119. 白の仮面と黒き来訪者
アルディスの中心広場の片隅の場所にあるノートン診療所。
その静かな一室で、グレンダは白いシーツに包まれながら天井を、そして窓の向こうの薄曇りの空をぼんやりと眺めていた。
「さあて、あの子らはうまくやれてるかね……」
弱々しくも口元には笑みが浮かぶ。
シアン、カイ、ルシア——三人は既にククルカン渓谷へ向けて旅立った。
これまではどんな仕事も、すべてシアンやカイは自分の指示のもと実行してきた。
しかし今回は違う。
自分が倒れてしまい、彼らは初めて“独断”で動かなければならなくなった。
「でも、あの子ならきっとやってくれるだろうさ。それにカイやルシアがいる……」
グレンダの声には確信があった。
軽口ばかり叩き、調子者に見えるが、その奥底には誰よりも深い優しさと責任感を抱えているのがシアンだ。
だからこそ、時折彼は自分を犠牲にしてでも誰かを救おうとする。
その危うさを、今回は自分がいなくとも二人が支えてくれる——そう信じている。
「さあて、早く良くなりな……あたしゃまだやることが山ほどあるんだからねぇ」
胸に手を当て、自分に言い聞かせるように呟く。
その時だった。
——コンコン。
軽いノック音とともに扉が開き、ドクター・ノートンが姿を見せた。
「グレンダさん、調子の方はどうだい?」
「万全とは言えないが、ここに倒れ込んだ時よりはだいぶいいさ。迷惑かけてすまないね、先生」
「そう言ってもらえれば安心だ。それで……グレンダさん、お客さんが来てるんだが通してもいいかい? 何だか……変な二人なんだ」
「変な二人……?」
その瞬間、グレンダの背筋に冷たい緊張が走る。
(まさか、《赤》の……)
「通しておくれ。先生は少し外してもらえないかね」
ノートンは頷き、部屋を出ていく。
静寂。その次の瞬間——。
扉がゆっくりと開き、白い影が滑り込むように姿を見せた。
全身を白い洋服を着た紳士ような姿。
だがもっと目を引くのは、顔を覆う白く長い鳥嘴の仮面だった。
グレンダは息を呑む。
生まれてこのかた見たこともない、不気味で、それでいてどこか神聖にも見える存在。
「誰だい、あんたは……?」
ベッドの上ながら、全身の神経を研ぎ澄ませる。
白い仮面の人物は、しかし驚くほど柔らかい声で言った。
「おばあちゃん、驚かせてごめんね。怖いよね、このマスクは」
「……そ、その声……まさか……」
グレンダの目が大きく開かれる。
その時、扉がもう一度開き、今度は黒いローブを纏った影が現れた。
「まったく。連絡が繋がらんから来てみれば……まさか入院しとるとはのう」
ゆっくりとローブを外し、顔を見せる。
その顔を見て、グレンダは思わず叫んだ。
「お、お兄様!!」
そう。現れた人物は——
《赤》の統率者にして、アークライン帝国の先々代皇帝。
そしてグレンダの実兄——バスタード・アークラインだった。
「無理をしたんじゃろ? 常々言ってたじゃろうが、体は大事にせいと」
柔らかいが威厳を感じる声でバスタードは言う。
「ど、どうしてここへ!?」
「いやなぁ……伝えんといかんことがあっての。何度か連絡したんじゃが繋がらんくてのぉ。いてもたってもおれず、ミニ艇すっ飛ばして来たわい」
バスタードはどこかお茶目な笑みを浮かべた。
「伝えなきゃいけないこと……?」
グレンダが問うと、バスタードの表情が一転、鋭くなる。
「結論を言う。《赤》の中に……軍派閥に繋がる内通者がおる」
グレンダは息を飲む。
「そんな……《赤》は全員がお兄様が信頼する者ばかり。それなのに……!」
「うむ、そう思っとったんじゃがの。蒸気の心臓の話があちらに漏れたのも、わしが彼ら話した後じゃ。間違いない」
重く落ちる真実の断片。
「だから気をつけるんじゃ、グレンダ。バーン、新任のガルド、それ以外の連中……いったい何名が軍、キース・バレンタインと繋がってるかわからん。心臓を手に入れても、簡単に他のメンバーに渡してはならんぞ」
そう警告した後、バスタードはふっと口元を吊り上げた。
「まあ……なんとなくじゃが、そのうちの一人は誰かは分かっとるがの。そやつがボロを出すまでは、じっくり待つとする」
「お兄様も人が悪い。ところで……この白い仮面の彼はまさか——」
「ああ。こやつはヴァス。なんと言えばいいかのう…まあ、わしの護衛ってところじゃ」
白い仮面の男は丁寧に頭を下げた。
「ヴァスです。よろしくね、おばあちゃん」
「……ヴァス、ね。ふふ、そういうことにしておくよ。よろしく頼むよ」
グレンダは気づいた——この“声”を知っている……だが今は触れない、彼も素性を隠したいわけがあるのだろうと理解したからだ。
「それで……スモーク・ウォーカーは予定どおりククルカンへ向かっておるのか?」
「ええ、向かっています」
「そうか……ククルカンには今、軍の狂人——マルティナ・グレーヴがおる。面倒事にならねばいいんじゃがのぉ」
バスタードは深い皺の刻まれた額に手を当て、重々しく息を吐いた。
嵐の前触れのような空気が、病室に静かに満ちていく——。




