21.ギア・ランナーズ・ナイト
夜のアルディスは、昼間の蒸気と人でごった返す顔はなりを潜め、しんと静まり返っていた。
街灯が石畳を淡く照らし、浮かぶ白煙の中に光の輪がゆらめく。遠くの工場から、かすかに蒸気の汽笛が鳴った。
そんな夜気を切り裂いて、金属の軋みが響く。
──ガシャン、ガシャン。
カイのギアランナーが、夜の街を疾走していた。
歯車がかみ合うたびに、青白い火花が散った。
ピストンの呼吸、歯車の脈動、駆動油の匂いが宵闇を裂く。
その少し後方を、息を切らしながらシアンが全力で追っていた。
「兄貴! 早くしないと、蒸気の心臓取られちゃうよ!」
前を走るカイが振り返ってシアンに叫ぶ。
その声が届くとシアンは少し苦しそうな声で叫び返した。
「バッキャロー! お前はギアランナーだから余裕だろうけどなあ……! 俺は左手以外生身なんだぞ!」
額の汗を拭う暇もなく、彼は左手の〈Mark.III〉を軽く振った。
その手は、金属の皮膚の下で蒸気が脈打つ。
夜風を切るたび、どこか軽快な機械音が鳴る。
「お前なあ、せめて俺用のも作っとくのが流れってもんだろ!」
シアンは文句をカイに言いながら後続を走り続ける。
「そんな材料、どこにあるって言うのさ! それにもし作ってあったとしても、造形がどーとかって絶対文句言うでしょ!」
息も絶え絶えに言い合いながら、二人は夜の裏路地を抜けていく。
どれだけスピードを上げてもギアランナーを装着したカイに追い付かない状況に、シアンは次第に悔しい顔を浮かべた。
「もう限界だ! ったく、ガキに置いてかれるとは情けねぇ!」
シアンは立ち止まり、息を吐いた。
だが次の瞬間、口元に不敵な笑みを浮かべる。
「……しゃあねえな! なら、こいつの出番だ!」
カシャン、と〈Mark.III〉の側面が開く。
内蔵されたワイヤーアンカーが展開され、次の瞬間。
——バシュンッ!
金属線が夜空を裂き、カイの走る先にある建物の煙突に突き刺さった。
「行くぜ、相棒!」
そう告げるとワイヤーが一気に巻かれる。
その勢いでシアンは身体を引き上げ、空を飛ぶように舞い上がりるとその建物の屋根の上に着地した。
「へへっ、どうだ!」
下を走るカイに向かって得意げに笑うその様子に、思わず目を丸くした。
「兄貴、すげぇぇ!」
カイはキラキラと目を輝かせてシアンを見ていたが、すぐに顔をハッとさせた。
「でもずるいぞ! それ!」
「ずるくねぇ! これは俺の体の一部だからな!」
そう言いながらシアンは、ワイヤーを次々と打ち込み、屋根から屋根へと飛び移っていく。
蒸気の街を背景に、黒い影が躍動する。
「兄貴、カッコつけてるけど、落ちたら絶対笑うからねー!」
「落ちねぇよ! 俺の蒸気兵装ナメんな!」
軽口を交わしながら、シアンとカイは並んで並走する。
夜風が冷たいが、二人の間に流れる空気は妙にあたたかかった。
兄と弟のような絆が、蒸気の音に乗って街を駆け抜ける。
やがて、北区の外縁にたどり着く。
そこは街の最も冷えた場所。
巨大な煙突群が並び、空には黒煙が渦を巻いている。
街灯の数も少なく、ただ機械の脈動音だけが遠くで響いていた。
「……着いたな」
シアンが息を整えながら呟く。
視線の先、門の前には警備用のオートマトンが数体、無機質に立っていた。
銃口のようなセンサーが、闇の中を周期的に走査している。
その光景を見たカイは少し不安そうな顔をしながらシアンに尋ねる。
「どうするの、兄貴?」
「どうするって言われてもな……」
シアンは髪をかきあげ、ため息をついた。
「こんな時、ばあちゃんが居たらなぁ」
その瞬間、どこからともなくノイズが走った。
ザザ……ザー……
『直接入口から入るのは危険だね』
聞き慣れた声がどこからともなく聞こえてくる。
「ばあちゃん!?」
シアンは周囲を見渡すが、グレンダの姿はない。
すると、一羽の鳥が夜空から舞い降りた。
真鍮の羽、歯車の瞳、尾の先でかすかに蒸気を吐く小鳥。
──クロックバード。
鳥は軽やかにカイの頭の上に止まり、小さな口の奥からグレンダの声が流れ出す。
『コイツを通して、あんたたちを見てるよ。便利な時代になったもんだねぇ』
「うお、すげぇ! こんなちっちゃいのに通信機能付きかよ!」
シアンが感心して覗き込む。
『右手の方に見える建物、あそこはこの施設の中では警備が手薄だ。そこの屋上から回りな』
クロックバードの胸部ランプが、方向を指し示すように点滅した。
「了解、グレンダさん!」
クロックバードは今度はシアンに向き直る。
『それにしてもお前さん……。マフィアと喧嘩した後にこんな短時間でここまで辿り着くとは、相変わらず恐ろしいほどの体力だね』
グレンダがそう告げると、シアンはニヤリと笑って胸を指さした。
「ばあちゃん、実はな……俺の心臓は鋼で出来てるんだぜ?」
『馬鹿なこと言ってるとヘマするんだから気を抜くんじゃないよ。カイ、シアンから離れるんじゃないよ』
そう告げると、鳥は小さくさえずり、再び夜空へ舞い上がった。
シアンは拳を握りしめながら北区を見つめ口を開く。
「よっしゃ、行くぞカイ! 派手にいくなよ、静かにだ!」
パシンと拳を叩きながら、シアンがそう大声で告げる。
その声にカイは思わず耳を塞いでジロリとシアンを睨んだ。
「兄貴が一番うるさいんだよなぁ、それ」
「うるせぇ! 俺のは勇ましいっつーんだ!」
小声で笑い合いながら、二人は闇に溶けるように走り出した。
蒸気の街、アルディスの夜。
禁断の発明をめぐる冒険は、いよいよその核心へと近づいていく。




