白兎事件編39(文化祭・7/合流)
少しだけ距離の縮んだふたりです。
(柚木)
「なんだこれは」
ぴちょん、と雫の垂れる音がする。
木が溶けている。地面がぬかるんで、赤黒く染まっている。
これは、血の色だ。学校にはそぐわない色。辺りを見回すと、何の音も聴こえない。
ここは⋯⋯中庭?フィオネと分かれた場所だ。当然ここにフィオネはいない。そもそも人の気配もしない。
「柚木さん、これは第二結界です」
「第二結界?」
「柳瀬さんの幻術ですよ。侵入者を阻むためのトラップです。出口を探しますから、呑まれないようにして下さい」
柳瀬の?
⋯⋯柳瀬の幻術、ってこんな感じなの?
耐性のない人がここに立てばおかしくなってしまいそうだ。柚姫や賢吾には見せられない。あ、でも石田と夏椎はちょっと好きかも。
「柳瀬は闇を抱えすぎてる⋯⋯」
「それは間違いないですね」
「なぁ、そう言えばなんでヒツギが警察庁にいたんだ?おれを運んでくれたんだ⋯⋯よな?」
ヒツギが歩き出したので、手乗りサイズに変わったルフを肩に乗せてヒツギに着いていく。
歩き出すと、ぐにゃりと世界が歪んだ。今度は怖い顔の人のようなよく分からない絵画がこちらを眺めている。別におれは怖くないけど、中川だったら卒倒してしまいそうだ。
「俺は柳瀬さんに指示を受けて、『白百合の純潔』の取りこぼしがないよう学校外で待機していたんです」
「そうなんだ」
「いきなり近くの結界が開いたから何かと思えば、血塗れのアホが貴方を差し出して『川崎さんのところに連れてってあげて』⋯⋯と」
やっぱり、おれを外に連れ出したのはアイツだったのか。
なんで一緒に行かなかったんだろ。首を傾げていると、ヒツギがおれを振り返った。
女の視点からのヒツギはめちゃくちゃ大きくてまるで巨人だ。ヒツギほどではないけど賢吾も大きかったもんな⋯⋯。楪羽ももう少し大きければいいのに、好きなものばっか食べてるから。
「『学校が魔界と繋がっちゃったから俺は出れない』と。生徒を守るために残る戦力は多い方がいいと踏んだんでしょう」
「いいやつだな、アイツ」
おれはうんうんと頷く。やっぱり木戸は機転が利くな。柳瀬が信頼しているのも分かる気がする。
「⋯⋯なんか意外ですね」
「ん?」
「嫌ではないんですか?ずっと男として生きてきたのに、いきなり女になって⋯⋯」
「まぁそもそもおれは大人と子どもの姿があるんだからひとつ増えたところで今更だろ。この身体だって楪羽の身体だからなんとも思わねぇよ。胸は邪魔だけど⋯⋯」
あの下からぎゅっと押さえつける下着欲しかった。何もつけないと揺れて痛いんだな。下から持ち上げていると、ヒツギが顔を背けて蹲った。
「ウケてる⋯⋯」
「ち、珍獣扱い⋯⋯」
「仕方ねぇじゃん、男も女もどっちの身体も興味ねぇもん。おれは」
もういっそふんぞり返ってやる。
大和に聞かれても結局そういう知識はピンとこなかったし、楪羽の持っていた知識が増えただけでおれの内実は全然伴っていない。
「おれは子どもで成長止まってんだからそういうのは分かんねぇの!」
「ふ、ふ⋯そのスタンスでいくんですね」
「そー!ま、そのうち大人になれたら考えも変わんだろ。もう無理して大人にならないことにする!」
楪羽と混ざったことで、スッキリしたおれはもうごちゃごちゃわけのわからないことを悩むことを止めた。
でも目を背けないのもやめた。そして導き出した答えはひとつだ。
保留!!
ぐっと拳を固めた上にルフがパタパタと飛んできた。
小さく跳ねながら拳の上を回っている。楽しそうでちょっと和む。
「ん?」
ルフの奥側の景色に、色味の違う絵の具のつなぎ目があった。
同じ青だけど、濃淡が違う。人の歯の絵の合間に見つけたその違和感に指を突っ込もうとすると、ヒツギに腕を掴まれた。
「迂闊に手を入れないで下さい」
「入れようとしたの指だけど」
「そういうのを、屁理屈って言うんですよ」
ヒツギが手首を開けて、またピンクの光が集まってくる。
ヒツギがレーザー光線を打ち込むのと、空間が割れたのはほとんど同時だった。宙に佇んでいたらしいおれとヒツギは同時にがくんと重力に抗えなくなる。
あ、結構高いな。ここはちょうど出店の上か?校門から入ってすぐの、中学校舎と高校校舎が分かれる外廊下の真上だ。
グラウンドにはなんかよくわかんないでっかい魔物がいる。怪獣対戦かな?おれとヒツギの着地地点にも何体か、大型の一つ目の魔物と戦っている⋯⋯
「アンタ達!連携が取れてない!術師は下がる、そして打ち込みの速度が遅い!近接はもっと術師の軌道を読みなさい!」
「はい、姐さん!」
夏椎の同級生を指導してる柳瀬がいた。
「柳瀬!」
「はっ!?」
どっから持って来たんだそのメガホン。
柳瀬がおれに向かって腕を伸ばす。自分で着地出来たけど、拒絶するのもなんなので素直に柳瀬の胸に飛び込んだ。
女バージョンの柳瀬はとても柔らかい。柔らかいどころか、油断したら胸で顔が埋まる!!
「ぷはっ!」
「あぁぁぁ!!柚木、会いたかったぁぁ!!」
「柳瀬、何してんの?」
「後で愚痴聞いてぇ〜。あら、ヒツギも入ってきたのね」
しれっと後ろで着地していたらしいヒツギは何も答えない。
そして見えない。もう柳瀬しか見えない。おれは閉じ込められるとこうも役に立たないんだな⋯⋯。
「あら。アンタどこでその乳付けてきたの」
「ひっ!?いきなり鷲掴むのやめろ!」
いきなり両方掴まれてぞわっとした!
その時、真後ろから何かが飛んできた。地面を踏んで跳躍して、柳瀬と同時に蹴りを放つ。
柳瀬の動きとの同調は完璧だ。女の体でもマナさえ循環させれば関係ねぇな。緑の一つ目の魔物は重い音を立てて倒れた。と同時に隣でも魔物がゆっくりと倒れていく。
「倒した!」
「イェーイ!」
「アホねぇ、まだいるわよ。さっさと残りも倒して来なさい」
「はい姐さん!」
柳瀬がしっしっと手で示すと、子ども達は元気よく走り去って行った。
さっきお化け屋敷展示で会った子どももいる。さすが妖怪の子どもとは言え、みんな戦えるんだな、全然怖がってない。
よく見ると、周りにも同じような光景が広がっていた。
どこかから湧いてくる魔物を怖がるどころか、生徒達はこぞって倒しに行っている。
『中学3年生、5ポイント』
なんかポイントまで付いている。
「まるでお祭り騒ぎよねぇ。さすが文化祭」
「俺の知っている文化祭ではないですけどね」
「それにしてもなんで柚木がここにいんの?ガキ共は?」
女の姿でも柳瀬は口が悪い。そのガキ共の中にはおれの弟も入ってるのに、ちょっと不満だ。
「向こうには夏椎達に行ってもらったよ。おれは石田が心配だったから残った」
「それがなんでおっぱい付く事になんの?」
「屋上から落ちてきた『白百合の純潔』の人を助けたら、解呪の魔石っていうのを渡されて⋯⋯これ付けたら女になった。なんかおれはもともと女に生まれる予定だったんだって」
「はぁ、屋上から⋯⋯ねぇ?」
「なんでそんな顔するんだよ。人助けしたのに」
柳瀬は何も答えず、おれの首元のチェーンを引っ張りあげて解呪の魔石を出してきた。
そのまま手に乗せてまじまじと眺めている。愛敬経由で柳瀬も魔石や宝石にはそこそこ詳しいもんな。
伏せる柳瀬の青い睫毛が長い。柳瀬も昔から男でも女でも顔変わんないもんなぁ。
「⋯⋯あ」
「ん?」
「ヒツギ、さっきの。ずっと男として生きてきたのに、いきなり女だったって言われてびっくりしないのかって話」
柳瀬の頭が近くにあるのは珍しい。自然と笑顔になって、頑張った柳瀬をなでなでする。
「柳瀬と同じだからいいやって思えたのもあるかも。柳瀬、どっちでも格好いいもんな!」
柳瀬が地面に手をついた。
褒めたのに、何故。聞いたことない声ですごい唸ってる。ごめん、ちょっと怖い。
「大親友だよぉぉ!!」
「あ、うん⋯⋯大親友だよ」
『ひ、ヒツギさーん!来てたんでやんすね!』
柳瀬の咆哮をヒツギと一緒になんとも言えない顔で見下ろしていたら、ヒツギの肩に一羽の喋る雀が乗った。
「パッセル!」
『柚木さん!⋯⋯と、親分!?どうしたんでやんすか!?』
「大丈夫、持病です」
『あぁ、柚木過剰摂取症候群でやんすか。欠乏症の後に良くかかる病ですね。⋯⋯じゃなくて、木戸さんがヤバいです!』
おれと柳瀬とヒツギはそれぞれ顔を見合せた。
「知ってる」
そして同時に答えた。
『高校2年生、8ポイント』
放送も流れた。隣でヒツギがツボっている。
『そうでなくて!なんかヤバそうなモンスターとお姉さんを相手にしてたんですよ!?』
「大丈夫だろ、目玉渡してあるし⋯⋯あ」
柳瀬は呟くと、胸の谷間から小瓶を取り出した。
小瓶の中には赤茶色の瞳の目玉が入っている。小瓶はアメリカで木戸が買ってたものだ。雑に持ち運ばれるのやだから!ってごねてて柳瀬が面倒くさがってたけど、そんなところに入れてたなんて⋯⋯。
女の体って便利だな!?
「⋯⋯忘れてたな、返すの」
『き、木戸さーん!!』
「そもそもアイツ今どこにいんだ」
「最初は校庭裏にいましたけど⋯⋯」
「おれは中学校舎裏で見たぞ」
「俺が最後に見たのは正門ですね」
「じゃあなんでこの辺にいねぇんだよ」
そう言われても⋯⋯。
全員なんとも言えない。そして木戸の話をして思い出した。こっちの世界の加瀬は敵なんだった!
もう顔も名前も知ってて、おれの体感上では一緒のベッドで寝たけど敵!そしておれの分身の彼氏!いいやつだったのに倒さなきゃいけないのか!?
いや、多分アイツは加瀬の姿をとった別の何かだ!そうに違いない!そう結論付けると、おれは柳瀬から小瓶を受け取るために手を差し出した。
「木戸はおれが探してくる!」
「そーぉ?アタシは別の捜し物があるから助かるけど」
「そっか、頑張れ柳瀬!ルフ、パッセル、空から援護頼む!」
『任せて下さいでやんす!』
善は急げで走り出す。魔物はいるけれど、端に追いやられた小型の魔物は害にもならなさそうだ。
さっきヒツギが正門近くでおれを逃がしてくれたと言っていたから、この近くを捜索だ。正門の近くにはみかんの木や柚子の木が植えられている。
小型の魔物が木の枝に挟まっていて可哀想だ。早く見つけなきゃと思いながらも助けてしまう。木戸なら大丈夫だって思うけど、アイツ血塗れだったもんな。
え、どうしよう。死んでたら。
花壇の前を通って、見つからないことにだんだん焦ってくる。
そもそもなんでおれは助けに入ったはずなのに助けられてんだ!そういうとこなんだぞアイツは!だからモテるんだバカ!
走ると髪が靡いて流れていく。しまった、くくってくれば良かったかな。高校校舎の角にたどり着いて、曲がり角を曲がると急に誰かに手を取られた。
「えっ⋯⋯」
「なんで帰ってきたの!?」
なんで、とは。
一体何体の何を倒したのか、返り血を浴びて髪も服もドロドロだ。おれはすぐに小瓶から目玉を取り出して、眼帯を外して目玉を突っ込んだ。
すぐに大きくなる身体に突撃する。蓮の身体は春磨より大きくてずっと固い。
でも安心する。ここがいい。やっぱり、春磨よりもおれは絶対こっちがいい。
「ど、どうすれば⋯⋯!?ねぇ、どうしたらいい!?」
『抱き締めてあげたらいいんじゃないですか?』
「やだ!今力加減出来ないから、つ、潰しそう!」
なんか頭の上で会話してるけど、知らん。
心臓の音が聴きたいのにちょっと届かない。くそう、女の体はやっぱりちょっと不便だ。
でもまぁいいか。
「蓮、しゃがんで」
「は、はい⋯⋯」
帰ってきたら、絶対すると決めてたことがあった。
向こうで、春磨とエレベーターでしたこと。すぐに違うと思ってしまったあの行為。
なぁ、蓮。おれが正しく生まれてたら、女の子だったんだってさ。
触れた唇から、ほんのりと血の味がする。
「今は女の子だからな!」
蓮の頬から手を離して、背を向ける。
さて、次は召喚紋へ急がなければ。どこにあんのか知らねぇけど。
頭の上でルフがつんつんつついてくる。いや、分かってるよ。言いたいことは分かってるよ!テロみたいだって言いたいんだろ!
でもだってさぁ、初めてがよく知らない男、しかも自分の分身の彼氏ってなんか嫌だなって思ったんだから仕方ないじゃん!
どうせならせっかく女の体なんだし、アイツが喜ぶかなって思ったんだよ!だってアイツおれのこと好きなんだからもう女の子とキスなんかしないんだろ!フィオネにお願いしてこの魔石もらったらまた女にもなれるけど⋯⋯って結局おれは男でいたいのか女になりたいのかどっちなんだよ⋯⋯。
あ、なんかちょっと凹んできた。柳瀬みたいに地面に手をついていたら、視界の先に大きなクレーターのような足型に埋められた球根を発見する。
「なんだこれ⋯⋯」
ルフと一緒に土を掘り出して、持ち上げた球根はピンク色の人の顔くらいはある球根だった。
でも人の顔はない。瞳もなければ鼻も口もない。先端が植物の球根のように巻いていて、花の球根のようだけどそんなに固くもなかった。
「香流!」
球根を眺めていたら、いきなり蓮に名前を呼ばれた。びっくりした。心臓口から出るかと思った。
「ねぇ、いつ挙式する!?名字はどっちがいい!?」
「は!?何の話!?そんな事より、何この足型?」
「足型?あー、さっき倒したでっかい恐竜のかな。とりあえず子どもが無理そうなのはあらかた裏で処理しておいたけど⋯⋯」
「偉いな、お前⋯⋯」
ほんと機転がきくんだよなぁ。あの血まみれの状態で良くそんなもん倒せたな。
⋯⋯恐竜、ちょっと見たかったような気もするけど。
「加瀬はどこいったんだ?」
「香流を眠らせたあとすぐ消えたよ。その後わんさか魔物が出てきたから学校中てんやわんやで」
はぁー、と蓮はおれの隣にしゃがみこんでため息をついた。
「今高校学舎全体に中川さんの結界が張られてるから、人間と聖属性のひとしか入れないんだよ。小型の魔物どころかさっき大型の魔物まで一瞬で消し炭でさぁ」
蓮は呑気にスマホを出して、おれに写真を見せてくれる。
そこには、ワイワイと楽しそうにパーティをしている人間達の姿があった。あ、鴫も石田もいる。中川の周り、何これ⋯⋯食べ物を差し出す男子生徒でガチガチに固められている⋯⋯?
「気付いたらなんかよくわかんない討伐ポイント制度始まるしさぁ。明らかに殺意高い魔物もいるから放っとけないしさぁ、香流の側についてあげられなくてごめんね⋯⋯」
「なんだよ、おれだって蓮を助けたんだから貸し借りなしだろ。謝るなよ」
「あの時はマジで助かったぁ。死んだかと思ったもん。ありがとうございました」
「おれの方こそありがとう」
なんとなくお互い黙って、ふ、と笑い合う。
相変わらず空気は澱んでいるけれど、中川のお陰で安心だ。みんなを避難させてくれたセラフィムにも感謝しないと。
「香流が無事で良かった」
蓮の手が顔に伸びてくる。
あ、と、えーと?この雰囲気はその、⋯リベンジ!?
復讐!?さっきの!?やり返そうとしている!?
「⋯⋯ねぇ、このまま俺の彼女になってよ」
「は⋯⋯!」
「だってさぁ、香流の中では男と女なら恋人になれるんでしょ?今。男と女ですけど」
今ここでその話を⋯⋯!?
いや、さっきキスしたのはこっちだもんな。でもあれはそういう意味じゃなくて、春磨との感触を消したかったからしただけで⋯⋯
ん?ちょっと待てよ⋯⋯?
春磨は寝る前にアレをしようとしてたな?
楪羽の身体だった時に覚えている感覚。おれがもう考えないようにしようと放り投げた性のあれやこれや。
アレを?蓮と?男と女で?恋人同士のアレを!?
「保留!!」
それは無理!!
「ほ⋯保留」
「浮かれてんじゃねぇー!まだ終わってねぇんだからしっかりしろ!おれ!」
「なんという強い鼓舞」
「おれは今から召喚紋探しに行くんだよ!お前はいっぱい働いたからもう休んでろ!」
「すごく優しいけど、手伝うよ。封印解けたから元気になったしね」
今一緒にいたくねぇんだけどー!!
って言えない。こんなことになるならさっさと男に戻ってれば良かった!
「保留。保留かぁ⋯⋯悪くない」
嬉しそうにしやがって。コイツだけなんか余裕で腹立つ。
ムカつくからさっき拾った球根を押し付けておいた。蓮は黙って受け取って持ってくれる。〜〜〜っそういうとこ!
半分楪羽のせいで無駄に喜んでしまう。もう知らん!保留は保留だ。もう春磨との感触変えれたからキスもしない!
「香流、召喚紋って体育館トイレにあったやつ?」
「何それ」
「柳瀬には連絡したんだけど聞いてないか。体育館のトイレに召喚紋が貼ってあって⋯⋯けど魔物が出たのそこからじゃなさそうなんだよね」
歩き出すと、パッセルがおれの肩まで飛んできた。
なんだかゲッソリしている。ごめん、今は見た目が男と女とは言え旧知の友達同士のキスを見せてしまって⋯。勢いで実行するのはダメだな、さすがに反省する。
『お願いですからさっきのことは親分には言わないでくださいね⋯⋯』
「い、言わないに決まってるだろ!大体アレは好き同士のそういうんじゃなくて、向こうの世界で春磨にキスされたからそのうわが⋯⋯」
「⋯⋯⋯」
「⋯⋯き」
『今のは柚木さんが悪いでやんす』
「ほんと香流はさー。俺の傷作るの大得意」
「はい、反省します⋯⋯」
何回も振っておいて、挙句に他のやつよりお前の方がマシだからと上書きのキスだけしてまた振った最低な状況を作ってしまった⋯⋯。
楪羽の知識のせいでおれの最低さがすごく際立つ。これ男側から女側にやったら末代まで祟られるやつって楪羽が向こうから言ってる気がする。
でもさぁ、だいたい、女に生まれたからってすぐに彼氏作ってるおれが悪い!いやおれじゃないけど!でも中学生の時に助けられてあの流れだと絶対おれも付き合ってそう⋯⋯。
「お詫びとして後でもっかいやり直しね」
見上げると、蓮がとんとんと自分の唇を指さしていた。
何で?もう1回したからしなくていいんだけど。⋯⋯もしかして、やっぱり復讐⋯!?
「お、怒ってる⋯⋯?女の体だから蓮が喜ぶと思ったのに」
「おーい。人を女に飢えてるみたいに言うじゃん。飢えてねぇわ!香流が好きだって何回言ったら理解出来んのこの乳児!」
『これも柚木さんが悪いでやんす』
「うぅ、知識アップロード中だから許してください⋯⋯」
校舎裏は随分静かで、遠くで騒ぐ声と時折入るアナウンスの音しか聞こえない。
ルフとパッセルがいてくれて良かった。今のおれには蓮とふたりきりは耐え難い。
「この辺で『白百合の純潔』のお姉さんが男子生徒を襲ってたんだよね。助けに入ったら『白百合の純潔』の創造主の人が来て、その人が連れてた生き物にお姉さんが食べられちゃった。それを契機に召喚紋が発動したってことか。てかパッセルは何で学校にいたの?」
蓮が歩きながら情報をまとめている。
パッセルはひと羽ばたきして、蓮の肩の上に飛び乗った。ルフは相変わらずおれの頭の上にいる。落ちなきゃどこでもいいんだけど。
『あっしはみなさんの初文化祭を見守ろうと木の上から観察してたでやんす!』
「そしてうっかり巻き込まれちゃったのね。まぁーパッセルがいてくれて助かったよ。目玉持ってくんの遅すぎて祟ってやろうと思ってたけど」
『だって魔物だらけでどこにも降りられなかったんでやんす!親分は見つからないし⋯⋯!』
蓮は指先でパッセルの頬あたりをつついた。
「香流が助けてくれたからもういいよ。戦えないのによく頑張ったね、パッセル」
『木戸すゎん』
仲良いなこいつら。別に今までも仲悪かったわけじゃないけど、友情が芽生えている。
校舎裏の木が軒並み倒れているのは戦闘の跡か。もう少し早く駆け付けられていたらふたりで戦えたのに。
ブツ切りにされた木の断面、スライスにされた木の断面、いろんな木の断面が見られて何かの実験場みたいだ。
山になった木くずの上で小型の魔物が踊っている。こちらを見るので、軽く手を振ると更にダンスが激しくなった。ちょっと可愛いな。
「俺が見たのでひとり、香流が見たのがふたり。創造主と合わせて現段階で確認出来てる『白百合の純潔』は4人か」
「アリアスも入れたら5人だぞ」
「あぁ。俺見たことないけど、兎の子どもだっけ?」
おれは蓮に向かって人差し指を立てた。夏椎のまねっこだ。
「『いいですか香流さん。アリアスさんは仲間ではありませんからね!全部終わるまでは敵として数えるように!』って夏椎が言ってた」
「もう夏椎に警察官譲ったら?」
「ほんと、しっかり者に育ったよなぁ〜」
いきなり会話に入ってくる声の主は、音もなくおれと蓮の後ろに立っていた。
蓮が身体を抱き寄せてくる。なんで毎回守ろうとしてくるんだよバカ!体は女でも中身はおれなのに!
「なんでここにいるんですか。龍司さん」
「柳瀬くんといいお前といい、毎回喜んでくれないのお兄さん寂しい」
「登場が毎回突飛過ぎるんだよなぁ!」
「それはそうと、なんで香流ちゃんの呪い解けてんの?」
ひょいっと覗き込まれた顔立ちは、やっぱり夏椎にどこか似ている。
呪い、夏椎の父親も知ってたのか。高次の奴らの子どもだもんな、この人は。
「これ⋯⋯」
ネックレスを取り出したかったのに、蓮の腕が邪魔で取り出せない。
どうしたらホールドされた状態から抜け出せるんだろうか。叩いても離そうとしない蓮をじっと見上げていると、少ししてからしぶしぶ手を緩めてくれた。
ネックレスを服の中から取り出して、夏椎の父親に見せる。後ろから蓮も覗いてきた。ふたりしてでかいので怖くはないけど威圧感がすごい。
「『白百合の純潔』のフィオネがくれた。お守りみたいなものかなと思ってたけど、解呪の魔石だって加瀬が言ってた」
「すっごい高純度の魔石だねぇ。外すと戻るの?」
「うん、男に戻る。今は女の格好してるから借りてるけど、後でちゃんと返すよ」
「えー!?」
後ろがうるさい。でも無視だ無視。
「フィオネにはもらっておいてと言われたけど、こんな高価そうなもの受け取れねぇもん」
「あらぁ、蓮ちゃんってばタダでものもらおうなんてがめつい男ねぇ」
「じゃあ男に戻っても付き合ってくれるんですね!」
「は?嫌に決まってんだろ」
「目ぇ冷たっ!」
大和のてんちょーは否定しないけど、それはそれ、これはこれだ。
おれはネックレスをまた服の中へしまった。今は女の方が都合がいいから戻りたくないし、なくしたくもない。
フィオネが返さなくていいって言うなら、まぁ別に蓮の前では女でいてもいいかなとは思うけど。めんどくさいのでそれは言わずにおく。
「夏椎から聞いてはいたけど、ほんとに攻めてくるとはねぇ。余程向こうも自信あったのかな」
そうだったのか。夏椎は親に報連相が出来るいい子だな。
夏椎の父親は、夏椎の父親であり師であるもんな。尊敬できる大人が身近にいるのはいい事だ。
「そう言えばさっき俺の親兼香流ちゃんの敵に会ったよ」
「えっ」
「肉色の女ですか?」
「そうそう、美と醜のベリアルさん。なんか悪さしようとしてたけど、生徒達は大丈夫かねぇ」
あはは、と笑って夏椎の父親は肩を竦めた。
ベリアルって名前は知らないけど、生徒達に危害が及ぶのは困る。走り出そうとするおれの左手をとって、夏椎の父親が隣に並んだ。
「一緒に行くよ」
「夏椎のお父さんも!?」
「あらつれない呼び方ね。龍司さんでいいわよん」
龍司さんはおれに向かってウインクをした。やっぱり夏椎に似てるけど夏椎とは違う。夏椎は多分ウインクをしない。
気付けば反対側の手も取られていた。いや、両手握られるとめちゃくちゃ走りにくっ!
「龍司さん、香流は俺の彼女ですからね!俺の!」
「あらん。嫉妬深い男は嫌われるわよ。さっき振られてたくせにぃ」
「振られてない!保留!」
「なぁ!でかいのに挟まれるの嫌なんけど!」
両手を振り払って速度を上げる。
木くずの山を抜けて、このまま進めば高校校舎が出てくる。体育館からは少しズレるけど、このまま進んでいいのか!?
「なぁ、そいつどこにいたの!?」
「この辺だけど?」
「移動したのか―――」
視線を向けた龍司さんの向こう側に、水色の髪が見えた。
右足を踏みしめて急カーブをする。後ろのふたりは放って向かった先にウニみたいなモンスターがいる。
ウニみたいなモンスターが、水色の髪を生やしていた。
「は⋯⋯?」
足が、止まった。
ぐん、と何かに引っ張られる。身体が浮いたと思えば、おれのいた場所にガチガチと歯を合わせた何かの口が見えた。
なんだ、これは―――
「おかえり。用事は済んだかい?」
「く、黒田?これ⋯?」
おれを抱きとめた黒田もといサタンは、苦笑いしながら龍司さんと蓮のところへ下ろしてくれる。サタンは龍司さんを見て軽く手を上げて、龍司さんもニコニコしながら謎のハイタッチをしていた。⋯⋯初対面だよな?
「レンレンもいんじゃん!何持ってんのそれ?」
「さっき香流が拾ったよく分かんない球根です」
「イケメンがどデカい球根持ってんのウケる!」
「この現状でどうしてそのノリでいけるんだお前は」
「だって悪魔だもん」
そんなウインクされても。目の前では水色の髪を生やしたウニがうごうごと蠢いていて、その周りに不規則に口が開いてガチガチと歯を鳴らしている。
「黒田さん、なんですかあれ」
「それが分からんのよ。急に現れたから一応監視してるんだけど、何もしないんだよねぇ」
「ふぃ、フィオネは⋯⋯?」
「召喚紋外した瞬間どこかへ連れて行かれたよ。まさかアレかしらとも思うけど、ま、どうだか⋯⋯」
「嘘だろ⋯⋯」
身体中の血の気が引いていく音がする。
おれがあの時蓮を助けに行ったから?一緒に行って、おれが召喚紋を外していればフィオネはこんなことにならなかった?
でも、そしたら蓮が死んでたかもしれなくて。
青ざめるおれの肩を、蓮が支えてくれる。今は楪羽の身体だからか、涙腺が弱くて勝手に涙が流れてしまう。
泣いていると、蓮が抱き締めてくれた。頭を撫でられて少しだけ安心する。怖い。目の前の惨状が自分の選択が招いた結果だとしたら、何をどうすればいいのか分からなくて怖い。
「『白百合の純潔』だっけ?自分が招いた結果とは言え、女の子には酷な仕打ちだねぇ」
「龍司さん」
蓮は一言言うと、少し屈んでおれと目線を合わせてくれた。
鳶色の瞳に楪羽が映っている。自分を責めそうになるけれど、おれが悪いと呑まれそうになるけれど、楪羽の言葉を思い出してぎゅっと拳を握りしめる。
「香流、俺も持つから背負わないで」
「⋯⋯大丈夫。ありがとう」
「香流、俺も持つから背負わないで」
「あぁんだいしゅきぃ!抱いてレンレン!」
「ねぇそこの初対面コンビうるさいんだけど!!」
龍司さんとサタンが球根を挟んでいきなり仲良くなっている。場を和ませようとしてくれているのは伝わってくるので、つい笑ってしまった。
大丈夫、おれには仲間がいる。
ひとりで戦わない。ひとりで背負わない。
楪羽が灰色にしようと言ってくれた。おれはもう黒じゃない。
足を踏み出す。
蓮の手を離して、ゆっくり前に進む。
「香流」
「話してくる」
フィオネは、おれに危害を加えるような人じゃない。
少ししか話さなかったけど、向けられる視線が優しくて穏やかだった。きっと、本当は優しい人だったんじゃないかと思うんだ。
「救世主があなたみたいな人だったら、私は道を違えなかったかな⋯」
分かるよ。
いきなり流行りだした病に大切な人を奪われて、怒りや悲しみを向ける場所が欲しかったんだよな。
そして意義を見出したくなったんだよな。あの人の生きた証を何としてでも残したかったって、そんなフィオネの想いが楪羽と混ざった今なら少しは分かるよ。
歩いていくたび、フィオネの思い出が近付いてくる。
そうか。フィオネも王女様だったんだ。エリックのこと、知ってたんだな。
魔法が弱いコンプレックスをエリックが変えてくれた。仲良しだったのに、フィオネもエリックがいなくなって悲しかったよな。
小さなアリアスがいる。時々お菓子をあげてたんだ。それを上のお姉さん達に咎められるから、わざとワガママな振りしてドレスを買ってもらって、小さくなったドレスを「捨てるから」とアリアスにあげてた優しい姿が見える。
たまに街へ出て、野良猫にご飯をあげるのが好きだった。そこで出会った本屋さんに恋をして、ふたりでたくさん笑いあってるフィオネがとても可愛らしい。
口は、引き結ばれている。
水色の綺麗な髪に触れて、おれは目を閉じた。
「約束、守ってくれてありがとう⋯⋯」
手間取りながらネックレスを外して、フィオネにかけてあげる。
これが呪いなら、治るかも。そう思ったけど、治ってはくれなかった。
子どもに戻ったおれに向かって、ウニみたいなトゲがネックレスを引っ掛けて伸ばしてくる。付けろってことかな。動けずにいると、ウニのトゲが器用におれの首元へネックレスを回してくれた。
「ありがとう。大事にする」
ネックレスを付け直して言うと、ウニのトゲが元に戻っていった。
やっぱり、―――フィオネだ。姿は変わってもちゃんと優しさが伝わってくる。
「痛くない?ごめんな、側にいられなくてごめんなさい⋯」
トゲのひとつに手を添えて、フィオネに届くように話しかける。
トゲは優しくおれの頬を撫でてくれた。心配しないでと言われているようで、また涙が勝手に溢れてくる。
「あーら、まだ浅ましく誰かを犠牲に生きていたのね。醜いお人形さん」
今度は、体育館から、知らない女の声がした。




