16.禁断の鋲
地下室の空気は、バーンの口から放たれた“蒸気の心臓”という言葉によって一層重く沈んでいた。
ランタンの光が揺れ、湿った蒸気が白く漂う中で、グレンダとバーンは沈黙のまま視線を交わした。
シアンは何が何やらという顔をして腕を組み、ガルドは困惑を隠せず問いかける。
「……なんですか、それは? 帝国の歴史書にも、他の文献にも載っていない。そんなもの、聞いたことすらありませんよ」
「そりゃそうだろうね」
グレンダが低く笑う。
「“あれ”は禁断の領域の話だ。あんたら若い世代には伝えるべきじゃないと、当時の上層部やあれに関わった人間は考えたんだろうさ」
バーンが頷き、重々しい声で言った。
「君たち若き世代にこの話をするには、昔話から始めなければならん」
彼の瞳はランタンの光を映しても、鋼のように冷たい。
「時は遡り──まだ“エルディア大戦”のさなかのことだ」
ゴウン、と遠くで蒸気管が鳴る。
地下の空気はまるで時を遡るようにどんどん冷たくなっていった。
「あれはまだ、隣国バルナス王国がネメリア公国を落とし、バルナス共和国として強大な勢力を築き上げた頃」
「その膨大な兵力を引っ提げ、あの国は我らの国を奪うために戦争を仕掛けてきた」
「その兵力に押され続け、アークライン帝国は衰退の一途を辿り、もはや滅びは時間の問題とされていた」
ガルドは無言で頷き、シアンも息を呑む。
「その頃、帝国のとある研究者が三つの発明を生み出した」
バーンの声が静かに響く。
「ひとつ目は──蒸気兵装。君が身につけているそれだ」
そう言って、バーンはシアンの左手を指さした。
シアンは自分の左手を見下ろす。
真鍮の継ぎ目から細かな蒸気が漏れ、青白い光が脈を打つように瞬いた。
「その兵装のおかげで、負傷した兵士たちは再び戦場に立てた。彼らの存在が、帝国の反攻を支えたのだ」
ガルドもシアンの左手を見つめた。
「ええ、それは文献にも記されています。蒸気兵装こそが帝国を立て直した最大の発明だった、と」
ガルドが真面目な口調で補足する。
バーンはゆっくりと頷き、しかし目を伏せた。
「だが、残る二つは……公には伝えられなかった」
沈黙ののち、バーンは低く言葉を続ける。
「二つ目──スティール・スパイク……“意志の鋲”と言うものだ」
その名を告げた瞬間、地下の空気がピリリと震えた。
「意志の鋲?」
ガルドがそう繰り返すと、バーンは小さく頷く。
「……それは、人の脳とオートマトンを回路で繋ぐ技法だ。人の“意志”を剥ぎ取り、機械に定着させる」
「つまり──死してなお、兵として戦わせる術だ」
「なっ……!」
シアンの声が裏返る。
ガルドは言葉を失い、グレンダは目を閉じたまま静かに息を吐いた。
「蒸気兵装では救えぬ程の負傷した者たちを、無理やり“動かす”ための技術だった」
バーンの声は淡々としていたが、そこに宿る重みは尋常ではない。
「あとはもう死を待つだけの者、意識だけを残した者──彼らは“意志の鋲”によって再び戦地へ送られた」
「人の形を失っても、命令に従う兵としてな」
シアンの拳が震える。
「それは……もう、人じゃねぇ……」
バーンは静かに目を伏せる。
「それほど彼らはこの国を守りたかったのだよ……。しかし終戦ののち、この技術は南のセルジュ砂漠に遺棄された。人の意識を宿したオートマトンごと、な」
「そ、そんな……。どうして国は黙っているんですか!」
ガルドが立ち上がり、テーブルを叩いた。
「今さら私に問われてもな。当時の上層部の判断だ」
バーンは疲れたように答える。
蒸気の音だけが、沈黙の中を這うように流れた。
しかし、バーンは再び顔を上げた。
「そして──三つ目」
「最も恐ろしい発明にして、それを見た全員が口を揃えて最も美しいと呼んだもの」
その瞳が、薄暗いランタンの光を映す。
「それが、スチーム・ハート……“蒸気の心臓”だ」
シアンもガルドも言葉を失い、ただ息を呑んだ。
グレンダだけが、まるで予感していたように小さく頷く。
「……やはり、そこに行き着くのかい」
彼女の呟きが、湿った空気に溶けた。
地下の奥で、どこか遠くの蒸気管が低く唸る。
まるで“心臓”が鼓動を始めたかのように。




