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蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第1章、運命の鼓動
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2.スチーム・フィールドの朝

「やっべ、マジで今日こそ殺されるかもなあ……」


額に汗を浮かべながら、シアンは靴底を鳴らして石畳を駆け抜けた。

 

たどり着いたのはひとつの建物。

入口の上には古びた鉄の看板が飾られている。

 

《スチーム・フィールド》

 

看板の下の小さな窓の中から見える店の中には、機械が所狭しと並んでいた。


シアンは勢いよく駆け込むことはせず、扉の前で一度足を止めた。

呼吸を整えてから、恐る恐る扉を開く。

 

「おはようございマース…」

 

シアンがそーっと、小さく挨拶をする。


返事はない、室内もしんと静まり返っている。

ほっと、肩で息をしたその瞬間。

 

「このバカもんがぁあああっ!」


耳をつんざくような怒声が飛んできた。

その瞬間、死角から飛んできたスパナ型の鉄杖が、シアンの頭頂を正確に叩いた。

 

「いってぇぇぇぇぇっ!  ちょ、ばあちゃん待って!話せば――!」


「話す前にまず働け! この寝坊助がッ!」


頭を抑え縮こまるシアンの前に、杖を握った老婆が鋭い目で見下ろす。


長い白髪は二つの三つ編みにまとめられ、右目には金縁のモノクル。

油の染みたエプロン姿は、まさにこの工房の主にふさわしいものだった。


グレンダ・フィールド。

この店を切り盛りする七十歳の職人である。


「まったく……昨日は店にも帰ってこんで! 港の商会から頼まれた蒸留機の修理はどうなってるんだい!?」

 

「えっと、その……バルブの調整でちょっと苦戦してて……」

 

「苦戦? お前さん、昨日港でエール飲んでただろうが!」

 

「げ! 見てたのかよ!?」

 

「見てなくても分かるわ! お前さんのその顔が飲んだ顔ってしてんだよ!」


グレンダの容赦ない突っ込みに、シアンは両手を上げて降参のポーズを取る。


そのとき、奥の工房から甲高い声が響いた。


「兄貴、おはよう! また寝坊したでしょー!」


煤けたゴーグルを頭に乗せ、両手にスパナを持った小柄な少年が顔を出した。


カイ・レーン。

グレンダのもう一人の弟子にして、シアンの弟分。


十二歳という幼さにも関わらず、壊れた機械を前にするといとも簡単に調整をやってのける、この工房自慢のメカニックだ。

 

「うるせぇな、ちょっと寝過ごしただけだ!」

 

「ちょっとが毎日続いたら、いつもなんだよ!」

 

「くっ、正論……ばあちゃんと過ごしてるうちにお前までそんなこと言うようになりやがって!」


そんな二人のやり取りを見て、グレンダが呆れた顔をしながら溜め息をつく。


「まったく、口の回転だけは一人前だね、あんたらは……」


反省するようにシアンは首の後ろをかきながら、工房の中を見回した。

 

木製の床には油の染みが無数に広がり、壁一面に工具が整然と吊るされている。

歯車、ピストン、古い計器類が所狭しと並び、天井の配管からは薄く蒸気が漏れ出していた。

 

だが、不思議と雑然とした印象はない。

どの部品にも持ち主の記憶が宿っているようで、整然とした“秩序の乱雑さ”があった。


ここが――何でもスチーム・フィールド


この店に持ち込まれるものに、決まりなんてなかった。


動かなくなった機械、壊れた玩具。

そして時には、人には言えない頼み事。


それでもグレンダはいつも、訪れた人たちに同じようにこう告げる。


《困ってるならアタシらに任せな》

 

それがこの小さな工房の形だった。


「ばあちゃん。あの蒸留機の件、今日中にはなんとかなると思う。今日また、ちょっとだけ港まで行ってくるよ」


シアンのその言葉に、グレンダは眉をピクリと動かした。

 

「また“ちょっと”かい。昨日も“ちょっと”って言って結局帰ってこなかったじゃないか」

 

「ははっ……あのときはその、酒場に——」


「ほらな、やっぱり寄ったんだろ?」

 

「ぐっ……ご名答」


二人そのやり取りを見ながら、カイがくすくす笑う。

 

「兄貴。もう少し真面目にやらないと、グレンダさん倒れちゃうよ?」


カイはグレンダを気遣うように優しくそう言うが、彼女はそれを否定するかの如く、テーブルをバシンと叩いた。

 

「誰が倒れるか! この年でまだスパナ振り回せるんだ、アタシは!」

 

グレンダが胸を張ると、カイは慌てて背中を押して、工房の隅にある椅子へと腰を下ろさせた。

 

「は、はいはい! でも血圧上がるから落ち着いて!」


シアンは思わず吹き出してしまう。


この場所の、この空気こそが、彼にとって一番落ち着ける“日常”だった。

 

工房の奥では、修理途中の機械が静かに佇んでいる。

年代物の懐中時計、油にまみれた農機、見たこともない形の自動人形の腕。

 

どれもが依頼人の生活の一部であり、そして“宝物”でもある。


それを直すことも、この何でも屋の仕事。

 

たとえ部品が規格に合わなくても、カイが独自の調整で再生させ、シアンがそれを持ち主へ届ける。

そしてグレンダは、二人のやり取りを見守りながら店を切り盛りする。


「ふぅ……じゃあ、今日もやりますか」

 

シアンは首に下げたゴーグルを軽く指で弾いた。

キンッと澄み渡るような金属音が鳴る。


それは、シアンがいつものように気合いを入れる仕草だ。

 

「まったくお前さんは……大遅刻してもすぐ切り替えれるなんてねぇ……」

 

「褒め言葉だと思っとく!」

 

「褒めてるんじゃないよ!」


怒鳴り声と笑い声と蒸気の音が混ざり合う。

スチーム・フィールドの朝が、今日も始まった。

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