き上げ、頭を撫でる。


「この子が教えてくれたんだ。君たちが無事に帰ってきたってね」


ガルドは目を見開いた。


「あなたは……アルカディア卿!」


思わず声を上げたガルドの額に、冷たい汗が伝う。


キョウ・アルカディア。


若くしてアルカディア家を継いだ帝国貴族。

その優雅な物腰と底知れぬ才覚から、人は彼を“帝都の月影”と呼ぶ。


(いつから……そこにいた?)


まるで気配を感じなかった。

目の前に現れるまで、その存在を欠片も察知できなかったことに、ガルドの背筋が粟立つ。


「安心して」


キョウは穏やかに微笑み、腕の中の白いウサギを撫でた。


「驚かせるつもりはなかったんだ」


その時だった。

後ろにいたバーンがガルドの肩へ軽く手を置く。


「ガルド、刃物をしまいたまえ」


「し、しかし……!」


「いいんだ。彼も……”赤”の一人なんだ」


「……え?」


ガルドは固まった。

視線がバーンとキョウの間を何度も往復する。


その様子を見て、キョウは肩を揺らして笑った。


「紹介が遅れちゃったね」


そう言って腕の中のウサギを少し持ち上げる。


「帰りが遅かったから心配になってさ。この子にと一緒に来たんだ。可愛いだろ?」


「え!? あ! は、はい!?」


キョウは微笑みながらオートマトンの優しく耳を撫でる。


「名前はモルオって言うんだ」


「モルオ……?」


「正式名称は」


キョウは息継ぎ一つせず、流れるように口にした。


「モジュール・フォー・レコナサンス・アンド・ユーティリティ・オペレーションズ」


ガルドが完全に固まる。


「…………へ?」


「長いだろ?」


キョウは苦笑した。


「だから”モルオ”。その方がこの子も呼びやすそうだからね」


その瞬間、まるで返事をするようにモルオの赤い瞳が一度だけ瞬いた。


「可愛いなあ」


そう言って頭を撫でる姿は、本当に愛玩動物でも抱いているかのようだった。


バーンは苦笑しながら肩をすくめる。


「相変わらずですな」


「何が?」


「何でも玩具のように作ってしまうところですよ」


「違う違う」


キョウは笑う。


「玩具じゃない」


モルオの鼻先を軽く指でつついた。


「ちゃんと優秀な相棒だよ」


その言葉に応えるように、モルオは耳をぴくりと動かした。

ガルドはその様子を見ながら、小さく息を呑む。


(この人は……)


どこまでが冗談で。どこまでが本気なのか。まるで読めない。


そんなガルドの心を見透かしたように、キョウはふっと笑みを浮かべた。


「そうだ」


穏やかな声音のまま言う。


「少し前に、蒸気の魔女殿から通信が届いた」


バーンの表情が引き締まる。


「魔女殿から?」


「ああ」


キョウは静かに頷いた。


「ここで立ち話をする内容じゃない」


そう言って出口へ向かって歩き出す。


「屋敷へ行こう」


「話はそこで聞いてもらう」


バーンは静かに頷き、ガルドも慌ててその後を追った。

夜明け前の冷たい風が、地下通路の出口から静かに吹き込んできた。


アルカディア家の屋敷。

屋敷の最奥にある書斎には、大小さまざまな歯車細工や通信機、年代物の地図が並び、柔らかな蒸気灯が室内を琥珀色に照らしていた。


モルオは机へ飛び乗ると、小さく丸くなって座り赤い瞳が静かに消えた。


キョウは椅子へ腰掛け、ゆったりと脚を組んだ。


バーンとガルドも向かいへ腰を下ろす。


しばし沈黙。

やがてバーンが静かに口を開いた。


「それで……魔女殿からの通信とは?」


キョウは肘掛けへ頬杖をつき、小さく笑う。


「結論から話そう」


その笑みが、ほんの少しだけ薄れた。


「──”蒸気の心臓”は、あそこには無かった」


「……!」


バーンの眉が跳ね上がる。ガルドも思わず息を止めた。


「空だったのですか……?」


「そうらしい」


キョウは淡々と答える。


「しかも、それだけじゃない」


部屋の空気が変わる。


モルオの赤い瞳だけが、静かに揺れていた。


「持ち去った人物まで分かったそうだ」


バーンが身を乗り出す。


「誰です?」


キョウは一拍だけ間を置いた。

その一瞬が、やけに長く感じられる。


「レオナール」


それまで穏やかだったバーンの表情が、音を立てるように崩れた。


「ば、馬鹿な……!」


勢いよく立ち上がる。


「レオナールはとうの昔に消息を絶ったはずですぞ!」


「そう」


キョウは驚く様子もなく頷いた。


「だから厄介なんだ」


机の上のモルオを指先で撫でる。


「歴史から消しさられ、しかも行方不明となった男。いったいどこにいるんだろうね」


バーンは腕を組み、険しい顔で唸る。

ガルドは無意識に喉を鳴らした。


部屋の温度は変わらない。

それなのに、背筋だけが冷えていく。


キョウは静かに立ち上がる。


窓辺まで歩き、夜明けを迎え始めた帝都を見下ろした。

淡い朝焼けが、街並みをゆっくりと照らし始めている。


「これは、終わりじゃない」


ぽつりと呟く。


「むしろ、始まりさ。僕ら赤と、そして帝国軍……いや、もしかしたらそれ以外の人間もいるかもしれない」


振り返ったキョウは、どこか楽しげに微笑んでいた。


「“心臓”の争奪戦さ」


琥珀の瞳が静かに細まる。

バーンは深く息を吐いた。


「赤全員へ知らせますか」


「ああ、そうだね。僕らだけじゃない……“あの御方”にもね」


キョウは即答する。


「文字通り、総出で動くことになる」


そう言うと、机の上のモルオを抱き上げる。


「忙しくなるよ」


モルオは返事をするように、消えていた赤い目を再び輝かせた。


「僕らで……この国を必ず守ろうじゃないか」

 

夜明けの光が銀髪を照らす。


“帝都の月影”は、静かに笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ