10.真鍮の街、赤く染まる頃
夕暮れのメイン広場は、昼間の喧噪とはまるで違う表情を見せる。
真鍮や鉄、銅で組まれた街灯や建造物が、傾いた太陽の光を受けて一面に輝きを放っている。
その光はオレンジを通り越して、まるで炎のような赤銅色を思わせる。
蒸気管の影が石畳に長く伸び、街全体がゆっくりと夜の顔へと変わり始めた。
シアンはその中を早足で進む。
視線の先には、灰色のローブを被った人物。
先程、港で見かけたあの影だ。
その者は時折周囲を伺いながらも、確実に歩を進める。
アルディスの北側、街の動力施設の集まる方へと歩いている。
「北方面? ……あっちは動力施設ばかりで、住民の立ち入りは少ないはずだけどな」
呟きながら、シアンは人の流れに紛れて距離を保つ。
広場では、夜に向けて屋台の準備が始まっている。
香ばしいソーセージを焼く匂い、鉄板の上で弾ける油音、蒸気灯の灯りが少しずつ点きはじめる。
人の往来が増え、雑踏の中でローブの人物は時折、誰かの肩にぶつかりながら足早に進む。
対するシアンは慣れたように人混みの合間を縫うように歩き、軽快な足取りで後を追う。
左手が時折、夕陽を反射して鈍い光を放つ。
(それにしても、どんどん進んでいくなアイツ……)
(いったいどこに行く気なんだよ……)
そんな事を考えながら後を追っている時だった。
──ほんの一瞬の油断。
「うおっ……!」
肩に強い衝撃を感じて、シアンの身体がわずかに揺れる。
誰かにぶつかったのだ。
「すまねぇ!」
ぶつかった相手にシアンは急いで謝り、ローブの人物を追いかけようとした。
だが――
「おい! 待ちやがれっ!」
怒声が響き、シアンは思わずそちらに振り返る。
ぶつかった相手は、がっしりとした体格の男。
黒いスーツに金のネックレス、手首には分厚い革のガントレット。
見覚えのある顔――
この街の裏路地を仕切るマフィア《ラッドベイル一家》の構成員だった。
「おいガキ……今ぶつかったよな?」
低い声が唸るように響く。
しかし、シアンは軽く頭を下げて冷静にもう一度謝罪する。
「すまねぇ、急いでてな。行かせてくれねえか?」
だが男はニヤリと笑い、わざと一歩前に出てシアンに胸をドンとぶつけた。
「おいおい……謝れば済むと思ってんのか? この街最大のマフィア、ラッドベイルの構成員の俺様に……」
「そして、その縄張りでよ!」
その言葉とともに背後から三人、別の構成員が現れた。
四人は、シアンを囲むように散らばり逃げ道を断つ。
「なあ……悪いけど、マジで勘弁してくれよ」
囲まれたシアンはため息混じりにそう言いながらも、視線だけでローブの人物を探す。
だが追いかけていた姿は、もうどこを見ても確認できなかった。
「くそ……見失ったか」
シアンの呟きを聞いたマフィアの一人が、怒鳴り声をあげて拳を振り上げる。
「テメェ! 無視してんじゃねぇぞ!」
その拳が振り下ろされた瞬間、シアンの身体がふっと体を横へ逸らした。
「おいおい。いきなり殴ろうとするなんて、物騒じゃねえか」
男の拳が空回りし、風を切る音が鳴る。
そして――
次の瞬間、シアンは左手で男に対し鮮やかなカウンターを放つ。
その攻撃は的確に顎を捉えると、男は一瞬で意識を刈り取られ、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。
「なっ……!? テッ、テメェ! 何しやがる!」
周囲に残る三人が一瞬動きを止めて僅かに動揺する。
シアンは軽く肩を回しながら、無造作に左手を構えた。
真鍮と鋼を主体に作られたその手は、ピストンが駆動する度に小さく蒸気を吐き、内部のランプが淡く灯る。
「せっかく追ってたのに見失っちまうし……。仕事終わったばかりで、相棒も疲れてるってのに」
そうぼやきながら、指先で左手のリミッターロックを解除する。
カチンッ――
リミッターが解除された瞬間、プシュンと音を立てて蒸気が吹き上がる。
「あのよ……あんまり、俺を困らせないでくれよ」
シアンが威嚇のような言葉を聞いて、構成員の一人がナイフを抜き、もう一人は小さなピストルを構える。
「調子に乗んじゃねえぞッ!」
ピストルはシアンの眉間に照準を合わせ、すぐに引き金が引かれた。
乾いた音が広場に広がり弾丸がシアン目掛けて発射される。
シアンはすぐさま顔の前に左手を突き出した。
弾丸は装甲に弾かれ、火花を散らして逸れる。
引き金を引いた男は思わず目を丸くして動きが止まる。
「こいつ! だ、弾丸を防ぎやがった!」
ナイフを持った男は思わず叫び、冷や汗を額を流れる。
「あんなのまぐれに決まってるだろうが! ビビるなッ! 俺たちはラッドベイルだぞ!」
ガンドレッドの男はそう叫んで二人を鼓舞し、シアンを睨みつける。
だがシアンは全く怯む様子はない。
「まったく……危ねえじゃねーか」
左手の陰から覗くシアンの瞳が金色に輝く。
口元だけが、わずかに歪む。
そしてゆっくりと、腕を下ろした。
「だったらやってやるよ……。お前らから喧嘩売ったんだ。覚悟しろよ」
一歩。
踏み出した瞬間、足音が鈍く鳴る。
「見せてやるよ――」
左手の内側で、機関が静かに動き始める。
わずかな振動。
遅れて、圧が満ちていく。
「蒸気で動いて――」
臨界。
圧力弁が開いた。
白い蒸気が、抑えきれない息のように噴き出す。
空気が揺れ、熱が輪郭を持つ。
「ブチ上げる――」
拳を握る。
金属の指が噛み合い、ひとつの“力”に収束する。
「俺とMark.IIIの――」
音が、消える。
すべてが一拍、遅れた。
「本気ってやつをなぁ!」
高らかに宣言し、シアンは両腕を大きく広げた。
夕焼けの光の中で蒸気が唸り、その影が歪む。
広場の片隅、蒸気提灯に淡い光が灯る。
赤銅色の光に照らされながら、シアンと三人のマフィアが向かい合う。
ガンドレッドをはめた男が、ニヤリと笑った。
「随分と威勢がいいじゃねえか! 喧嘩はそうじゃなきゃ面白くねえ!」
そう叫ぶと、男も拳を構えた。
赤く染まる街の中で、喧嘩の火蓋が切られた。




