112.武人と忍び寄る外敵
アークライン帝都──。
その巨大な港には、早朝から濃い蒸気が立ちこめていた。
海面には軍艦の影が並び、特にひときわ大きな影が、ゆっくりとうねる水面に映っている。
帝国軍の誇る主力艦、軍艦グラナード。
その内部は静寂に包まれていた。
薄い窓越しに灰色の光が差し込むなか、スピアーは腕を組んで壁にもたれ、ぽつりと呟いた。
「ラルゴ……今頃どうしているかしら」
その声は、普段の妖艶さとは違い、妙に湿り気を帯びていた。
机の上で書類をまとめていたハーラン大佐は顔を上げ、肩をすくめて言った。
「なんだ、今さら心配しているのか? 小型飛行機まで手配してやって、背中を押したのはお前じゃないか」
「アタシは最後まで反対してたわよ! ハーランちゃんとアイツの二人でさっさと進めちゃうから、渋々手配したのよ!」
スピアーは腰に手を当て、ぷんすかと文句を言う。
「そ、そうだったな。悪かった悪かった……」
ハーランはそう言いながらも、その口元にはわずかに苦笑が浮かんでいた。
「……ところでだな、スピアー」
ハーランは書類を置き、コホンと咳をした。
「ん? どうしたの?」
「ラルゴだが……実際のところ、どれほど強いんだ?」
スピアーは瞬きをして少し黙る中でも、ハーランは続けた。
「いやな、アルディスでお前はスモーク・ウォーカーにやられてしまっただろう。それで、正直に言うと……お前ほどの腕でそれなら、ラルゴはどうなのかと思ってな」
少し言いにくそうにしつつも、ハーランは本心をさらけ出す。
「ひどい! 一応これでもアタシだってそこそこ強いんだからと言いたいところだけど……。まあ、そうよね」
スピアーは腕を組み直し、少しだけ笑ってみせた。
「今回アタシたち錆翼が蒸気の心臓の件で、あなたの指揮下に入るまでは、ハーランちゃんはアタシたちの存在すら知らなかったものね」
「まあ、極秘部隊だしな」
ハーランは苦笑すると、スピアーはゆっくりと語り始めた。
「端的に言うわ。ラルゴは物凄く強い」
「そんなにか」
「ええ、あの時……アルディスでアタシじゃなくてアイツがスモーク・ウォーカーと戦ってたら、結果は違っていたかもしれないわ」
ハーランは喉を鳴らす。
「アイツ、見た目はああだけど、普段は頭の切れもいいの。状況判断が早くて、戦場では無駄がない。驚くほどねー」
スピアーは指を一本立てた。
「まあ、時々破壊衝動が出るけど……それはアタシ達が今まで置かれていた状況のせいで起きる病気みたいなものだわ」
「ほう……」
「そしてアイツの強さの一番の理由はね──両腕の蒸気兵装よ」
スピアーは自分の両腕を抱くようにして叩く仕草をしながら続けた。
「あれ、可変型の蒸気武装なんだけど……とにかく強力。
一発一発が戦況ひっくり返すレベルなの」
その目は、ラルゴと言う男に対しての尊敬が滲んでいた。
「まあ、今回は隠密行動だし可変はさせないと思うけど……それを差し引いても異常よ、あの戦闘力は」
「そこまでか」
ハーランの表情に、ようやく真剣さが交じる。
「ええ」
スピアーは笑って肩をすくめる。
「この件に参加する前、アタシたちは帝都から南西の地区で、テロ集団が何か仕掛けようとしてるって情報を得てね。それを阻止しに行ったことがあったの」
「そんな任務、報告には……」
「出てるわけないでしょ、極秘よ極秘」
スピアーは手をひらひらさせ、続ける。
「その時ね、アタシたちの先頭で突っ込んで行ったのがラルゴ。というかその集団の八割ぐらい、アイツが一人で蹴散らしたわ」
「八割!?」
ハーランは机に手をつき、目を見開く。
「でもねぇ……強いけどアイツ、優しすぎるのよ。すーぐ悩むし! あんなごつい見た目で繊細とか、ギャップありすぎて笑っちゃうわ」
「そんな性格で……あの力か」
ハーランは少し息をつく。
「今もきっと迷ってるわよ。“蒸気の心臓”を手に入れるのが正しいことなのかどうか。だからあの時、動力プラント地下でアタシとスモーク・ウォーカーの戦いを静観してたのかもしれないわね」
スピアーがそう呟いた、その時。
ノック音が部屋に響いた。
「失礼します! スピアー様。例の死体について……情報を持って参りました」
一人の兵が書類を抱えて入室する。
「ありがと。どれどれ〜?」
スピアーは書類を受け取り、サラサラとページをめくった。
「なんだ、それは?」
「動力プラントに行った日あるでしょ。アタシ、あの日──あそこで人を殺しちゃったのよ」
スピアーは淡々と言いながら、資料に目を走らせる。
「殺した? あれほど騒ぎを立てるなと言ったはずだろう」
「ごめんなさいね。でもね、どうにも引っかかることがあったの」
「……引っかかる?」
「ええ……アタシとラルゴがアルディス北区に潜入した日。あの日は、北区を監視してたのはオートマトンだけで、人間は一人も居ないはずだったわよね?」
ハーランが息をのむ。
「なのに居たのよ人が。だから気になって──司法解剖のデータを貰ったわけ」
資料をめくり、スピアーの目が細められる。
「……やっぱりね」
スピアーは写真をハーランに見せた。
死体の腕に刻まれた、禍々しい紋様。
「このタトゥー……この部分、よく見なきゃ分からないけど、これ……バルナスの紋章だわ」
「なっ……バ、バルナス!? まさか、奴らまで絡んでいるのか!」
ハーランは声を荒げる。
「どうやら、蒸気の心臓を狙ってるのはアタシたち軍やスモーク・ウォーカーだけじゃないみたいね」
スピアーは資料を閉じ、重く告げた。
「どこからその情報を知ったのかはわからない。でも──バルナスが動いたってことは……」
ハーランの顔色がみるみる変わっていくが、それでもスピアーは言葉を続けた。
「マルティナの開発計画どころじゃなくなるわよ。この先、もっとまずいことがまだまだ起こるわ……」
艦長室に、低く重い沈黙が落ちた。
遠くで船の汽笛が鳴った。
帝国の空気が、大きく軋み始めていた。




