幕間(光の景色)
黛雲雀のお話です。
(黛)
あぁ、つまらない。
空は青くて、視界は開けていて、近所には家が六軒しか建っていない。
見渡す限り畑、畑、畑。
父親が持ってきたゲーム機はやり尽くした。自作のパソコンもこんなド田舎は何の電波も拾いはしない。
心配そうに覗いてくるしわくちゃの顔どもが鬱陶しい。
外で何か話をしているが、俺にとってはどうでもいい。早く街に帰りたい。こんなところ子どもなんていやしないのに、父親は何をとち狂ってわざわざ深い森の中へ引っ越してきたのか。
今年から小学1年生。小学校もないこんなド田舎で、わざわざ俺のために外部から教師を呼ぶらしい。
アホらしい。それなら俺は街に住みたい。こんな自然だらけのところ、何がいいのかさっぱり分からない。
布団の上でゴロゴロしながらやり飽きたゲーム機を無意味に触る。
何とか電波を拾えないだろうか。そうだ。父親の仕事道具の中に何か使えるものがあったような。
俺は身体を起こした。自分が使いやすいように改良したゲーム機の中にプランを手早く打ち込んでいく。
アンテナを作れば衛生電波を受信できる。ここは見晴らしもいいから、やり方次第では出来ないこともないんじゃないか?
思考の海に潜り込んで、脳内で快適な生活を描きながらひたすらゲーム機に英字配列を打ち込んでいく。
父親に肩を叩かれて顔を上げた時には、もう窓の外は日が暮れていた。
朝になった。
結局、パソコンも引っ張り出してクソ田舎改造計画を練っていたら日が昇ってしまった。
めんどくさいことに、小学生になると入学式なんてものに行かなければならないらしい。義務教育なんてクソ喰らえだ。何の意味もない大人が決めたルールに則らなければならない苦行は計り知れない。
村のはずれに、簡易的なプレハブ小屋が建てられている。
父親から聞くに、どうやら生徒は俺だけではないらしい。違う集落から子どもが通学してくるそうだ。
まぁ、どうでもいい。俺は帰ってプラン構築の続きをしたい。
プレハブ小屋の前で欠伸をしながら立っていると、隣の父親が急にぺこりと頭を下げた。
「その節はお世話になりました。森谷さん」
「元気そうで良かった。どうも、この子たちが俺の可愛がってる子たちです」
ちらりと顔を上げると、金色の瞳が目に入って思わず肩が跳ねた。
何だあの色。人の色かよ。まるで化け物みてぇな色だ。
髪は黒いのに、顔も整ってるのに、瞳だけが異様に輝いて見える。
父親には分からないんだろうか。俺の父親は馬鹿だから仕方ないのか。
「わぁ、子どもなのよ」
「初めまして」
「同じ年?」
「そうだよ。仲良く出来るといいね」
次に視線を落とすと、今度は髪が金色の同じ顔と黒髪の眼鏡が金目の側に立っていた。
俺は驚いた。ここまで顔の均整のとれた人間は見たことがない。
輝く金色の髪に、綺麗な宝石のような瞳。肌は白く、大きな瞳と形の良い鼻梁、桜の色に似た唇が弧を描いて微笑んでいる。
「仲良くしようね!」
話しかけられて、俺は何も言えなかった。
代わりに逃げた。全力で踵を返してプレハブ小屋から駆け出す。
アレは、駄目だ。
思考が奪われる。人が目にしてはいけないものだと、直感で分かった。
ぞわ、と背筋が粟立つ。今までいくらか人の見えないものを目にはしてきたが、あそこまで人の領域を外れた何かは初めて見た。
人には似つかない化け物であって、人よりも人らしくある。
あの眼鏡は何で平気なんだ。一瞬で目を奪われた父親の視線が物語っている。
特に、あの髪の短い方。
あれは何だ。
「何か見つけた?」
「わぁー!?」
全力で逃げたはずなのに、顔を横へ向けると髪の短い金髪がいた。
心臓が口から飛び出そうになる。バクバクとうるさい胸を押さえて蹲っていると、髪の短い金髪は不思議そうな顔で俺を見下ろしていた。
「なに?」
「何って!お前が何だよ!」
「おれは香流!」
違う。名前を聞いてるんじゃない。
「何で追っかけて来た!?」
「何か見つけたなら手伝おうと思って⋯⋯」
言っている意味が分からない。
コイツはダメだ。頭悪そうだし、纏っている空気が化け物レベルじゃない。
もうひとりの髪の長い方はまだ人に見えるのに。コイツはおぞましい何かを背負っている。
きっと悪霊とか悪魔の類だ。近付いてはいけない。
そう思うのに。
目が離せない。視線が奪われる。愛おしくて仕方がないと胸の内で何かが騒いでいる。
「⋯⋯あっち行けよ」
拒絶の言葉を口にするのがやっとだった。
関わりたくない。そもそも、人と関わりたくないからずっと部屋に篭っていたんだよ、俺は。
機械は嘘をつかない。街へ戻って電波が生きている場所でぬくぬくと暮らしていたい。
小学校なんて行かない。みんなクソ野郎だ。どうせ媚びて持て囃して最後には化け物と揶揄される。
この村の人達だって同じだろ。
お前だって同じだろ。
「じゃああっち行くから一緒に戻ろ」
「嫌だ」
「だってさぁ、なんか泣きそうだもん。置いてったらおれが賢吾に怒られる」
「勝手に怒られとけよ」
「前も柚姫置いてったらめちゃくちゃ怒られたんだからな!おれは誰も置いて行ったらダメなんだよ!」
「何の力説だよ」
「おれが連れてってあげるから!」
悪魔みたいな空気を纏っているくせに、言ってることは天使みたいでちぐはぐだ。
変な奴。
俺はなるべく視線を合わせないようにして立ち上がった。目を逸らしているのでどんな顔をしているのか分からないが、そいつはさっと俺の手を取って歩き始める。
拒否は、出来なかった。
同じくらいの手のひらが泣きそうなほど温かくて、何故か昔手を引いてくれていた記憶の中の母親を思い出した。
簡易的な入学式らしきものが終わって、軽く自己紹介をした。
名前を呼ばれるのに何となく抵抗があったので、俺は名字だけを伝えた。髪の長い方が「まゆずみ」と言えなかったので、「まゆ」と呼ばれた。もうどうせ会わないから何でもいい。
コイツらが帰ったらアンテナの作成に必要なものを父親に頼まなければ。
それか、適当なでっち上げでも作って街へ戻りたいと言おうか。どうせあのバカは碌に調べもせず俺が可哀想だと信じるだろうな。
とか何とか考えてたら、気付いたらプレハブ小屋の外に追い出されていた。
「何して遊ぶ?」
はぁ?
「あの一番大きい木のてっぺんに登るのは?」
はぁ!?
「わぁい!楽しそうなのよ!」
いやお前スカートだろ!
口には出さず脳内で突っ込んでいると、沈黙を是と取られたのかまた手を引かれて短い金髪が歩き始めた。何コイツ、俺のこと幼児かなんかだと勘違いしてる?
手を振り払ってやろうと思ったのに、どうしてだかそれが出来ない。連れて行かれるまま村外れの大木の前に来ると、うわぁと嬉しそうに長い金髪が頬を緩めた。
「綺麗な木!」
「あ、いっぱい鳥がいる!」
短い金髪が指をさすと、小鳥達が一斉に集まってきた。
鳥達は獣のくせにこいつの異様さに気付かないんだな。まぁ動物なんてそんなもんか。
一緒になって空を見上げる。田舎の空は街で見た時よりも高い。母親と父親に手を引かれていた時に見上げたものよりも白い雲がくっきり映えている。
短い金髪は俺から手を離すと、ひょいひょいと木を登り始めた。猿みてぇだなと思っていると、まさかの眼鏡も同じように登り始める。
嘘だろ。予想に反した行動すんじゃねぇよ、眼鏡ぇ!
しかも長い金髪の方も足をかけ始めた。スカートだっつぅの!慌てて目を逸らすと、木の上から短い金髪が声をかけてくる。
「なぁ、早く来いよー」
「俺木登りなんてしたことねぇんだよ!」
「あ、そうなの?けがしたら大変だな。じゃあ、みんな手伝ってー」
手伝ってって、何を。
と言うより早く、突然足元がひょいと掬われる。
「は!?」
声をあげる俺の周りに、鹿やら猿やらタヌキやら色んな動物が集まってくる。
「そこの枝持って、そっちの窪みに足入れるんだよ」
「俺やるなんて一言も言ってねぇよ!」
「絶対楽しいから一緒に行こう!」
―――何を根拠に。
動物達に手を伸ばせ、足をかけろと催促され、仕方なく俺も大木の枝に手をかける。
マジで帰りたい。家に帰って布団でゴロゴロしたい。布団でゴロゴロしながら空想の世界に浸るんだ。
腕がだるい。上にあげた足が痛い。文句を言いたいのを我慢してコイツらに付き合わなきゃいけない、俺が一体何をしたって言うんだ。
「がんばれ、がんばれ!」
短い金髪が手をぱちぱちしながら応援してくる。応援が雑い。でもがんばれなんか言われたの何年振りかな。
頑張らなくても、出来ることだけしてりゃいいだろ。
頑張らなくても、出来るんだから仕方ないだろ。
頑張らなくても、出来たことを化け物でも見る目で見やがって。
俺がこんなだから母親に捨てられるんだ。意味のない時間に貴重な時間を割かれて、こんな人生になんの意味があるんだろう。
寝返りして、立って、歩いて、俺の母親が喜んだのはそこまでだった。
誰も解いたことのなかったらしい問題をたまたま解いてしまった、それから母親が俺の顔を見なくなった。
生産性のない両親の言い争う声と、俺が何か話す度に曇っていく母親の顔が脳裏に焼き付いて離れない。
ひらがな読めたよ!すうじ書けたよ!
その程度で良かったのにな。俺は選択肢を間違えた。
壊したのは俺だ。もう見上げても母親はいない。空に透ける長い髪と、俺を見下ろす優しい表情はもう見えない。
どうしたら、喜んでくれたのかな。
本当は、―――ただ、喜ばせてあげたかっただけなのに。
「いっ、てぇ⋯」
木の皮で擦りむいた指先が痛い。
下からリスにつつきあげられる。分かってるよ。登れって言うんだろ。
何かを生み出すこともなく、何を作るわけでもなく、何の役に立つわけでもない。
ただただ煩わしい。煩わしいはずなのに、放り投げて帰ることが出来ない俺もなんなんだ。
最後の枝に足をかけて、サァ、と吹く風が髪を揺らす。
短い金髪は枝に座って足をぷらぷらと遊ばせていた。隣の眼鏡と何か話して、楽しそうに笑っている。
―――化け物はどっちの方だ。
俺が枝の上に座り込むと、短い金髪は嬉しそうにこちらへ近付いてきた。くたくたになった身体が目を逸らせずに、ただ馬鹿みたいにキラキラ輝くコイツから目を離せない。
「すごい!がんばったな!」
お前が頑張らせたんだろ。
言葉は声にならなくて、ただ嗚咽しか出なかった。
空に近い場所から見る景色はとても広くて、眩い。
長閑だ。あまりにも長閑で、下から手を振るじいさんやばあさんが見えて俺は吐息を飲んだ。
「い、⋯⋯痛かった?」
急に泣き出した俺を抱きしめて、香流は親がするように頭を撫でてくる。
幼子かよ。
その幼子にするようなことを、もう何年も誰もしてくれなかった。
「痛くねぇよ⋯⋯」
隣で眼鏡が長い金髪を引き上げているのが見える。
長い金髪も登ってくると、香流がするのと同じように抱きついてきた。人に縋るのも縋られるのも俺には経験不足で、何をしたらいいのかも何を言ったらいいのかも分からない。
「お前ら、距離感バグりすぎ」
「ばぐりってなに」
「⋯⋯はぁ、疲れた。お前らみたいな野生児とこれから過ごさなきゃならないのかと思うとゾッとするね」
涙を拭って、俺は顔を合わせないように悪態をついた。顔を見ればきっと絆される。そういうよく分からない力がコイツにはある。
下を見ると、村のしわくちゃな人達と動物達が集まっているのが見える。
俺はそれからも視線を逸らすように、ひたすら緑の広がる景色を眺めていた。
「⋯⋯俺、母さんに捨てられてここに来た」
ただ、聞いて欲しいと思った。
ここでなら言える気がした。父親にも言えなかった、誰にも知られたくなかった、拗ねていただけの俺の格好悪い話。
「俺のこと怖いんだって。何でもすぐに習得してしまうから」
「それって悪いことなの?」
「知らない。ピアノも、バイオリンも、計算も、資産運用だって、初めはすごく喜んでくれてたんだ」
どこに行っても、何をしても、褒められるのは初めだけだった。
用意された枠組みを飛び越えると途端に怯えるような顔になる。それを繰り返して、何度も繰り返して、次第に出来ないアイツらがバカなんじゃないかと思い込むことしか出来なかった。
頑張らなくても何でも出来た。教えられなくても何でも理解出来た。物事の仕組みは単調で単純すぎて、人の気持ちほど複雑で繊細なものはない。
母さんは「普通の子育てがしたかった」と泣いていた。
普通って何だよ。
―――俺は普通じゃなくてすみませんね。
それから、母さんは帰ってこなくなった。俺のせいなんだと言うことくらいはすぐに理解できた。
父親は母さんがいなくなってからようやく事の次第を理解した愚鈍な人間で、俺を人の中から遠ざける原始的な解決方法しか思いつかない。
「こんな場所に閉じ込められるくらいなら、生まれてこなきゃ良かった」
「まゆは閉じ込められてんの?」
「俺にとっては檻と同じだ。こんなところで学ぶことなんか何もない」
「なんで?」
香流は俺から身体を離した。
両手を広げて無駄に楽しそうな笑顔をつくる。その両手に、両肩に小鳥や動物達が集まってきた。
「知ってるか?イラクサの葉っぱって触ると痛いんだぞ!」
「⋯⋯はぁ?」
「木イチゴは美味しい!りんごはお腹に優しいから、すりおろして食べれば病気の時でも食べられる!」
何言ってんだコイツ。
そう思っているのに、視界が逸らせない。
吸い込まれるように、焦点が香流から離れない。眩しくて美しくて、さっきまで纒わりついていた黒い靄が晴れていく。
「おれが知ってること教えてあげるから、まゆの知ってること教えてよ!そしたらなんかこう⋯⋯たくさん!一緒に学べる!」
おれの知ってることって。
草触ると痛いとか、木の実が美味しいとか?
「お前の知識なんて使いどころねぇわ⋯⋯」
あぁ、風が心地良いな。
つい頬が緩んでしまうのは、気候がいいからだ。そよ風が髪を揺らして、木々の囁きが聴こえたからだ。
曲がり間違っても、コイツらといるのが楽しいとかじゃねぇから。
「まゆ、明日は川を見に行こ!」
「香流、明日も学校だよ」
「学校って毎日あんの!?」
「土日はお休みだよ」
「じゃあ土日に川行こうな!」
香流と眼鏡が勝手に話を進めている。
俺、行くなんて一言も言ってねぇけどな。大体川なんか行って何すんだよ。水は冷たいし魚がいるだけだろ。
俺は家でパソコンがしたい。
そんなことを心の中で嘯きながら、何も言えなかったのは。
きっと。この光の景色を、もう少しだけ見ていたいと思ってしまったからだ。




