幕間(魔王と神様)
『森谷』のお話です。
「アースぅ、今日相手してよぉ」
甘ったるい声が鼓膜を震わせる。
背中に乗った女の腕を撫でて、振り返りざまにキスをする。まぁ特にやることもないので、愛欲で暇を満たすのも悪くはない。
無駄に長生きな人生。尽きることのない年月。
千を過ぎてからもう歳を数えるのはやめた。どうせ数えたって得にも損にもならないからだ。
「あーちゃん、また昼間から遊んでたの?」
「あー?だってやることねぇんだもん」
「そろそろ結婚すれば?子育て楽しいよぉ」
「結婚してても奔放なお前に言われたくないねぇ」
ひらひらと手を振って、欠伸を零す。
天界の宮殿、下界の星々を眺める趣味の悪い部屋でゼウスと並んで腰掛ける。特に用事もないけれど、特に用事がないからだ。
魔界にいると女が寄ってくる。毎日相手してたら枯れちゃうもんね。その点、ゼウスは昔馴染みの男なので幾分気が楽だ。
「親父達は何遊んでんのかねぇ」
「さぁー。詮索したら面倒だからしない方がいいよ。それより、見てよあーちゃん」
「あ?」
「あーちゃんと同じ名前の惑星があるんだよ」
いくつもある水晶玉のひとつを指さして、ゼウスが俺を振り返る。
そこには、青い惑星が映っていた。青と、緑と、ところどころ橙が混ざっている。
素直に、綺麗な星だと思った。
覗き込む俺に向かって、ゼウスはニコニコと笑顔を浮かべている。
「ちょっと興味持った?アース、って言うんだよ。たくさん生き物が住んでる星なんだって」
「ふーん」
「あまりに生き物が多いから、この星の神様はふたり生まれるんだよ。毎回生まれ変わるんだけど、それがもー美しくて!女の子が生き物担当、男の子が自然担当なんだよ」
「お前やたら詳しいな」
「僕は美しいものが好きだからね。あーちゃんも遊びに行ってみたら?」
「暇があったらねぇ」
そう言いながらも、目を離せない自分がいる。
同じ名前の星。綺麗な宝石のような惑星。
どんな神様が管理してんだろうか。ちょっと見てみたいね。可愛かったら手を出していいかなぁ。
それからも、暇があれば宮殿へ遊びに来ていた。
飽きっぽい俺の新しい玩具、くらいの感覚だった。
どんな神様がいるのか。どんな生き物がいるのか。想像しながらゼウスと話して、たまにゼウスの兄弟も合わせて話をしたりした。
だから、その日もたまたまだった。
宮殿へ入ると、アースの水晶玉の前に親父達が集まっていた。
げ、と思わず扉の裏に身を隠す。親父達は俺やゼウスよりも頭がイカれてて、新しい星を作っては壊すという基地外な遊びを楽しんでいる。
中にはマトモな奴もいるけれど。扉の隙間から中を覗くと、中には自分の親父を含めて5人の神がいた。
「魂を弄るのはやり過ぎじゃないのかい?」
ひとりが誰かを咎めている。
「やだぁ、だってただ美しいだけの女なんてつまらないでしょう?遊びよぉ、遊び!」
「ベリアルはそう言いながら自分のコピーを作っていたじゃないか」
「あは。完璧な女は私だけでいいんですよクロノス様。私がもうひとり出来たら差し上げますねぇ」
「掃き溜めに落として、もし覚醒したらどうする」
「男のガワに女の臓腑、能力は女神様って?気持ち悪っ!」
ゲラゲラと女が笑っている。
何が楽しいのかよく分かんねぇな。さっさと立ち去ろう。
「まぁ、失敗なら消せばいいじゃない」
俺はピタリと足を止めた。
「この星、なーんか宝石みたいで前から気に食わなかったのよね。潰して圧縮してやったら?」
「ここまで生命体が豊富な星をまた作るのも大変だよ」
「それに、この星には私達の愛し子がいる」
オイオイ。さらりと隠し子宣言ですか。
大変な奴らに目をつけられたんだな。アース。俺と同じ名前で、爆弾落とされて、その上で魂を弄られたと話していた。
「愛し子だけ回収すれば良かったのに」
「仕方ない、偶然落ちたのがこの星だったからな」
「愛し子を利用して世界を呪いで包むのも良い」
「掃き溜めでゴミが覚醒するのも面白い事になりそうだ」
「人間を農場管理すれば魔界も潤うな」
何が楽しいのか、俺にはサッパリ分からない。
ただ、面白くないとは思った。ゲラゲラ笑っているアイツらに汚されたくないと感じてしまった。
「なぁ、それの何が面白いの?」
だから、言ってしまった。
言った後に、死を覚悟した。言ったところで何が変わるわけでもあるまいし、黙って立ち去っていれば良かったのに。
気が付けば、さわさわと揺れる森の中にいた。
あ、生きてるわ。最初に思ったのがそれで、次に動かない身体にぞっとした。
視界だけは生きている。目を動かすと、見える範囲では木と草がある。身体に感じるのは風。大気があって、空気がやけに澄んでいた。
それにしても、身体が動かない。
四肢をちぎられたかな。そもそも人型を保てているか?何も分からない、動けない状況でひたすら時が過ぎるのを待つ。
何度か明るいと暗いを越して、ポツ、ポツ、と身体に水が当たる。
次に触れたのは、水ではなくて小さな温もりだった。
「だいじょーぶ?」
顔の側に何かいる。
何かは、ペタペタと俺の顔を触った。触られて輪郭が形を成していく。どうやら顔の形状は犬らしかった。
「けがしてる。いたいなぁ」
小さな何かは、俺の顔を抱きしめた。
柔らかい感触。鼻腔をくすぐる甘い香り。
流れてくる香りは、優しくて甘くて、今まで嗅いだどんな女の匂いよりも心地よかった。
「かまれる、あぶないよ!」
もうひとりの声がして、小さな何かが離れていく。
「けがしてるんだよ。かまないよ」
「でも、ておいのけものはきけんなんだよ」
「じゃあけがをなおそう!」
小さな会議で方針が決定したらしく、小さな何かがふたつ、俺の身体をゴソゴソと触っている。
雨が本格的に降ってきた。小さな何かはふたりで俺の身体に覆いかぶさって、まるで傘のように守ってくれているようだった。
その温もりが、水の冷たさを溶かしていくようで。
じんわりと胸に広がる感覚が、俺にはひどくむず痒かった。
雨が上がると、小さな何かは別の何かに群がられていた。
食われているのかと一瞬驚いたが、どうやら違うらしい。よく分からない形状の生き物が小さな何かの身体を舐めている。小さな何かは嬉しそうだった。
「もうひとりにほうたいをもらおう!」
「じゃあぼくはくだものをあつめてくる」
「うん、またおひさまがうえになったらしゅうごうだ!」
パタパタという音がだんだん離れていく。
しばらくして、パタパタという音が増えて帰ってきた。どうやらひとり増えたらしい。
「たたかれたの!?」
「だいじょーぶ!もうひとりがたすけてくれたから!」
「ほうたいやるからなぐらせろってひどいのよ!なぐりかえしたもん!」
「たすけてくれてありがとう!」
何だか穏やかでない話だな。
触れる手が小さい。これはどう見繕っても子どもだろう。
殴らせろ?話の流れが見えないけど、子どもを?他の子どもがって話じゃなさそうだな。
「みんな、くだものありがとう!」
意志を持って、生き物達が小さな何かに擦り寄っている。
生き物担当?
男のガワに、女の臓腑。
掃き溜めに落とされた。
「ねぇ、このこしゃべるの?」
「しゃべらない。しんどいんだよ、きっと」
俺は地球の生き物ではない。
そうか。他の生き物が話している言葉が分かるのか、この子には。
神様。地球の神様だ。ゼウスが言っていた、美しいふたりの神様。
なんかもうひとりいるけど。
「よし、ほうたいできた!」
「くだものすりつぶしたよ」
「ありがとう!たべれるかな」
顔の近くに小さな何かが現れる。
3人、いる。同じ顔がふたつ。ひとつは全然違う顔。
なんて、愛らしい子ども達。
―――愛らしい?
自分の胸に湧いた言葉に、寒気がした。
けれど、これは恐らく愛だ。素性もしれない犬を懸命に介抱して、見返りも求めずに優しさを与えてくれる。
魔界では有り得ない光景。
初めて、愛に触れた。温かくて全身が痒い。
この子達を、見ていたい。
芽生えた感情を、もう見ないふりは出来なかった。
何日か経って、身体を起こせるようになってきた。
4つ足でしか立てない。やっぱり犬のようだな。小さな何かに案内されて川へ行って、覗いた顔は予想通り犬だった。大きな黒い犬だ。
「はやーい!」
走れるようになった後は、小さな何かを乗せて森の中を走った。
小さな何かは基本的には2人。たまにもう1人が増える。
2人は薄汚い服を着て、森の中で過ごしている。もう1人は違う場所で暮らしているようで、時々綺麗な着物を着て2人と一緒に現れた。
犬の外見だけど、中身は俺のままだ。知能も落ちていないようで、そこから推測される状況はあまり良いものではなかった。
2人は主にヘラジカに育てられている。森の動物達は小さな何かに従順で、正しく地球の神様の有り体だった。
同じ顔をしている小さな何かは自然担当のはずだけど、能力を使用しているのを見たことがない。別の顔はただの子どもで、小さな何かの側で家族のように暮らしているようだった。
ここは、子どもが生きていくには、過酷な環境すぎる。
木をくり抜いた空洞で雨風を凌ぎ、葉っぱの布団で眠りにつく。
俺が側にいれば、少しは暖かいだろうか。本当なら暖かい布団で寝かせてあげたいけれど、犬の体がそれを許してくれない。
眠りについた2人を置いて、夜中に狩りに出る。
木の実や果物を集めて、ねぐらの近くへ集める。今日も狩りに出ようとねぐらを出たところで、親父が立っていた。
漆黒のマントに、漆黒の髪の、しわがれたじいさん。
現在の魔王様だ。
「口出ししないなら戻してやろう」
口出し、ねぇ。
俺は魔界に戻るつもりはない。別にこのまま犬としてあの子達の側にいられたらそれで構わない。
「人が育つには大人の庇護がいる」
「⋯⋯⋯」
「アース。誓約をしろ。お前は何が起きても手を出さない。代わりに、アレの側にいる権利をやろう」
「権利」
「破ればアレを始末する」
アレ、がなんのことか俺にはすぐ分かった。
生き物担当のあの子のことだ。
あの子は綺麗すぎる。悪意や瘴気を寄せ付けない美しい魂。歪に拗られた身体を護るために、恐らくこの星が与えたもうひとつの能力だ。
夜中、白く輝く光があの子を纏っていることがある。
それが、気に食わないんだな。綺麗なものを見ると壊したくなる歪んだ癖を持つ邪神どもには、さぞ煩わしく映ることだろう。
「分かった」
あの子はこの星に護られている。
だから、大丈夫だ。何が起きても、殺されることはない。
ずっと傍にいた母親を殺されても。
自分ひとりだけ除け者にされても。
―――夜に、どんな暴虐を受けようと。
「香流、俺と東京に行こう」
でも、心は?
「少し離れて暮らすだけだ。奴らは柚姫と賢吾には危害を加えない。雲雀だってお父さんが守ってくれるよ」
「そんなの、分かんないだろ!」
「だからって香流が耐え続ける必要はないんだよ!」
「おれは大丈夫だから!大丈夫だから、⋯⋯離れたくない」
悪意を理解できない弊害が、香流の心を殺していく。
「家族と、ばあちゃんと、まゆとも、一緒にいたい⋯⋯っ」
側にいるだけで、俺は、何も出来ない。
あんなに香流は俺を救おうとしてくれたのに。俺は何もしてやれない。
無理矢理連れ出したこともあった。パニックを起こして泣き続ける香流をどうしても柚姫と賢吾から引き離せなかった。
俺が手を出せば、香流がより一層酷い目に合ってしまう。
俺が出来ることは、仕事をして、香流に2人と遜色ない物を買ってあげて、休みの日はそばにいて目一杯遊ぶことだけ。
でも、その日は訪れた。
「森谷さん、香流、香流が、死んじゃう!」
嫌な予感がしたんだ。
仕事を切り上げて、村に帰ってきた。燃え上がる村には誰もおらず、子ども達を探し回っていたら俺を見つけた賢吾が走ってきた。
村の側で倒れる香流は、全身が痣だらけで、有り得ない場所から血を流していた。顔色がひどく悪くて、息も絶え絶えな様子で。
プツン、と、糸が切れる音がした。
『永霊会』には、散乱した作務衣が敷き詰められている。
泣きながら布団を敷く柚姫と、必死で香流の名前を呼びながら血を拭く賢吾と、水を汲んで看病の手順をなぞる雲雀に香流を託して、俺は多分すごくいい笑顔を浮かべていた。
親父殿の首を、床へ放り捨てる。
べちゃ、と汚い音がした。「ひ、」と声をあげる女の元へ足を進める。
「あ、あの時とちがう」
「お前らの事だから様子を見ていると思ってたよ」
女の首を掴んで、全力を篭める。
「今すぐ俺を王へのし上げろ」
「せ、誓約を破ったわね!?」
「破るよ。その度に何回でも何千回でも何万回でもてめぇらを殺しに行く」
ギチ、ギチ、と女の首から音がする。
俺の首に刃がかけられた。手を離すと、女が咳き込んでしゃがみ込む。
「親殺しは重罪だよ」
「どうせ生き返んだろ。でもなぁ、香流はもう心が死んでんだよ!その上で身体まで、⋯⋯許さねぇ」
「は、は、たかが一魔族が入れ込んじゃって気持ち悪い!」
「いや。やり過ぎだよ。あまりにも神に対する冒涜だ」
刃が離れていく。
水晶玉が並ぶ宮殿で、いくつもある中のひとつの惑星なだけだ。
だけど、あんなに優しい子を何回殺すんだ。
この先何千年も生きていくあの子に、俺がしてやれることがなかったとしても。
「王になれば莫大な魔力が得られる。君を殺しにくる魔族が増えるよ」
「いいから寄越せ。全部返り討ちにしてやるからよ」
「親殺しの罰として、あの子達と暮らすことは認められない。⋯⋯ただし、大人になるまで離れて見守るには良しとしよう」
「クロノス様!?」
「黙れ。神に対する冒涜も許されざる罪だ」
ギロリと睨みつけられ、女が萎縮する。
「僕らの魔力を君に託そう。新しい魔王として、魔界の統治に尽力するように」
「⋯⋯話が出来るやつがいるなんて、思わなかった」
「君があまりに入れ込むから、僕も気になってしまった。あの子の生きる正しい世界を覗いてみるとしよう」
そいつは親父の身体を指さした。
「心臓を喰らいたまえ」
魔王の力を得れば、余計な仕事は増えても、出来ることが増える。
どうしても、香流の記憶を差し替えてやりたかった。あのままでは壊れてしまっただろうから。
優しくて、温かい記憶を与えてあげたかった。俺がもらったものを返すだけでは足りない。あの子達は、あの子達だけでも、地球一幸せになってもらえるように。
この感情が、何なのかはもう腑に落ちている。
ゼウスが時々自慢していた、無償の愛ってやつだろう?
あの子達が笑っていることが、どれだけ救われるのか。
小さかった身体が大きくなって、大きくならなくても心が成長して、何よりも元気に生きてくれることが幸福でたまらないんだよ。
「それにしても、あーちゃんがパパしてるのがウケるわぁ」
「そーぉ?もうすっかり『森谷司狼』が板についたと思いますけど」
「いいなぁ、地球ネーム。ルシフェルもセラフィムも楽しそうなんだよねぇ」
「なら俺が名付けてやろう。お前は『山田太郎』だ」
「あーちゃん、僕のこと嫌いなの?」
「香流へのセクハラ止めたらまともに考えてやるよ」
「だってさぁ、本当に美しくて愛らしいんだもん。あんな女の子どの女神にもいないよ」
「男の子してんだから、本人には言うなよ」
天界の宮殿で、腰掛けながらゼウスととりとめのない話をする。
水晶玉のひとつには、地球。俺の愛する息子と娘が生きる惑星。
「ま、楽しく生きてくれたらパパはなんだっていいけどね」
多分、今の俺はすごくいい笑顔を浮かべている。




