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蒸気の心臓─機工幻想譚─  作者: らふぃお
第3章、激突ククルカン
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114/119

114.仮面の名前を呼ぶ前に

握手を交わした二人の手が離れた瞬間、それまで張り詰めていた空気がふっとほどけた。


「……ありがとうございます」


その静寂を破るように、ルシアに介抱されていた女性が弱々しく声を上げる。


「もしかして……施設へ向かわれるのでしょうか?」


震える指が胸元を探り、小さな布包みを取り出す。

大切なものを壊れ物のように抱えながら、女性はそれをシアンへ差し出した。


「お願いです……主人に、この薬を届けていただけませんか……」


包みには泥がつき、布は汗で湿っていた。

兵士に押し倒された拍子についた汚れなのだろう。


それでもなお離さず抱えていたことが、その薬がどれほど大切なものなのかを物語っている。


「シアンさん……」


ルシアが不安そうな瞳を向ける。


シアンは包みを見つめ、ほんの一瞬だけ息を呑むと、安心させるように柔らかく微笑んだ。


「ああ、もちろんいいさ」


迷いのない返事だった。

その一言だけで女性の表情から張り詰めたものが少しだけほどけ、目尻に安堵が滲む。


シアン横顔を見つめながら、ラルゴは胸の奥がざらりと軋むのを感じていた。


(……そんなにも迷いなく、人を助けるのか)


理解できない。

いや、理解したくないのかもしれない。


そう思いかけたところで、ラルゴは静かに周囲へ視線を巡らせた。


倒れた兵士たちはまだ気絶している。

だが、このままここに留まれば、いずれ目を覚ますだろう。


「おい。この場を離れるぞ」


低い声が響く。


「こいつらが起きれば厄介だ」


「うん! おじさんの言う通り!」


カイは勢いよく頷き、居住区域へ続くゲートを指差した。


「まずは中に入っちゃおう!」


四人は女性へ軽く頭を下げると、そのままゲートへ向かって歩き出した。


ゲート脇の看守室から、一人の看守がこちらを眺めていた。


「あの、これで通れると聞いたのですが……」


ルシアがパールから受け取った通達書を差し出す。

看守は紙を受け取り、何気ない様子で目を通した。


「お、パールちゃんの紹介か」


表情が緩む。


「いいぞ、通っ――」


そこまで言って言葉が止まった。


「……ん?」


もう一度、書面を見る。

そしてシアン、ルシア、カイへと視線を移し、最後に鉄仮面の男で止まった。


「書面には、三人……って書いてあるんだが?」


ぽつりと漏らした声に、その場の空気が少しだけ重くなる。


「……あちゃあ」


シアンは困ったように頭をかく。


「どうしましょう……」


ルシアも小さく肩を落とす中、ラルゴは何も言わない。


(やはり無理か)


当然の結果だった。

正体も知れない鉄仮面の男を、そう簡単に街へ入れるはずがない。


そう思った、その時だった。


「……でもよ」


看守が顔を上げる。


「さっきの戦い、ちゃんと見てたぜ」


ラルゴがわずかに目を向けると、看守は親指を立てにやりと笑った。


「あいつら、ここに来てから酷い事ばっかりしてやがったんだ。街でも採掘場でも威張り散らしてよ。今日はとうとう女の人に手をあげようした」


女性へちらりと視線を送り、今度はラルゴを見る。


「あんたがぶっ飛ばした時は、正直スカッとした」


肩をすくめながら笑う。


「本当なら手続きが必要なんだけどな。今回は特別だ」


親指でゲートを示す。


「アンタも通っていい」


「本当に!?」


カイが飛び跳ねる。


「ありがとう! 看守さん!」


「……すまない」


ラルゴは静かに頭を下げた。


「恩に着る」


「いいってことよ! あいつらが起きる前に、さっさと行きな!」


看守は豪快な声に背中を押されるように、一行はゲートをくぐった。


居住区域へ足を踏み入れた途端、ラルゴは張り詰めていたものが切れたように息を吐いた。


「……まさか、本当に入れるとは」


「ほんとだね!」


カイが嬉しそうに笑う。


「パールさんにも、看守さんにも感謝しなきゃ!」


「そうだな」


シアンも笑みを浮かべると、改めてラルゴへ向き直った。


「さて、ちゃんと自己紹介しようか」


親指で自分を指す。


「俺がシアン」


続いてカイを指差す。


「こっちのちっこいのがカイ」


そしてルシアへ目を向けた。


「帽子の子がルシアだ」


「ルシアです」


ぺこりと頭を下げる。


「よろしくお願いします。先程の戦い、本当にすごかったです」


その言葉が、ラルゴの胸へ静かに突き刺さる。


(……やはり、ルシア様か)


あの日、アルディスの地下で別れた少女。

しかもあの時、ラルゴたちは彼女を殺そうとした。


こうして笑っている姿を見るだけで、胸の奥が締めつけられる。


「僕はカイ!」


カイは屈託なく笑った。


「よろしくね! その鉄仮面、すっごくかっこいいね!」


「俺たちは三人で採掘場へ向かう途中だったんだ」


シアンも続ける。


「祇園さんがアンタを紹介してくれて助かったよ。正直、俺以外は戦えねぇからさ」


その笑顔が眩しい。

眩しいからこそ苦しい。


(……そんな顔で笑うな)


敵へ向ける笑顔ではない。

まして、自分のような男へ向けるものでもない。


鉄仮面の奥で苦く唇を噛む。

その表情を誰にも見られないことだけが、今のラルゴには唯一の救いだった。


「それでさ」


シアンが気軽な調子で尋ねる。


「アンタの名前は?」


その一言で、ラルゴの身体が固まった。


名乗れば終わる。

ルシアも、この男も、あの日の名を忘れているはずがない。


敵として誇り高く、自ら名乗ったその名前を。


(……どうする)


喉がひくりと動く。


けれど、その先の言葉は出てこなかった。

鉄仮面の奥で揺れる沈黙だけが、静かに四人の間へ落ちていく。

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