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蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第1章、運命の鼓動
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22/113

22.鋼鉄の海より来たる影

シアンたちが北区へ向うより少し前のまだ夕刻の頃。

赤く染まり始めた空の下、港の防波堤に波が鈍く打ち寄せている。

 

そんな港の一角に、巨大な鋼鉄の軍艦が静かに浮かんでいた。

煙突から白い蒸気を吐き出しながら、鉄と油の匂いを風に乗せて街へと流す。


その艦名は《グラナード》。

アークライン帝国軍の誇る軍艦で、古の大戦時に建造され、改修を重ねて今なお最前線を渡り歩く、帝国の威信の象徴だ。


艦首。

 

そこに一人、長身の男が腕を組み退屈そうに立っていた。

胸の双翼の歯車が刻まれた勲章がキラリと光る。


アークライン帝国軍大佐、ハーラン・ヴォルグナー。

ゆっくりと腕組を解き、無精ひげを撫でながらぼんやりと夕陽の沈む方向を見つめている。

左の眼窩には鈍く光る金属の義眼がはまり、夕陽を反射して橙に煌めいた。


「――大佐、無事に港への停泊が完了しました!」

 

背後から若い兵の声が飛ぶ。

ハーランは片眉を上げ、軽く顎を引く。


「ご苦労。……ふう、ようやく着いたか」

 

肩をすくめて踵を返し、港に広がる街――アルディスの街並みを眺めやる。

蒸気機関車の黒煙が線を描き、塔のような煙突からは絶え間なく白い蒸気が吹き上がっていた。

 

「だがな……」


彼はぽつりと呟くと、言葉を続けた。

 

「キース殿の言っていた“蒸気の心臓”とやらが、こんな辺境にあるとは、やはり到底思えん。まったく、軍上層部の連中は幻を追うのが好きだな……」


煙草を取り出し、火をつける。

紫煙の向こうに見える街は、どこか穏やかで戦の匂いとは無縁に見えた。

 

ハーランは煙を吐きながら、呟くように言う。

 

「――だが、命令は命令か。面倒な仕事だ」


その時、甲板の方から慌ただしい足音が響いた。

振り向くと、さきほどの兵が血相を変えて駆け寄ってくる。


「ハーラン大佐! た、大変です! ルシア様の姿が、船内のどこにも見当たりません!」

 

「……は?」

 

ハーランの目が鋭く細まる。

 

「消えた、だと?」


兵が息を荒げて頷いた。

ハーランは深く息を吐き、下唇を噛む。

 

「……だからガキの相手は嫌なんだ。子どもの“気まぐれ”は軍規とは無縁のものだからな」

 

指でこめかみを押さえながら、ぼそりと命じた。

 

「まあいい…まず優先するのはアレだからな。平和を垂れ流し続ける老いぼれの娘なぞ放っておけ」


その声音に冗談めいた響きはなかった。


兵たちは一斉に敬礼し、慌てて散っていく。

艦上に残されたハーランは、再びため息をついた。

 

「全く……。同行したいなどと言い出した時から嫌な予感はしていたが……。案の定だ」

 

彼の言葉を遮るように、背後で軋む音がした。

荷積みされた木箱の影から、二つの黒い影がふらりと現れる。


長い外套に額に赤い鉢巻を巻いた巨漢と、蛇のように細身で緑色の髪をした男。

彼らは無言のまま歩み寄ると、片膝をつきハーランに敬意を示す。

 

「聞こえていたな、どうやら仕事が増えてしまったようだ」

 

ハーランが言うと、二人は静かに頷いた。


「……構わん、俺は命令されたことをこなすだけだ」


「そうそう。アタシたちは、ハーランちゃんが下す指示に従うだけよ」


そう告げると二人はゆっくりと立ち上がり、ハーランの前からゆっくりと離れていく。

 

「ここからはお前たち二人に任せた。蒸気の心臓の回収と、ついでにルシア様の確保――頼んだぞ」


巨漢の男は背中越しその言葉を聞くと僅かに頷く。

細身の男も同様、ただ背中越しにヒラリと手を振った。

 

二人の影は、やがて港へと降り立ち、夕闇に紛れるように姿を消していく。


その様子を見届けると、ハーランはゆっくりと帽子のつばを下げ、海の向こうを見つめた。

遠く、水平線の先には灰色の雲が渦巻いている。

 

「さて……。バルナス共和国よ」


それは、海のはるか向こう側、水平線のかなたに存在するある国に対して発せられた。

かつてこのアークライン帝国に戦をしかけたバルナス共和国。

 

「貴様らに、現代のアークライン帝国軍の強靭さを見せてやろうじゃないか」

 

義眼が不気味に光る。

その口元がゆっくりと歪み、乾いた笑いが漏れた。


「くくく……。必ず貴様らを倒し、我が国に平和をもたらす」


蒸気の咆哮が再び轟く。

グラナードの船体が港に沈みゆく夕陽を背に、鉄の亡霊のような影を落としていた。

 

やがてハーランの姿も、街から漂ってきた蒸気の靄の中へと消えていく。

その眼の奥で、帝国の陰謀が静かに動き出していた。

 

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