白兎事件編42(その後1/宴のあと)
家族と家族のお話です。
(エリック)
木板が張り巡らされた柔らかなブラウン基調の天井で、白いプロペラが緩やかに回っている。
コーヒーの香りが立つ店内はカウンターとテーブル席に分かれ、小じんまりとしながらも穏やかな空間を形成している。
長い金髪をひとつに束ねて、エプロン姿の僕はのんびりとテレビを眺めている。翔ちゃんから、今日は文化祭だからお休みするねと連絡が入っていたから今日はひとり営業だ。
夕刻になったらお客さんも増えてくるかな。今日のディナーは柚木くんがたくさん分けてくれた卵を使ったオムライスにしようか。
そんな事を思いながらゆったりとした時間を過ごす。
この場所はとても穏やかで温もりに溢れている。僕は『兎の目』で過ごす日常を愛していた。
置いてきた塔の中の僕とは違う、温かな孤独。
そんな折、カランカランと扉の鈴の音が響く。
開いた扉へ目を向けた僕は、思わず息を飲んだ。
「⋯⋯そうか、そんなことがあったんだね」
椎ちゃん、翔ちゃん、晃くんに連れられて入ってきたアリアスは、水色の毛束を頭頂に生やした黒猫を腕に抱えていた。
アリアス、フィオネ。懐かしい名前だ。もうとっくに失ったものだと思っていたのに、こうしてまた姿を見られたことに僕は何とも言えない気持ちになる。
郷愁なのか、懺悔なのか、この感情の答えは分からない。
全てを投げ出して逃げてきたのは僕だ。のうのうと温かなスローライフへ興じていた間、この子達は混沌の渦中にいたことを思うと胸が苦しくなる。
「僕がここで過ごしている間にリンデブルグが滅びるなんて⋯⋯。とても辛かったね、アリアス、フィオネ」
「ち、ちが⋯っ」
「違いますよ、エリックさん。アリアスさんはエリックさんに会いたくて必死だっただけですよ」
椎ちゃんはコーヒーのカップを傾けて、コーヒーの香りに頬を緩ませる。
翔ちゃんもテーブルに手をついて立ち上がった。真っ直ぐに僕の目を見つめて、強く拳を固める。
「辛くないよ!アリアスちゃん、学校楽しんでたから!」
アリアスの目尻から涙がこぼれ落ちる。
その腕から、フィオネがひょいと飛び降りた。僕の元へゆったりとした歩調で近付いて、ちょこんとお座りする。
綺麗な水色の瞳は、まるで水晶のように僕を映している。
そこに、悪意も敵意も感じられなかった。そんなフィオネの顎に指を添えると、フィオネはそっと目を細める。
「猫になりたい願いが叶えられた?」
僕が顎を撫でると、フィオネは喉を鳴らした。
まるで微笑んでいるように見える。僕はついくすくすと声を上げて笑ってしまった。
「フィオネ、猫が好きだったんだよ。アリアスへのお下がりも猫ばかりだったでしょう」
「い、言われてみればそうでした!」
「大人の僕が失くしたものばかりに目を向けていてはいけないね」
僕は幼い救世主達へ頭を下げた。
顔を上げると、翔ちゃんはぴんと背筋を伸ばしている。椎ちゃんもコーヒーカップを下ろして僕へ体を向けてくれている。晃くんも、ふたりに習って僕をじっと見つめていた。
「僕の妹を助けてくれてありがとう。⋯⋯アリアス、フィオネ。また一緒に暮らそう」
「い、う、い、ぇ」
「ここでやり直そう。今度は王女様じゃなくて、ただひとりの人間として」
アリアスは大きな声を上げて、泣き崩れてしまった。
翔ちゃんが立ち上がって、アリアスの体を抱きしめる。ふたりで泣いている、その姿に椎ちゃんと晃くんは顔を見合せて表情を綻ばせた。
「来年はエリックさんも文化祭に来てくださいね」
「あぁ、もちろん」
―――あぁ、ここはなんて星なんだろう。
「お姉様、アリアスはお姉様が大好きです!」
「ありがとう、アリアス。僕もアリアスのことが大好きだよ」
誰からも蔑まれていた僕を慕って、無垢に甘えてくれるアリアスに救われていたのは―――僕の方だ。
ずっと探してくれていた優しい妹を、今度こそ守りたい。この紛れもない奇跡を大切に出来るように。
その機会を与えてくれたこの星に感謝を送りたかった。
★★★★★
(柚木)
『白百合の純潔』のひとりを同僚へ引渡した後、おれはぐちゃぐちゃになってしまった文化祭の片付けを手伝うことにした。
龍司さんはいつの間にか帰っていて、その報告をしてくれた夏椎は翔真と晃と一緒にアリアスを連れて『兎の目』へ向かった。
今は、鴫が学校の点検を執り行っている。
外部のお客さん達には速やかに帰ってもらうよう指示を出し、中学生達も怪我をしてはいけないので保護者に引き渡していた。
帰ろうとする高校生を引き止め、飲食店だけでも片付けましょうと指示を出してテキパキと動く鴫はさすがまゆの弟だ。
そんな鴫は、瓦礫の山と化した体育館を苦笑いしながら眺めていた。
「校舎裏の木は木くずと化しているし、体育館は破壊されているし、何なんですかねぇこの惨状は。主に木戸さん?」
「俺のせいじゃないですけど、俺がその場にいました。すみません」
学校がぐちゃぐちゃになった原因に居合わせてばかりの木戸は、素直に頭を下げた。はぁー、と鴫はため息をつく。
おれは少しでも手伝おうと体育館の上へ駆け上がった。瓦礫のひとつに手をかけると、ずん、と重くてびっくりする。
「おっも!体育館って重いんだな、柳瀬!」
「怪我するから持つんじゃないわよ、アンポンタン!」
「ま、新しく作り替えるいい機会ですねぇ」
柳瀬と愛敬も体育館の上で瓦礫を避ける作業を始めていた。よし、と腕まくりをしてマナを集中させる。重いけど、持てないわけではなさそうだ。
「がんばれぇ、みんな!」
非力な中川は空から応援している。体育館から校舎裏を見下ろすと、ヒツギが石田クラスのムキムキ達と木くずの山を外へ運び出していた。あっちの作業も大変そうだ。
「先輩、今は女の子なんだから重いもの持たないで下さい」
おれが一生懸命持ち上げた瓦礫を、木戸はひょいと片手で奪い取っていった。
おれは両手でいっぱいいっぱいだったのに。悔しくて睨んでいると、木戸はぽんぽんと大きな手でおれの頭を撫でてくる。
「柳瀬と愛敬連れて屋台の片付けの方へどうぞ」
「ばか!女扱いするな!」
「はいはい、怪我しますからね。後は俺と中川さんに任せて下さい」
「俺も可憐な女の子だよ?」
木戸は顔を引き攣らせている。眉間に皺を寄せたまま、しっしっとおれ達を追い払った。
「ならお仲間連れてさっさとあっち行って下さいな」
「おれも手伝う」
「怪我でもしたら嫁にもらいますよ」
嫁=結婚⋯⋯。
おれは慌てて瓦礫の山から降りた。今は男と女とはいえ、保留中なんだから結婚はしない。そもそも、いつ魔石が使えなくなるか分からないのにそんなこと出来るはずがない。
「蓮くん、後でお話聞かせてくださいね」
「労働の後の酒が待ってるなら頑張るぞぉ!」
急に大きな声で木戸が叫んだ。手伝いたいのに、追い出された悔しさを含んで体育館を見上げていると、サタンが空からひょっこりと現れた。
「グルーと天使ガールズ送ってきたし手伝おうか?」
「黒田さん!神!」
「悪魔なんだよなぁ。ま、俺もお前の先輩だし微力を尽くしてやんよ」
「マジで悪魔らしくねぇなぁ」
「それは褒め言葉!」
「木戸さん、とりあえず学校の外に出してもらえれば回収業者が来るそうです」
鴫まで瓦礫を登っていった。
手伝わせていいものだろうか。止めようか悩んでいるうちに、鴫も腕まくりをして瓦礫の山へ手をかける。
「生徒を救って下さってありがとうございました」
「女を見る目磨いときなってアドバイスしておいて」
「レンレン、彼女いない歴何年だっけ?」
「23年です⋯⋯」
楽しそうに話をしながら、テキパキと動く男の3人を見上げておれは面白くない気持ちで頬が膨らんでいく。
おれだって男に戻ればあれくらい簡単なのに。今は女だから力が上手く入らないだけだ。羨ましくて心がかげっていくおれの両肩に触れて、愛敬がにまにました顔を向けてきた。
「香流くん、ついに蓮くんにトラウマ話しちゃったんですねぇ」
「⋯⋯⋯なし崩し!」
「私が不在の間にふたりで愛育くんじゃったんですねぇ。やだ、私キューピットじゃないですか」
「小波は天使」
「育くんでない!」
急速に顔が熱くなっていく。
今までのあれやこれやを思い出して、顔が沸騰したみたいだった。蓮と2回もキスしたことなんか絶対言えない。言えるわけがない!
「それ、蓮くんの服ですよね?」
「そうだよ!アイツが着とけって言うから!」
「ほほーん」
愛敬が木戸に借りたスタジャンのジッパーを下ろしておれの胸を確認する。下から持ち上げられたり、横から寄せられたり、何かを確認したあと愛敬はにこりと笑顔になった。
「今度下着買いに行きましょうね、香流ちゃん」
「帰ったら戻るからいらない」
「今後のためにも絶対あった方がいいですよ。ねぇ、灯護くん」
「形崩れるから付けた方がいいぞ」
「俺の友達が俺の入れない会話で盛り上がっている⋯⋯」
中川が何とも言えない顔でおれ達を見下ろす。
愛敬はまたジッパーを上げて、おれの手を引いて歩き出した。屋台通りに差し掛かって、片付けをする生徒達に声をかけて手を動かす。
手を動かしておかないと、余計なことを考えてしまう。おれは何も考えないように、全力で文化祭の後片付けに取り組んだ。
でも、片付けというものはいずれ終わってしまう。
全部終わって、祭りの様相をすっかり失ったグラウンドや通路におれはふぅと息をついた。
柳瀬達はもう一度体育館を確認しに行った。おれは何となく木戸に会いたくなくて、がらんとした学校をひとりで見渡している。
本当に、無事に終わって良かった。
夏椎はアリアスをエリックの元へ連れて行ってくれただろうか。フィオネも任せてしまったし、後で『兎の目』に顔を出さないとな。
サタンとセラフィムにも感謝をしないと。まさか手伝ってくれるとは思わなかった。それに、ジローさんと玄武にも。
まだまだやることはたくさんある。
静寂の訪れたグラウンドを眺めながらぼんやりとしていたおれの肩を、誰かの手がそっと包んだ。
「まさか帰ってくるとは思わなかったよ」
優しい、柔らかな低い声。
見上げたおれの視界に、加瀬さんが立っていた。現世の警察官の偉い人で、本当の世界では楪羽の彼氏。
そして、この世界では人ならざる者だ。
「加瀬さん」
「思い出してくれた?」
「うん、思い出した⋯⋯」
現世に赴いた警察学校で、おれとまゆは加瀬さんと同じ部屋だった。
加瀬さんは遠巻きに見られるだけだったおれに色んなことを教えてくれた。現世の警察の成り立ち、組織図、胸に留めておかなければならないこと。
酒を浴びたおれを助けてくれたのも加瀬さんだった。
「あの時も、女になってた」
「そう。お酒は呪いを解くからね」
「だからまゆはおれに黙ってたんだな。別に女になったって気にしないのに」
「本当に?」
本当に、と言われておれは答えられなかった。
きっと、ダメだった。あの時はダメだったから、加瀬さんの術に抗えなかった。
男でいるのが嫌だったんじゃない。
今だって嫌なわけじゃない。おれは男として警察官になりたかった。森谷みたいな誰かを助けられるヒーローになりたかったから。
でも、今はそれだけじゃない。
「あの時は勝てなかったけど、今のおれはもうお前に負けないぞ」
おれは加瀬さんを見上げて、拳をつくった。
おれはおれでいい。男でも女でも子どもでも、おれは柚木香流だ。その芯はもうしっかりおれの中で根を張っている。
「だっておれの中には楪羽もいる。半分この灰色は、最強の色だからな!」
加瀬さんの腕が伸びてきて、おれの体を包み込む。
大きな手が背中へ回される。びっくりしたけど、温かくて、懐かしい匂いがする。春磨の匂いは、楪羽の時にすごく安心できたことを思い出した。
なんだ。楪羽、やっぱり春磨のこと大好きなんだな。
好きだという感情がすとんと腑に落ちる。けれど、香流の自分にはちょっとだけむず痒い。
「助けられなくて、ごめんね⋯⋯」
きっと、この人の中にも楪羽がいる。
幸せな世界で、一緒にいられて嬉しかった。たくさん大事にしてくれたことはきちんとおれの胸の中にも残っている。
「また一緒にご飯食べに行こうな!今度は友達として!」
「付き合ってはくれないの?」
「んー、だめ!」
加瀬さんは楪羽の彼氏であって、おれの彼氏ではない。
でも、たぶん友達にはなれるよ。そう思って加瀬さんを見上げていると、加瀬さんは優しい笑顔を浮かべた。
「君の呪いが解けるよう、僕も尽力するよ」
「別に解けなくてもいいよ。ちゃんと女になりたいわけじゃないし」
「君の彼氏がガッカリしない?」
「彼氏じゃない!保留!」
加瀬さんはくすくすと笑って、おれの頬を包むように撫でる。
あ、この距離は。加瀬さんは固まるおれの頬にキスをして、長い人差し指をなぞるように唇へ添わせた。
「じゃあまだ僕にもチャンスはあるかな」
「は、⋯⋯う、⋯!?」
「また遊びに来るよ。騒がせてごめんね。黛くんにもよろしく」
そう言って、加瀬さんはふっと姿を消した。
一気に顔に熱が集まる。なに、なになに!?ほっぺにちゅーされた!?何故!?
あっ、楪羽と混合してるから!?
「誰と話してたの?」
「ひゃあ!?」
「俺らこれから飲みに行くけど、先輩も――⋯⋯」
心を落ち着かせるために、木戸の体へ突撃する。
心臓がばくばくしてる。ムキムキが妙に落ち着く。
おれはふっと肩の力を抜いた。木戸のそばにいるのは落ち着かないけど、木戸の心臓の音はうるさくてほっとする。
顔の熱が引いたので、木戸から離れたおれの手を取って、木戸はもう一度おれの体を抱き寄せた。
今度は木戸の手が背中と腰に回される。ど、とおれの心臓が跳ねた。全部包まれるみたいな感覚にまた熱が上がっていくようだ。
「きっ⋯」
「香流、大好き。俺と付き合って下さい」
「だ、だから保留なんだって!」
「やだ。もう待てない」
木戸の大きな手が、優しく頬に触れてくる。
嫌だ。心臓、痛い。何でこいつこんな格好いいんだよ、無駄に顔だけいいのほんと腹が立つ。
違う、顔だけ、じゃない。
自覚したら頭から煙から上がってきた。全力で頭突きをくらわせて、校門まで駆けていく。
もう、無理!!おれには無理!!
早く男に戻らなきゃ!顔が爆発する!走ればマシになるはずだー!!
―――――
足の速い柚木に逃げられ、痛む顎を撫でて木戸はため息をついた。その隣に立って、友人達はふむふむと冷静な分析を行う。
「すごい、乳児から幼児にレベルアップしてる!」
「良かったな、蓮。あと10年くらいの差に縮まったんじゃねぇか」
「ガツガツすると逃げられるぞ」
「もう逃げられてますけどねぇ」
「うぅ、顎だけじゃなくて心も痛い」
さめざめ泣く末っ子の身体をぽんぽんと叩いて、中川達も学校を後にした。
★★★★★
向いた足は、警察庁の前だった。
パニックになりながら走って、ようやくここまで帰ってきた。はぁーと深く息をついて、おれは警察庁の自動ドアをくぐり抜けた。
ざわ、と向けられる目におれははっとする。
そう言えば、女になったままだった。
慌ててフロアを走り抜けて、エレベーターへ乗り込む。向かう先は30階。賢吾と柚姫がいた、森谷の部屋だ。
ルフに乗せてもらえば良かった。パッセルとどこかへ遊びに行ってしまったのを引き止めるべきだった。
ダメだ、もう頭が働かない。それもこれも女になった瞬間恋愛を持ち出してくる木戸のせいだ!
⋯⋯いや、アイツは男の時から変わらないな?
ならおれか。おれが変なのか。体が女になったから心まで楪羽に引きずられている!?
エレベーターが開いて、フロアへ足を運ぶ。
はやる気持ちで扉を開けると、賢吾と柚姫だけじゃなくてまゆと森谷もいた。
ほ、と肩の力が抜ける。
へにゃへにゃと崩れ落ちるおれの前に、3人が駆け寄ってきた。思わず泣いてしまいそうになる心を奮い立たせて、おれは拳を突き上げた。
「全部終わった!」
その瞬間、3人が飛びついてきた。
「お帰り、お兄ちゃん!」
「よく頑張ったな、香流!」
「怪我がなくて良かった⋯っ」
―――あぁ、やっぱりおれはここがいい。
家族と一緒にいたい。ささくれだった心が溶かされていく。
おれは立ち上がって、森谷に突撃した。森谷はおれを受け止めて、昔みたいに軽々と抱き上げてくれる。
いつだって、森谷はおれを抱き上げてくれた。助けようとしてくれたことだって何回もあった。それを受け入れられなかったのに、おれを見捨てずそばに居てくれる森谷のことがおれはずっと、―――ずっと大好きなんだ。
「おかえり、香流」
「ただいま!―――っ」
夏椎と龍司さんの姿を思い出して、おれはぐっと唇を引き結ぶ。
今更、何もかも今更だ。
けど、おれは翔真と晃から感謝してもらえて嬉しかった。夏椎と龍司さんを見て、きっとアイツなら喜ぶんじゃないかと思う自分もいた。
「ただいま、⋯⋯父さん」
ようやく口に出せた言葉は、ずっと伝えたかった言葉だ。
森谷はおれの体を抱きしめる。いつだって安心できた森谷の腕の中は、今もおれの大切な場所なんだよ。
「はは。息子が娘になっちゃったぁ」
「今だけ!すぐ着替えて戻るから!」
「あっ、そうなのよ!何で女の子なの!?」
「えっ、女の子!?そうだ、加瀬に嫌なことされなかったか!?」
「大丈夫だよ!とりあえず戻らせて!」
一旦部屋に帰っていつもの服に着替えたおれは、ネックレスを外してポケットに入れた。
ネックレスが肌から離れると、瞬時に子どもの姿に変わる。そこからマナを形成して、大人の姿へ変えていく。髪色はもう面倒くさいので変えずにリビングへ顔を出した。
「はぁー、やっぱり男の姿の方が落ち着く」
「お胸がなくなったのよ」
「胸なんかなくていいよ」
いつもの席について、俺はフィオネからもらったネックレスをテーブルへ置く。
森谷は柚姫の隣に椅子を置いて座っている。俺の家に森谷がいるのがなんだか不思議な感じだ。まぁ、別に悪いとかはないけど。
「解呪の魔石だって。これを付けると呪いが解けて女になるんだよ」
「高次の神の呪いを打ち消すなんてどえらい効果があるんだね」
「森谷、俺が呪われてるの知ってた?」
俺が尋ねると、全員の視線が森谷へ向けられる。
「うん。香流の自我形成の邪魔になると思って黙ってたけどね」
「やっぱり⋯⋯息子に対する態度じゃないと思ってた」
「じゃあゼウスのセクハラも女に対するセクハラだったんだな」
「それはそれで許さんけどね」
森谷はネックレスを手に持って、まじまじと眺める。
「フィオネだっけ?その子は何を思って香流にこれをくれたのかな」
「さぁ、『あなたが持っていた方がいい』って⋯⋯」
「ベリアルの奴がどこまで話してたか分かんねぇけど、香流が呪われた女だって言ってたのかもな。助けられたお礼に呪いを解いてあげようと思ったんじゃないの」
まゆが頬杖をつきながら指摘する。
俺はまゆをじとりと見つめた。森谷はいつものことだけど、まゆまで俺に隠し事をしていたとは。しかもでっかい隠し事。
「まさかまゆが高次の神様だったなんて⋯⋯」
「身体は人間だよ。大体、島の結界誰が張ってると思ってたんだお前」
「森谷」
「香流、もっかい父さんって呼んで」
「父さん?」
「父さんは魔王なので結界は張れません、ごめんね」
森谷は嬉しそうにニコニコしている。そんな喜ぶならたまには呼んでやってもいいか。そんな事を考えていると、はぁ、とまゆがため息をついた。
「急に現世の警察官が島から手を引いた。加瀬が手を回したんだな」
「動画が効いたのよ?」
「ふはは。再生回数1万超え。今頃現世で苦しんでんじゃねぇの」
まゆの闇が深い。まゆ、よっぽど加瀬さんのこと嫌いなんだな⋯と俺は何とも言えずに眉を下げた。
「それで、向こうの世界でふたりは反対だったって?」
俺の話を聞いた賢吾はどこか楽しそうだ。
賢吾と森谷の前にはブラックコーヒーが置いてある。柚姫の前にはミルクだけのコーヒー。でも、まゆの前には引くほど砂糖の入った甘すぎるカフェオレが置かれていて俺は何となくほっとした。
「そう。向こうで俺は楪羽で、柚姫は大和って言うんだよ。⋯⋯あ!賢吾!」
「うん?」
「賢吾の名前分かった!峯岸全って言うんだって!」
「みねぎし、ぜん⋯⋯」
「賢吾は賢吾だけど、知ることは悪いことじゃないよな!」
俺が言うと、賢吾は静かに微笑んだ。
例え賢吾が峯岸全でも、賢吾は賢吾だ。俺の弟で、大事な家族なのは変わりない。
「東京すごい人だったぞ!俺はレストランで働いてたけど、お客さんもいっぱいいた!」
「ゆずは古着屋さん?」
「大和、柚姫みたいに可愛いものが好きなんだって。それで、色んなことを教えてくれたよ」
世の中には色んな人がいること。
嫌なことをされたことを悪いことだと思わなくてもいいこと。
俺を、ヒーローだと言ってくれた大和。
「俺、みんなには心配かけたけど行けて良かった。⋯⋯それで、あの。⋯⋯」
俺はぐっと唇を引き結んで、拳を固める。
視線の先に、白い宝石が見えた。手で手繰り寄せて、握りしめて、大きく息をつく。
「⋯⋯おれ、ずっと、『永霊会』の奴らに、⋯⋯嫌なこと、されてた」
どうしても、男の姿で言うことは出来なかった。
怖かった。気持ち悪いと思われてしまいそうで。そんなこと思わないって分かってるけど、今だって怖くて手が震えて止まらない。
柚姫も、賢吾も、まゆも、何も言わない。
おれは言葉を探しながら、少しずつ。ようやく、少しずつ前に進んでいけるように口を開く。
「祭りの日も、嫌なことがあって、痛くて行けなかったんだ⋯⋯。それで、ばあちゃんが助けてくれて、ばあちゃんに、嫌なことされてるって話しちゃって。⋯⋯そのせいで、村が燃やされて、⋯⋯『永霊会』の人達も、みんな、おれが殺して⋯⋯」
「お兄ちゃんは殺してない!!」
柚姫が叫びながら立ち上がった。
泣きながら縋り付いてくる柚姫を、おれは抱きしめる。息ができないほど苦しくて、悔しくて、でも、―――嬉しくて。
楪羽が教えてくれた。
「さっきの話だけど。⋯⋯もし大和が香流と同じ酷いことされて、村がなくなってみんな死んでも私は大和のこと恨んだりしないよ」
家族はおれを恨んだりしない。
「ただ悔やむよ。なんで助けてあげられなかったんだろうって。そんで一緒に泣くよ。⋯⋯香流もそうだったでしょ?」
一緒に泣いてくれる家族がいる。
もっと早く言えたら良かった?
もっと早く助けを求められたら良かった?
違う。おれはようやく分かったんだ。
この時間をかけなければ見つけられなかった答えがここにある。
「だって、『今』香流の事を傷付けてるのは香流だけじゃないか」
大和の言葉がずっと胸に残っている。
「おれ、ばあちゃんと、生きたかった⋯っ!もっと村で過ごしたかったぁ⋯!」
失ったものは、もうかえって来ない。
でも、柚姫がいる。賢吾もいる。まゆもいる。
あの光景はもう忘れない。楪羽がくれた優しい景色。あの穏やかな村の中で過ごした幸せは、もう二度と、絶対に手放さない。
「俺は香流が生きててくれたらそれでいいから⋯っ」
「どんなお兄ちゃんだって大好きなのよーっ!」
「お前がやらなかったら俺が殺してたよ!」
「⋯⋯っ、おれ、頑張ったよ⋯っ」
「知ってるよ!」
一斉に言われて、思わず泣きながら笑みがこぼれた。
大丈夫。もう大丈夫だよ。
もう足を取られることはない。
もう蓋を閉めることもない。
自分のこと、好きになれるよ。好きになっていきたい。だっておれの中には楪羽がいる。
あの幸せな笑顔を守りたいって、心の底から思えるから。
「⋯⋯それで、あの、⋯相談なんだけど」
森谷以外もれなく泣き腫らした瞳で、鍋を取り囲む。
夏椎達は打ち上げと称して『兎の目』でクラスメイトとパーティをしていて、愛敬達はヒツギの店で飲んでいるらしい。
石田も学校の人達と打ち上げに出かけて行った。高校3年生、最後の文化祭があれで申し訳ないけど送られてきたカラオケの写真はとても楽しそうだった。
「俺、しばらくA地区に行こうと思う」
白い魔石はテーブルの端に置いて、男に戻った俺はみんなの顔を見た。
今までA地区に行くなと言われていた理由は分かっている。俺の過去が原因で性の関わる場所へ近付かせないよう配慮してくれていたんだ。
怖くないと言えば嘘になる。今だって知りたくも考えたくもないけど、いつまでも俺だけ足を止めているわけにもいかない。
「理由を聞いてもいい?」
「ロゼッタが学校に通えるようにしてあげたい」
10年前、島の人間を飲み込んだ『赤い石』の権化。
柳瀬達は何かを隠している。俺には話せない、ロゼッタが外へ出られない理由がある。
「それに、A地区の人達とも仲良くなりたい。悪いやつばかりじゃないと思うから」
「まぁ、あそこは正直俺もよく分からない場所だけど⋯⋯」
「柳瀬にばかり負担をかけたくない。もう目を逸らしたくないんだ」
柳瀬が見なくていいと言ってくれた裏側を。
否定したくない。人は綺麗なだけじゃない事は今回のことで良く分かった。
理解した上で、否定したくない。立ち位置が違うだけで、向こうからすれば俺だって悪だった。それは間違いないと思うから。
「いいけど、週末だけな」
「週末」
「お前がいなくなってたった2日だけど、問い合わせが止まんないの。C地区の人達は何がなんでもお前がいいんだってさ」
C地区の人達の顔がぱっと思い浮かぶ。
ばあちゃん達や、じいちゃん達。小さい子どもを連れたお母さん。
いつも見回りの時には話しかけてくれる人達。みんなの幸せそうな顔を見るのは、俺だってすごく大好きだ。
「う、⋯⋯嬉しい」
「香流は人気者だね」
「トーゼンよ!」
「ちゃんと地区長の仕事するなら、休みの日は好きにすればいいよ。俺からはそれだけ」
「ありがとう、まゆ!」
「森谷さんは?」
「香流の好きにすればいいんじゃない?」
森谷は、いつもそればっかりだ。
俺のやりたいことを尊重してくれる。それを今度は俺も子ども達に返していきたい。
その子ども達の中には、ロゼッタの姿もある。
「A地区では女の姿で日生って名乗ることになってるから、もし会っても日生って呼んで」
「お兄ちゃん、女の子で過ごすの!?」
「警察だってバレない方がいいだろ」
「⋯⋯一気に心配になってきた」
「口出さないんだろ?父さん」
「あんまり交友関係を縛らない方がいいよ、父さん」
「息子達が冷たい」
よし、やるべき方向性が決まったぞ。
ほっと肩の力が抜けるのを感じながら、俺は久しぶりに家族で過ごす時間を満喫した。
なんだか、そばでばあちゃんが笑ってくれているような気がして、すごく幸せな気持ちだった。




