白兎事件編36(文化祭・6/中学校校舎裏)
好きな人とデートは出来ないわ、
敵の当たりが悪いわ、
割と不運な木戸くんですが好きな人が助けに来てくれたことで全てチャラになる幸せな男です。
(木戸・校庭裏)
「⋯⋯柳瀬?」
思わず声に出した瞬間、ズン、と地面が大きく揺れた。
それと同時に、どさっと何かが上から降ってきた。
真後ろで木が崩れる音がする。あ、やっべぇ死ぬとこだったわ。脳の焦点を合わせて肉紅色の柳瀬へ視線を向けると、そいつは落ちてきた何かを見下ろしていた。
「い、痛いでやんすぅ」
「パッセル?」
「なんかいきなり叩き落とされて⋯⋯あ、木戸さん見つけたでやんす!」
俺は黙って柳瀬モドキを指さした。
パッセルは首を傾げて俺の指さした方へ顔を向ける。黙って立ったままの柳瀬モドキとひしゃげたクリスマスカラーの異形が並んでいて、パッセルはすぅと息を吸った。
「戦闘中だったでやんすかぁぁぁ!!」
秒で立ち上がって俺の後ろへ回り込むパッセルはバイブレーションもびっくりな振動を起こしている。
えぇい振動が鬱陶しい。身体を離しても離しても戻ってくる。邪魔!
「せめて雀になってくれない!?」
「そしたら守ってくれるんですか!?」
「誠に遺憾ですが善処します」
「イケメンの真顔やめて!」
叫びながら、パッセルが雀の姿へ変わった。ヘロヘロと羽ばたきながら俺の頭の上に乗ってくる。
「⋯⋯あー、興醒めだわぁ」
気付けばいきなり柳瀬の顔が目の前にあった。
慌てて距離を取る。口元に手を当てて微笑む顔がマジで柳瀬だ。顔も同じ。声も同じ。もう脳がバグって柳瀬にしか見えない。
いや、でもアレは柳瀬じゃない。似てるけど瞳も紅色だ。俺の色で柳瀬の顔なのがなんかすごく嫌!
「お前は誰だよ!」
「答える義理はないけれど」
それも確かにそうだ。思わず納得してしまった。
足元の異形は大人しく柳瀬モドキに擦り寄っている。
しかし何だろう、あの形状は。口が耳まで裂けて痛そうだ。関節もひしゃげている。四つ足歩行で動きにくそうな見た目をしているのに、動きは妙に速い。
それに加えて、柳瀬モドキの攻撃が全然見えない。俺そんな目悪くないんだけどなぁ。切り刻まれた木々には申し訳ないが、何の対策も打てねぇわ。
パッセル抱えてこのふたりを相手にするのはちょっと面倒くせぇなぁ。マジでさぁ、何で俺のとこ落ちてきたの!?柳瀬のとこ行けよ!
あぁ目の前のこいつも見た目は柳瀬だったわ!ってややこしいわ!
黙っていても、柳瀬モドキは何もしてこない。
ニコニコと佇んでいる。俺の挙動を待っている感じが、余裕綽々と言った様子だ。
そっちがそのつもりなら、俺だって何もせん。こいつが俺のところへ来た理由は分からんけど、状況を推測するにコイツが『白百合の純潔』の関係者なのは間違いない。
そして、コイツがさっきのお姉さんが言っていたお偉方で間違いないだろ。
「お前がベリアル様って奴だな」
直球で投げつけても、柳瀬モドキは俺の言葉に是も非も答えない。
ただ笑顔でこちらを眺めている。背筋に薄ら寒い感覚。あぁもう、柳瀬に目玉返してもらえば良かった。
『ベリアル様、って誰でやんすか?』
「『白百合の純潔』の創始者よ」
パッセルは空気を読まない。呑気な問いだが、意外にも柳瀬モドキは素直に答えてくれた。
もしかして、対話が出来るタイプなんだろうか。
「さっきのお姉さん、アンタの仲間ではないの?」
「⋯⋯⋯」
はい、無視。
『木戸さんが女の子に邪険にされてるの珍しいですね』
頭の上から憐れむような声をかけられて、思わず俺は目と耳を疑った。
柳瀬モドキはニコニコしている。⋯⋯はぁ、なるほどぉ。コレは正解を当てると死んじゃうのかなぁ?
「パッセルは、アレが女の子に見えてるわけねぇ」
『?はい、赤毛の綺麗なお姉さんですよね』
「坊やは本質を見抜く力があるのねぇ」
柳瀬モドキは唇に指を添えてくすくすと微笑む。パッセルが嬉しそうに羽を動かしているが、褒められてんじゃねぇと思うよ。
「だからあのおぞましい異物が美しく思えるわけね」
「挑発で動くほど自分の力量を見誤ってねぇよ、俺は」
「ねぇ、何故アレが悪意に晒され続けても平然としていると思う?」
柳瀬モドキが目の前に立つ。
頬に爪がくい込んで、生温い感覚が頬から首筋へ伝わる。何が楽しいのか、何を笑っているのか、俺には全く理解出来ない。
「悪意を理解する感情が欠落しているからよ」
それを、柳瀬の顔で言うんだな。
醜悪すぎて腹も立たねぇわ。良かった、ここにあの人がいなくて。
良かった、パッセルにはちゃんと見えてなくて。
「アレへの遊びを彼らに提案したのは私なのだけれど。面白かったわよぉ。すごく好評だったのだから」
地面に血が吸い込まれていく。
パッセルは動かないし何も言わない。このまま黙っていてくれと思う。余計な口は挟まなくていい。
「馬鹿だから誰にも言うなと脅されれば言わないし、足を開けと言われれば足を開くのよ。泣きながらいつもオネダリするの。あぁ、気持ち悪くて最高におかしかった!」
柳瀬が可哀想だなと心底同情した。
柳瀬は先輩に会えて良かった。俺の知っている柳瀬は「いい人」で、見上げる柳瀬の顔はいつも優しかったのをよく覚えている。
「ごめんねぇ、中古にしちゃって」
「うるせぇクソババア」
チリ、と首筋に灼けるような感覚。
頸動脈に到達する前に左手で掴んだそれは、花弁だった。花弁はハラハラと落ちていき、地面へ降りる前に思い切り頭突きをお見舞いする。
「⋯⋯っ!」
「もう許さん。絶対お前は許さん。柳瀬の母親だろうが関係ねぇわ」
『はっ!?』
頭の上のパッセルを鷲掴んで、スタジャンの中へ放り込む。
柳瀬の母親は額を押さえて笑っている。その真横から、異形が真っ直ぐ跳んできた。
「あぁ勿体ない。せっかくのいい男なのに、女を見る目がないのは罪だわ」
「ほんとうるせぇな。先輩は男の子だっつってんだろ」
「アレのナカは女よ」
異形の攻撃パターンは単調だ。両手両足を折ってしまえばもう動けない。
無策で突っ込ませるなんて、俺の頭突きに多少なりとも動揺しているな。突き出した腕は軽く避けられ、花弁が四方八方に美しく舞う。
「ナカまで弄ることは出来なかったの。残念だったわ。取り繕われた男の身体に、臓腑は女の歪な作品。地球という星は紛い物を有して可哀想ねぇ」
花弁が飛んでくる。
鋭利な刃は皮膚を貫き、赤い血を地面へ落としていく。
腹だけは両腕で護る。パッセルはうるさいけど旧知の仲間だ。それに、香流と仲良いもんな。
「一度抱いてみたら?そうしたら命だって宿せるかもよ。あぁ、気色悪い!」
痛みはない。
後で柳瀬に謝ろう。せっかく買ってもらった服がズタボロだ。
滴り落ちる血が流れる。ポタポタと雨垂れのように落ちていく赤は、土と同化して黒く変色していく。
その黒を踏みしめて、柳瀬の母親へ殴りかかった。
「ふふ、単純な男は好きよ」
後ろへ引いた柳瀬の母親の背中から、黒い針が伸びる。
肩を掠めて髪が落ちる。柳瀬の母親の動きが一瞬止まった。その隙を見て、異形を抱え上げて踵を返して全力で逃げる。
『き、木戸さん!?逃げるんでやんすか!?』
スタジャンから顔を出して雀のパッセルが叫んだ。
「俺は格上相手にあんまり手の内見せたくねぇんだよ!」
『ダッサ!』
「ダサくても死なない方が大事なの!パッセル、上から柳瀬探してくれ!柳瀬に目玉返してもらう!」
『えぇ、飛び出しても死なないでやんすか!?』
「大丈夫、アレは絶対お前を攻撃して来ねぇ!」
左腕に抱えた異形は、折られた手足をだらりと遊ばせている。目がないので表情は読めないが、多分落ち込んでるなコレ。
パッセルがスタジャンから飛び出したのと、右脇腹を何かが掠めたのはほとんど同時だった。
「おかしいわね。たかが一介の妖怪風情だと思っていたのだけれど」
目の前に柳瀬の母親が現れる。
いつの間にか様相替えして、艶やかな着物姿と柳瀬に良く似た女の顔になっている。ちょっと柳瀬感が抜けて内心ほっとしたのは悟られたくない。
「それでいいです。柳瀬の言うことが全部正しい」
「何故お前は私に触れる事が出来るの?」
「ほんと対話出来ねぇなぁ」
悪態をついても状況が変わる訳でもない。とにかくパッセルが帰ってくるまでは生きていなければならないけれど、さてどうしたもんか。
「お前はなぁに?」
優美に微笑んだ柳瀬の母親の周囲に、数え切れない花弁が浮き上がる。
時間稼ぎも出来ねぇ。もー、最悪。ハズレくじ引いた。死ぬ前に可愛い先輩と文化祭回りたかった。
「答える義理はありません」
俺もにこーっと微笑んで、思い切り左腕の異形を投げつける。
「盾に出来ると思うなら大間違いよ?」
ひらひらと舞い踊る花弁が、弾丸のように飛んでくる。
威力が強いのは真っ直ぐ。耐えられるのは曲がる。
予想通り、柳瀬の母親は異形に当たらないように射抜いてくる。つまり、ここへ届くのは曲がる攻撃。
肉が裂ける音がする。あーもう痛い。異形の下に潜り込んでも、柳瀬の母親は既にそこにはいない。
瞬時に移動するのと、術展開が速い。なるほど。じゃあ今度はもう一度異形を抱えて身体の前に盾のように持ってみる。
「無駄だと言ったでしょう?」
背後から声。耳に触れる吐息が熱い。
ポタ、と肩口に血が落ちる。
「⋯⋯っ!」
「俺だったら何してくるか分かんねぇ相手に近付かないねぇ」
言いながら、裏手で殴りつける。当たった感覚はない。でも、少し離れた場所に立つ柳瀬の母親の額に穴は空いている。
あ、閉じた。貫く場所は脳じゃダメだったか。
でもこっちも痛い。削がれた脇の下がジンジンする。さっきから地味に痛いとこばっか狙ってきやがって。
「動きが稚拙ぅ。柳瀬の方が強いんじゃね?」
「こんの⋯っ!」
ぶわ、と満開の花が咲く。
色とりどり、とても賑やかなこと。今度は異形は投げずに真っ直ぐ突っ込んで行く。
柳瀬の母親が一瞬攻撃を躊躇った。そりゃ、何してくんのか分かんねぇ相手だもん、怖ぇよな。
でも絶対香流の方が怖い思いしてたよ、てめぇより。
「お前は許さねぇ」
顔面目掛けて右ストレートをお見舞いしたはずが、ふ、と柳瀬の母親の姿が消えた。
咄嗟に後ろへ飛びずさる。俺のいた場所に真っ黒な霧が現れて、空気と混ざりあって消えていった。
「珍しく劣勢だね、ベリアル」
柳瀬の母親を抱き上げて、警察庁で見かけた現世の男が微笑んでいる。
「く、クロノス様!」
嘘だろ。追加が来た。
パッセルはまだか!?さすがにこの状態で2体相手は荷が重すぎる!
「何故応戦しているのが香流じゃないのかな?」
「あ、アレが私を虐めて来たから⋯!」
「ちょっと待て!先に手を出してきたのはそっちだろ!」
「まさか反撃してくると思わないじゃない!」
何で俺が悪いことになってんの!?マジで理解に苦しむんだけど!
どういう事だか、薄い瘴気が空気の中に満たされていく。
これはこの男のせいか?分からん。何してくるか分かんねぇ相手に手の内を見せたくないし、だからと言ってこの状況を放って行くわけにもいかない。
頭ばかり働かせて動かない状況が悪かったのか。
いきなり左肩が抉れた。思わず傷口を塞いだ俺の耳に、男の柔らかな声がする。
「君もコチラ側の存在だね」
「く、クロノス様!?」
「ベリアルはもう下がっていいよ。君には荷が重い」
「で、ですが⋯⋯」
「役に立ちたいなら、この敷地の者を皆殺しにして来なさい。君のコピーも含めてね」
男は柳瀬の母親の手の甲にキスを落とすと、柳瀬の母親は恍惚の笑みを浮かべて姿をかき消す。
異形の傍らへ姿を再度現すと、
「この顔だけ男」
悪態をついて、異形を連れて去って行った。
うん、よく言われる。よく言われるから痛くも痒くもなんともねぇや。
でも普通に肩は痛い。はぁ、とため息をついて瘴気を集めて傷口を塞いでいく。
「本当に、この星にはイレギュラーが集まるんだね」
「やだなぁ。俺はしがない鬼ですよ。純国産でーす」
「嘘だね。君からは理の気配がしない。中を暴けば正体が分かるかな?」
あ、死んだなコレ。
手の内見せたくないとか言ってる場合じゃねぇな。パッセルのアホは帰って来ねぇし、やるだけやるしかねぇかぁ。
意識を霧散させる。
瘴気は、揺らいで見える。ひとの悪意や毒気の含んだ、ひとに害を成す良くないものを具現化させた黒い粒子を、中川さんは瘴気と呼んでいた。
その尻尾を掴んで、槍のように形を変える。紐を引くように引っ張ってクロノスとか言う男へ突っ込ませると、男は黒い霧で瘴気を飲み込んだ。
「なるほど」
同時に呟いて、今度は全方位へ刃を展開させる。ありがたいことに空気が澱んでとても使いやすい。
一斉に向かわせるが、男は動かない。じっと眺めていると、薄黒い煙が微かに揺らぐのが見えた。
真っ直ぐに顔を狙ってくる。けれどそちらは紛い物だ。展開させた刃の上から脳天を狙う。さすがに姿を消された。着地と同時に足首が飛ばされるが、瞬時に再生させて飛ばされた足首を刀へ作りかえる。
「面白い芸当だ」
「そりゃどうも」
瘴気を飲み込む黒い霧と、空気の歪みからの抉られるような攻撃。その理屈が分からない。
理外の存在を相手にするなら、こちらも理屈をかなぐり捨てなければ。
香流なら上手くやれるんだろうな。どうしても思考に釣られてしまう俺にはどうも相性が悪い。
「このままでは君は僕には勝てないよ」
せっかく作った刀が散り散りになって消えていく。
「穴を塞がなければね」
男がやんわり微笑みながらとんとんと左眼を叩いた。
分かってる。でも帰って来ねぇんだもん。今出来ることをやるしかねぇんだよ、こっちは。
「君の性質が読めてきた。正しく掃き溜めだね、蠱毒の底の最後の一滴だ」
「お褒めに預かり光栄ですね」
「君なら香流を殺せたかも知れないね。その能力を飲み込んで我がものに出来る。まさに強欲と言ったところだ」
瘴気を固めて、男の心臓へ叩き付ける。
「可哀想に。あの子のそばでそれを押し殺すのはとても辛かっただろう」
もうめんどくせぇから物理でいくか。
いきなりの方向転換で男が微かに眉を釣り上げる。突き出した右の拳から、肘を曲げてその勢いのまま叩きつける。
手応えはない。消えたり出たりしやがって。パン、と腹の内側から肉が弾け飛ぶ感覚。
でも捉えた。先が曲がった何か。金色の―――鎌。
「痛くないの?」
「普通に痛ぇわ」
腹から生えた刃渡り20cmほどの鎌を抜いて、すぐに傷を塞ぐ。
ジリ貧だけど、これだけ空気が澱んでいれば再生が追いつかない事はない。運がいいのか悪いのか分かんねぇな。
「我慢我慢、生きることとは耐えることだ。俺はそうでないとあの人の隣には立てない」
「それは君にとっての幸福に繋がるかい?」
「俺の幸せよりあの人の幸せだよ。俺の存在意義は俺がそう定義したんだ」
くるりと鎌を回して、先端を男へ突き付ける。
「生きるなら、愛する人のために命を賭けるのが男ってもんだよおにーさん」
柄に逆手を添えて、鎌の刃先を一気に回す。
地面を蹴りつけて、奴が消える前に眼前へ躍り出る。揺らぐ景色。刃先を空間へ叩きつけて、軌道を奴の方向へ変える。
チリ、と耳を掠った。鎌が出る前に弾き飛ばす。繰り返しの中で、もう一度拳を叩き込む。今度は届いた、かと思えば手首ごと持っていかれる。
浮いた手のひらに瘴気を握らせる。引き寄せるように赤と黒の糸を手繰り寄せて、男の脳天に届く直前。
カサ、と音がした。
「―――っ」
ひと、どうぶつ。
傷つけてはならない。脳漿が警告を鳴らす。
咄嗟に瘴気を押し込める。眼前でぼたりと手のひらが落ちていった。
「ニケも君もあの子に出会わなければ全能でいられたのにね」
ひた、と額に手のひらが添えられる。
あー、終わった。パッセルのアホめ、死んだら絶対取り憑いてやるからな。
死ぬ時はあの人から離れた場所で死にたかったなぁ。生きてるか死んでるか分かんないくらい離れた場所で、もう忘れ去ってもらえるくらい遠くに行きたかった。
死ぬ直前って走馬灯が走るって言うけど、思い出すのはしょうもねぇ事ばっかりだなぁ。
目を閉じると、思い切り右側の脇腹を蹴り飛ばされた。
柳瀬の母親がバラバラにした木屑の山に衝突する。ガラガラとうるせぇ音をかき分けて顔を上げると、眩しいくらいの金色が煌めいていた。
「何諦めてんだ、バカ!」
今は長い金髪を垂らした、澄んだ水色の瞳が俺を睨み付けている。
すらりと伸びた長い脚。均整の取れた華奢な身体。大きな瞳に睫毛が翳って、ぽかんとした様子の男を強い視線で射抜いた。
「香流」
「楪羽」
「大丈夫か、名前呼べんなら意識はあるな。次はおれがやる」
地面を踏みしめて、香流が右手を前へ突き出す。
その瞬間、見えた。停止した思考が慌てて香流の腕を引き寄せる。
待て待て待て待て待て。
ダメダメダメダメダメ!!
「何だよ」
「ねぇ、何で胸あんの!?何があった!?」
「男にも胸はあるだろ、そりゃ」
そうだよね!違う!俺が言いたいのはそういう事じゃない!
立ち上がろうとして、ぐしゃりと身体が落ちる。あ、立てねぇ。つーか俺血塗れじゃねぇか。どこから?頭?
いや、それどころじゃねぇんだわ!
「お願いだからこれ着てください」
もんどりうちながらスタジャンを脱いで、香流に被せる。香流は訳分からんものを見る目で俺を見下ろしていたけど、何とか立ち上がってジッパーを閉めて袖を折ってあげる。
あー、くらくらする。身体、治さなきゃ。
香流、小さい。何で小さいの?柳瀬の家出た時は同じくらいじゃなかったっけ?
見上げる瞳が大きい。可愛い。むり、思考が追いつかない。とにかく身体を戻さないと、香流ひとりで相手するのは無理だよ。
「いいから休んでろ。怪我してんだから」
香流に優しく押されて、木の上に座らされる。
てか、何であの人何もして来ねぇんだろ。香流のこと違う名前で呼んでたな。誰の事なんだ。
脳を揺すられたような頭痛が止まらない。はぁーと深く息をついて、俺は諦めて思考を手放した。
(柚木・中庭)
空気が薄黒く澱んでいる。
中川が教えてくれた、瘴気というものだ。人の悪意に寄って、人の思考を凶暴化させたり犯罪へ走らせたりする良くないもの。
中川なら打ち消すことが出来る。中川の側にいれば石田は大丈夫だ。なるべく早く他の人たちも避難させてあげないと。
「全校生徒に通達。人間は高校学舎ライブ喫茶まで避難するのだ!戦闘能力に自信のあるものは湧き出る魔物を打ち倒せ。我らが生徒会長のために!」
「橋元。放送で困惑させるの止めて下さい」
なんだか物騒で楽しそうな放送が流れ始める。
鴫、楽しそうだな。まゆは鴫が島から出たがらないとボヤいてたけど、友達がいるなら仕方ないよな。
おれだって友達から離れたくない。家族からも離れたくない。それは他の人たちだって同じ思いだとちゃんと分かる。
「香流、何が起きた?」
中庭から出て、音のした方―――体育館の方へ生徒達の流れから逆走するようにフィオネと並んで走っていると、真上からサタンの声がした。
固そうな悪魔の羽を広げて、俺の近くへ降りてくる。隣には6対の天使の羽を広げたセラフィムもいた。
「ちょっとした事件に関わってて、今それを止めに行くところ!」
「そっちのお嬢さんは?」
「犯人グループの仲間」
素直に答えると、サタンもセラフィムも同時に額を押さえた。
セラフィムのお陰で周りの瘴気が少し晴れていく。さすが天使。感心していたら、フィオネに腕を引かれた。
「あなたね、仲間が困惑してるわよ」
「あ、えーと。今は俺の仲間になった!」
「そういう事ではなくて⋯⋯」
「いや、そういう事なら分かりました」
セラフィムはもう一度身体を浮き上がらせる。自分で飛べるのは羨ましい。
「瘴気が濃いので、これでは人に悪影響でしょう。私は逃げ遅れた生徒達をルシフェルのもとへ避難させます」
「そんで?お前は何をしに行くの?」
「魔界と繋がった召喚紋を外しに行く!」
「オーケー、捜索なら任せな」
セラフィムとサタンは頷き合って、セラフィムは羽を羽ばたかせて中学校舎へ向かって行った。
サタンは指を鳴らして、1つ目の小さな丸っこい悪魔をたくさん呼び寄せる。小さな丸っこい悪魔は散り散りに四散していった。
「い、いいの?お前ら勝手に動いて怒られない?」
「友達のために動くのに法も秩序もいらないよ。少なくとも、俺もセラも高校時代にお前からそう教わった」
「いいやつ⋯⋯!」
「悪魔にいいやつってお前なぁ」
話していると、急に、背筋が怖気立つほどの何かが身体中を駆け巡った。
場所は体育館のもっと奥。校舎裏の方だ。
「あらまぁ、来ちゃいけない類の奴が来てる感じ?」
「⋯⋯嫌な感じだな」
鳥肌が立つようなおぞましさと、得体の知れない焦燥感が落ち着かない。
でも、知っているような気がする。それに行かなきゃならないとザワザワと腹の底が騒いでいる。
胸を掻きむしりたい。やらなきゃならない事があるのに、そちらではない、とずっと頭の中で叫んでいる何かがいる。
「お嬢さん、お名前は?」
「⋯⋯フィオネ」
「俺は黒田くんです!っつーことで自己紹介おしまい!香流、俺とフィーちゃんに任せてそっちへ行きな」
「ふ、フィーちゃん⋯⋯」
「でも」
ゾワゾワと気持ち悪い感覚が身体を奔っていく。
でも。フィオネと約束したし。なんかもらったし。どうすればいいのか分からず固まっていると、フィオネがおれの両頬に手を添えた。
「日生。約束する。必ず召喚紋を解除するわ」
「そ、それは分かってるけど⋯⋯」
「それは分かってたのね」
小首を傾げて微笑むフィオネが、とても大人に見える。
重く響く音が聴こえる。動物達がざわめく声が聴こえる。戸惑う人と戦う人と逃げる人とがひしめき合うこの空間の中で、フィオネは聞き取りやすい声で話してくれる。
「あなたに救われた命の分はしっかり働くから、あなたは他の誰かを救ってきて」
フィオネは、してはいけないことをしてしまったけれど、きっと本質はいいやつだ。
救われたと言ってくれた。
誰かを救うことは、その人が別の誰かを救うことになる。おれも止まっていてはダメだ。せっかく送り出そうとしてくれてるんだから、仲間を信じて託すのも大事なことだろ。夏椎達にアリアスを託した以上、おれはここで出来ることをするんだ。
「分かった、召喚紋の事は頼んだ」
地面を蹴って、一気に加速する。
身体が軽い。フィオネに良く分からない宝石をもらってから妙に身体がふわふわする。そして今はゾワゾワする。
胸元がちょっと気持ち悪い。チェーンのせいかな。外したいけど、外すとフィオネが悲しむのは困るし、なくすのはもっとダメだ。
もらっておいてと言われたけど、おれは宝石はいらないし終わったらちゃんと返そう。途中、頭に何かがひっかかってばさりと何かが地面に落ちた。
葉っぱでも落としたかな。後ろで小さな悲鳴が聴こえる。わりぃ、確認してる暇ねぇんだ。
コンクリートの壁伝いに曲がって、中学校舎裏へ辿り着く。視界に飛び込んだのは警察庁で見た知らない男の人の姿と、
―――蓮。
「何諦めてんだ、バカ!」
やっぱり、なんか知ってる気配だと思った!
思い切り蓮を蹴り飛ばす。そのまま守るために近くに着地して、苛立った気持ちのまま睨み付ける。
連絡くらいして来いよ!⋯⋯まぁ出来る状況じゃねぇか!
髪の生え際に添って、深い切り傷が付けられている。すごい血だ。相手をしていたのが丈夫な蓮で良かった。中川だったらきっと血を見て気絶している。
ムカつく。大事な後輩怪我させやがって。敵ならもう怖くねぇからな。アレは人の形をとったおれの大嫌いな高次の奴らのひとりだ。
「香流」
「楪羽」
「大丈夫か、名前呼べんなら意識はあるな。次はおれがやる」
地面を踏みしめて、右手を前へ突き出す。
そのまま殴りかかろうとしたはずが、いきなり木戸に引っ張られて意味が分からなかった。思わず視線を木戸へ戻す。
「何だよ」
「ねぇ、何で胸あんの!?何があった!?」
「男にも胸はあるだろ、そりゃ」
木戸の言っている意味が分からない。
胸は誰にでもある。鳥にもある。犬にもある。胸のない生き物ってミミズとか?さっき手伝ってもらったダンゴムシにもないかな?
おれは虫じゃなくて、人型の男なんだからあって当然だ。なのに木戸はふらふらの身体で自分が着ていた血塗れのスタジャンを被せてくる。
「お願いだからこれ着てください」
⋯⋯何で?
木戸はテキパキとジッパーを閉めて袖を折って、何かを納得したように頷くと縋るようにもたれかかってきた。
重い。それになんかちょっと大きい。柳瀬の家を出た時は同じくらいだったのに、戦ってるうちに身体が戻って来たんだろうか。
「いいから休んでろ。怪我してんだから」
何か言いたげな木戸を押して、木の上に座らせる。こんな状態で動くのは危険だ。いくら丈夫でも失血死しかねない。
改めて男の方を向き直る。
短い焦げ茶色の髪と瞳の、柔和そうな男。
まゆが加瀬と言っていた。加瀬と言う名前に覚えはないけれど、警察学校時代にどこかで会った人かもしれない。
「⋯⋯どうして捻れが解けているんだい?」
何の話かサッパリ分からない。
捻れ?とは?それより、木戸をボコボコにしたお返しをしなければ。
そう思うのに、何故か足が動かない。竦んでる?怖くない、はず。なのに、殴る気満々の気持ちだけが置いてけぼりだ。
「お前は一体なんだ!賢吾とまゆはどうした!」
「捻れが解けているのに、僕を覚えていない⋯⋯?」
「どうしよう、会話が噛み合わない」
そもそもなんだか会話する気もなさそうだ。勝手に悩んですごく見られて居心地が悪い。
もういっそ木戸を連れて逃げるか?⋯⋯でも無理だ!重いもんな!こんなことなら晃だけでも残ってもらえば良かった!
淀んだ空気が加瀬の周りに集まっている。人ならイライラしてそうなほど空気が黒く染まっているのに、加瀬は気にしていなさそうだ。
のんびり考えている様子なのに、どこを攻めればいいのか分からない。向こうの出方を窺いながら構えていると、いきなり、加瀬の顔が目の前にあった。
は、や
「あぁなるほど、解呪の魔石を付けていたのか」
いきなり胸元に手を突っ込まれて、ぞわっと背筋に鳥肌が立つ。
「ダメー!!俺の!!」
足元で木戸がなんか叫んでる。加瀬は白い宝石を手で遊ばせて、おれの頬にひたりと宝石越しに手を添える。
「うん、ちゃんと女の子だね。やっぱり君はその姿の方がしっくりくる」
「おん⋯⋯なのこ」
あ、もしかしてコイツ勘違いして現世から追いかけてきた感じか!?
「昔から良く言われるけどな、おれは男だ!」
「今は女の子に戻ってるよ」
「戻っ⋯⋯!?もどっ、てねぇ⋯⋯え?」
「ほら、ないよ」
今度は内腿を撫でられて、ものすごい不快感がせり上がってくる。
手を払い除けた時、当たった場所に確かに違和感があった。あれ?確かにスッキリしてる気がする。
黙ってパーカーを引っ張って胸を見下ろす。
なんかふたつついてる。
「は――――!?」
腹の底から声が出た。
「ひとつなくなってふたつついてる!!」
「正確にはみっつなくなったんだよ」
「いや、何で!?おれは男だった⋯はず!?えっ!?付いてたよな!?」
「見たことないから分かりません」
木戸に聞いたら普通に返されてしまった。そうだっけ?中川と柳瀬と風呂は入ったことあったけど木戸とはなかったっけ?
「君は元々女の子として産まれる予定だったんだよ」
優しい声で、加瀬がなんか酷いことを言ってくる。
木戸がおれの身体を引っ張って、腕の中に閉じ込めてきた。あれぇ?抵抗出来るはずなのに身体が動かない。ぐるぐる思考が回って落ち着かない。
「予定だったって、弄ったのはアンタらでしょうが」
「僕は手を加えていないよ。むしろ止めるよう忠告したんだけどね」
「信用出来ねぇ。さっきの女も香流に酷いことしたって暴露してたぞ」
さっきの女?女もいたのか?
木戸を見上げると、血は止まっているようだった。怪我もほとんど治っている。さすが鬼。回復力抜群だな。
「本来の世界では君は存在もしていないくせに。その腕を離してくれないかな」
「嫌ですぅー。女の子になったら付き合うって約束してたからもう香流は俺の彼女なんですぅー」
女の子になったらどこかへ付き合うって約束してたっけ⋯⋯。
「そうか。君が邪魔だから楪羽は僕のことを思い出せないのかな」
「多分そういうことなので、元カレ様は無様に這いつくばってて下さい」
「なるほど、ならやっぱり君を消せばいいのかな」
咄嗟に木戸を押しのけて、加瀬の前に立ちはだかった。
消させない。もうおれの大事な人達は絶対消させない。
睨み上げると、加瀬はとても楽しげに笑みを零した。
「消すのは君の方だよ、柚木香流くん」
ずぐ、と脳に直接何かが触れられるような痛みがきた瞬間、視界が白点する。
残った感覚が拾い上げたのは、耳に残るうるさい心臓の音だった。




