118. 灰色の拳の秘密
アルディスの蒸気義肢と蒸気兵装を扱う義肢屋リオンズ・ピット。
正午の喧噪も落ち着いた頃、表のベルが軽やかに鳴り、客の一人が修理を終えた蒸気兵装を肩に抱えて帰っていく。
「毎度あり〜♫」
店主のリオンが満面の笑みで見送るが、ドアが閉まった瞬間、彼女の顔は見るからに不機嫌なものへと変わった。
「まったく!買ってからほぼ一回もメンテせずに“調子が悪い”だなんて!そりゃ悪くなるに決まってるじゃないの〜!!」
リオンはカウンターに突っ伏した。オイルの匂いが染みついた工房は、今日も彼女の愚痴で温かい。
「せっかくの蒸気義肢や蒸気兵装が可哀想だよ!そしてそのせいで汚れるアタイも可哀想だッ!」
ダン!とカウンターを叩く。
「……でも、まあ、内緒でさっきの人の蒸気兵装にドリル仕込んだった……ふふふ」
悪い笑みが浮かぶ。
「リオンちゃん、また悪いことしたでしょ?」
裏の工房からスーッと影のように現れたのはファントム。
ニコニコと笑顔だが、声だけはどこか呆れている。
「ひぃっ、ファンちゃん……!いやだってあの人ひどかったんだよ?
“修理代が高い〜”、だの、“もっと早くできないの〜”、だの……」
リオンがぷくっと頬を膨らませる。
「でもね、せっかくウチを選んで来てくれたんだから……」
ファントムが諭すように言うが、
「いーや、あれはアタイたちが女の子だから来てるやつ!あの手の人は目を見ればわかるもん!」
「はいはい……それ聞かれたら大変なんだから」
ファントムは苦笑しつつリオンの隣に立った。
その時、リオンはファントムの手にある薄い冊子に気づく。
「そういえば、その手に持ってるの何?すごい古いね、最近のマニュアルじゃなさそうだけど」
「あ、そうそう!これね、シアンくんの左手の説明書みたいなやつじゃないかな?」
ファントムが表紙を見せると、「リベラルナックル・基本仕様」と書かれている。
「あ、ほんとだ!なんでこんなの持ってんの?どこで見つけたの!?」
「ちょっと必要な工具が見つからなくてね。リオンちゃんのお父さんの昔の作業部屋を漁ってたら、古棚の奥から出てきたの」
「へぇ……お父さんの部屋かぁ」
リオンの声がほんの一瞬だけ優しくなる。
先代のギアスミスだった父の部屋。埃をかぶった棚。その奥から偶然見つかった資料。
二人は興味津々でページをめくり始めた。
「コアシステムに……ワイヤーアンカー、グラップ機能……って、地味すぎない?」
「見た目もシンプルな灰色の子だからねぇ」
派手さなく無骨なもの。それが“第一世代のオーソドックスな蒸気兵装”の常識だった。
「これならシアンくんが前に使ってた《Mark.III》の方が上かもね! あれはセカンドパイル、二重打撃の機能があったし!」
「まぁ仕方ないよ、エルディア大戦時代の兵装だし。でもね、リベラルナックルの金属……ほら。外装とか指先にタングステンが使われてる。これは現代でもトップクラスだよ。熱にめちゃくちゃ強い」
「うーむ……玄人向け過ぎるよ。もっとこう、ガシャーン! とか、ドガガガガ! とかさぁ!」
「それは完全にリオンちゃんの趣味」
二人が笑い合いながらページをめくる。
――その時。
「ん……ちょっと待って」
リオンの動きが止まった。
見開きページの中央に、今までと明らかに異質な図面があった。
「……なに、これ……?」
ファントムも覗き込む。
「え……こんなの、聞いたことない……」
二人は顔を見合わせた。今までの軽口が一気に消える。
「これ、どういう理屈……? 現代の蒸気兵装でも絶対に不可能だよ。こんな出力、こんな機能……」
「機能だけじゃないよ、ファンちゃん。ほら、ここ。このページの端に……“発動後に発生する特異反応”って書いてある」
ファントムの指先が触れた小さな欄。
そこには黒いインクで、妙に生々しい記述があった。
リオンはゴクリと唾を飲む。
「な、何コレ……灰色くん……すごすぎ……」
「いや、すごいを越えてるよ。これは、誰が作ったのかを本気で調べなきゃいけないレベル」
ページの端には、見覚えのない署名があった。
――“E.R.”
リオンの父の署名とも違う。
軍事技術者の記録にもない。
「この技術、ただの旧式じゃない。この義手……“何か”が隠されてる」
ファントムが息を呑む。
「これはシアンくんが来たら、絶対に確認しないとね」
「うん……こんなの、アタイたちの目でも判断つかないもん。これは下手するととんでもなく危険な匂いがする……」
二人は黙り込む。
――リベラルナックルの内部で、何が眠っているのか。
それはまだ、誰も知らない。
ただ一つだけ確かなのは。
その秘密が、“今まさに動き始めようとしている世界の歯車”に深く関わっているということだった。




