17.蒸気の心臓
地下室の灯は、古びたランタンの炎に揺らめき、湿った空気の中で影を何層にも重ねていた。
バーンの声だけが、歯車の回るように静かに空気を切り裂く。
「蒸気の心臓――それは莫大なエネルギーを持った、美しい結晶だった」
その言葉を皮切りに、場の温度がわずかに下がった。
グレンダが眉をひそめ、シアンとガルドは互いに視線を交わす。
“心臓”という名に、どこか人の命を感じる響きがあった。
四人の間にしばらくの沈黙が流れた。
しかしその沈黙を破ったのは、この話を始めたバーンではなくグレンダだった。
「たしか……。発明者の名は、――レオナール・グレイン……だったね」
レオナール・グレインの名前が出ると、バーンはゆっくり頷いた。
「ええ……。アークライン帝国史上……いや。この世界においても類を見ぬ天才」
「彼は帝国の平和ために、その一心だけで狂気の領域へと踏み出しました」
バーンは目を閉じた。
まるで昔の記憶を、その瞼の裏で見つめているようだった。
目を開けるとバーンはシアンとガルドを見た。
「アークライン帝国が衰退していたあの時代、なぜ我々はあれほど大量の蒸気兵装やオートマトンを製造できたのか……不思議に思ったことはないか?」
シアンはその言葉に無言で頷き、ガルドはなぜなのか分からない顔をした。
たしかに、当時技術も資源もあった事は文献に書かれていたが、どこか説明がつかない。
バーンはそんな二人から目を外し、深く息を吸うと言葉を落とす。
「魂こそ、永遠に燃え続ける動力だ……」
「レオナールが常に口ずさんでいた言葉だ。彼は戦争の狂気の中で、ある結論にたどり着いた」
そうしてバーンは握りしめていた拳をゆっくりと開いた。
「魂を燃料にすれば、蒸気よりも純粋な力を得られると」
「ま、まさか……」
ガルドが呟くと、バーンはゆっくりと頷いた。
「意志の鋲が完成したことで、彼は確信した。人の意識を機械に移せるなら、魂そのものをエネルギーに変えることも可能だと」
「そして、戦場に残された空っぽの身体――兵士たちの亡骸を使い、実験を始めたのだ」
シアンの左手の義手が、わずかに軋んだ音を立てた。
グレンダは何も言わず、ただ静かにその目を閉じている。
「……ある日、友人であった私は彼に呼ばれた。研究所の奥で、私は見たのだ」
「見たこともない、美しい光を放つこぶし大の結晶体を……。それは、まるで人の心臓が鼓動しているかのように脈打っていた」
バーンの声が震えた。
「その結晶体こそ“蒸気の心臓”。その力は、それだけで帝国全土を動かすほどのエネルギーだった」
「蒸気も電力も……。すべて霞むほどに強大だった」
そして一息バーンはついた。
「……そのエネルギーを使って、帝国は蒸気兵装やオートマトンの製造を急ピッチで行えたわけだね」
グレンダが呟くと、バーンはそうだと言わんばかりに頷く。
「そんなものが……」
シアンは唖然としていた。
「それで、戦争に勝ったというわけですか?」
ガルドが尋ねると、またバーンは無言で頷く。
「だがな……勝利と引き換えに、帝国は自らの倫理を失ったのだよ」
そう言ってバーンは苦く笑う。
「戦が終わると同時に、レオナールは消息を絶った。そして蒸気の心臓は――彼が消えてからしばらくの後に危険すぎる遺産として封印された」
地下室の空気が重く沈む。
やがて、グレンダが低く問うた。
「なるほど、それで帝国は蒸気の心臓を処分できず、アルディスに隠したってわけだね」
「ええ……。アルディス北部の動力プラント――この街の施設の地下深くに、心臓は今も眠っている」
ガルドが息を呑むその横で、バーンは語気を強めた。
「だが、事態は動き始めている! 帝国軍の実質的な指導者――キース・バレンタインがその存在を知ったのだ!」
「軍艦でこの街に来たのも偶然ではない。奴は“心臓”を手に入れようとしている。そしてそれを交渉材料として現皇帝を焚き付け、再び戦の火を起こすためにな」
シアンは唇を噛み、拳を握った。
再び戦争――その言葉に、グレンダの瞳が怒りに燃える。
「今回のお願いというのは……」
「貴女の察する通りだ」
バーンが頷く。
「蒸気の心臓を奴らよりも先に見つけ、我々貴族派閥の手に渡してほしい。あれを二度と軍に利用させるわけにはいかないのだ」
重苦しい空気の中で、バーンはじっとグレンダを見つめた。
その老いた瞳の奥には、かつて戦を止められなかった男の贖罪が宿っているようだった。
グレンダはしばらく沈黙したあと、深く息を吐く。
「今回は今まで以上に厄介な依頼だね……」
「でも、放っておけばこの街が……いや。世界が再び火に包まれる」
そして――
「断る理由はないよ」
そう言うと、彼女はシアンに視線を向けた。
「かなりでかいヤマだよ。絶対に失敗は許されない」
「シアン……。わかってるね?」
シアンは無言で頷いた。
その眼差しには迷いがない。
かつて戦争の犠牲となった世代の罪と、未来を背負う若者の決意が、静かに交わった瞬間だった。
グレンダが立ち上がり、椅子の脚が床を鳴らす。
「行くよ、シアン。歯車はもう、動き出しちまったみたいだ」
蒸気の音が、地下の奥でかすかに鳴った。
それは、再び歴史が軋み始める音――
そして、“蒸気の心臓”をめぐる争奪戦の幕開けだった。




