35.錆翼の影、燃ゆる蒸気
大空洞に、しんとした緊張が走る。
互いの呼吸音さえ、蒸気の霧に吸い込まれていくようだった。
その中でスピアーは艶めいた笑みを浮かべながら、もう一度ルシアを見つめる。
「やっぱり気になるわ。ルシアお嬢様がなぜここにいるのか」
指先で髪をすくい、わざとらしく首を傾げる。
「当ててみせるわね……。えーっと……」
スピアーが顎に手を当てながら考え始めると、隣に立つラルゴが口を開く。
「おい…くだらないことをしている暇はないぞ」
低く唸る声が響いた。
鉄塊のような男、ラルゴは外套の裾を払うと同時に一歩前へ出る。
「ルシア様……そしてそこの二人。もう一度、単刀直入に言うぞ」
ラルゴは両腕から蒸気を漂わせながら拳を突き出し構えを取る。
「蒸気の心臓を手に入れたのなら、俺たちに寄越せ」
威圧するような声。その言葉の奥に、確かな殺気があった。
シアンは一瞬の沈黙の後、僅かに肩をすくめる。
「残念だったな、心臓はここにはなかった。俺たちもアテが外れたんだよ」
そうシアンは言葉を返すが、ラルゴは構えを解く素振りは全く見せない。
そんなヒリついた空気の中、スピアーは笑みを浮かべたまま口を開いく。
「ああ! 分かったわ!」
指を鳴らしながら、彼はルシアを指差す。
「ルシア様のお父上……。あの老いぼれ元帥と将校たちの密談を盗み聞きしたんでしょう? 違うかしら?」
その瞬間ルシアは大きく目を見開いた。
「なっ……! 貴方! 父を老いぼれ呼ばわりなんて無礼ですよッ!」
ルシアは怒りを隠さず叫んだ。
スピアーは唇を尖らせ、爪先を軽く床に打ち付ける。
「だって本当のことじゃない? 国が侵略の危機に瀕しているのに口を開けば平和平和って……」
そのままスピアーは言葉を続ける。
「それに元帥なんて今じゃキース様の傀儡にされてるだけの男よ。誰がそんな時代遅れに付き従うのかしら……。ねえ、ラルゴ?」
語り追えると、スピアーは隣のラルゴに視線を向ける。
「……ああ」
ラルゴは重々しく頷いた。
「敵国……バルナス共和国との戦を前に、我々を鼓舞しているのはキース将軍だ。ガレス元帥はいつまでも“和平”を叫んでいるだけ。逃げの将に敬意を払う道理はない」
ルシアの瞳が怒りで揺れる。
「……あなた達、よくも父を」
「ルシア様、ちなみにアンタをここに連れてきたハーランちゃんも同じよ。老いぼれ元帥も、そしてアンタも――アタシ達にとって邪魔なの」
スピアーの笑みが消えた。
「つまり……何が言いたいか、分かる?」
ルシアが息を呑む。
「分かりません……! あなた方の様な人達の考えなど、分かるものですか!」
「ふふっ……そうよね。世間知らずには、これからどうなるかも分からないものねッ!」
その瞬間、スピアーの手が閃いた。
細いナイフが空気を裂き、ルシアの胸元めがけて一直線に飛ぶ。
「きゃっ!」
――ガキィンッ!
鋭い金属音が大空洞に鳴り響く。
ルシアの目の前にはいつの間にかシアンが立っていた。
左手の甲でナイフを弾き落とし、足元にはそれが突き刺さっている。
「こんな危ねぇもん、美人に飛ばしてんじゃねえよ」
シアンは足元に刺さったナイフの側面を蹴ってへし折る。
そして、スピアーを睨みつける。
「危なく美人が一人減るとこだったじゃねぇか。美人が死んでオカマが残ってても誰も喜ばねぇよ」
スピアーの眉がぴくりと跳ねた。
「……へぇ、やるじゃない。言葉も腕もね」
彼は挑発するように微笑む。
「この暗がりじゃよく見えなかったけど、なかなかいい男じゃない」
スピアーの言葉にシアンはうっすらと笑みを浮かべる。
「ははっ、お目が高えな。でもな、俺は見た目だけじゃねえ……。中身も腕っ節も最高だぜ」
ラルゴが低く唸る。
「スピアー。くだらん口を叩いている暇はない。さっさとやれ」
「ええ、もちろん♡」
スピアーの指先がナイフを翻し、闇に銀の軌跡を描いた。
「ただの青年が、アークライン帝国軍特殊部隊、錆翼のアタシを相手にできるかしら?」
シアンは一歩前に出て、背負っていた工具箱をカイに放り投げる。
「カイ……ルシアを連れて離れてろ。俺のお気に入りの工具箱も頼むぜ」
そうしてシアン拳を構える。
カイは投げられた工具箱を受け取り、頷く。
「兄貴……負けないでね!」
不安そうに告げるカイの言葉に対し、シアンは背を向けたまま返事をする。
「誰に言ってんだ、俺はお前の兄貴だぞ? ……お前とルシアは、絶対に守ってやる」
シアンは笑い、左手のピストンを鳴らした。
カイはルシアの手を取ると少し遠くの岩陰に走り出し隠れる。
大空洞は静まり返る。
シアンの左手の蒸気兵装Mark.IIIと、ラルゴの両腕の蒸気兵装から吹き出る蒸気が床を這い、白い霧が立ち上る。
「さてと――やりますか」
シアンが呟いた瞬間、目の前に影が走った。
「遅いわよッ!」
スピアーが一瞬で間合いを詰め、ナイフを閃かせた。
「っぶね!」
シアンは身を翻してその攻撃をかわす。
頬を掠めた刃が、風を切った。
「んもう、チャンスだと思ったのに……!」
スピアーは悔しそうに唇を噛み、それでも楽しげに笑った。
「……こりゃあ、いきなりフルスロットルで行くしかねぇな!」
シアンの左手が唸りを上げ、蒸気がさらに噴き上がる。
ピストンが鼓動のように鳴り、金属の肌が光を反射する。
「今度はこっちから行くぜッ!」
拳を握り込むと左手内部が淡く光る。
地面を蹴り、間合いを詰めてシアンは殴り掛かるが、スピアーはその拳をナイフでいとも容易く受け止めた。
衝撃音が響く中、二人が睨み合う。
「あら? 思ったより遅いみたいね」
「おいおい! そんな余裕ぶっこいて、後で泣いても知らねえからな!」
蒸気と火花が交錯し、戦いの幕が――ついに、上がる。




