幕間(アリアスと中3部)
アリアスのお話です。
アリアスの願いは一貫して変わりませんが、友達との関わりは彼女の子どもらしさを少しずつ変えていきます。
(アリアス)
私の朝は、朝食作りから始まります。
眠っていてもいいとシスター・マリーリカは言ってくれますが、無償でお世話になっている身なので何もしない訳にはいきません。
コトコトと湯気立つコンソメスープは、野菜が柔らかくなるまで煮込みます。上手に飲み込めない子どもがいるからです。
「アリアスちゃん、パンがゆ作りますね」
「えおのちゃん、ありがとうございます!」
同室のえおのちゃんは、薄緑色のふわふわした髪が可愛らしい同い年の女の子です。
天使、と言う種族で、人間ではないそうです。今は修行中の身で、中川さんと言う大人の天使の弟子をしていると教えてくれました。
弟子は、分かります。私もエリーゼお姉様の弟子でしたから。
同室は私とえおのちゃんだけで、基本的には中学生以上は2人部屋が主になっています。
私とえおのちゃん。その隣に高校生の方がおふたり。そして、一番奥にマリーリカさんのお部屋と、薄いついたてを挟んで小さな子ども達が10人ほど暮らしています。
一番小さい子どもは、まだ首も座っていない赤ちゃんです。中には、小さいけれど眠ったままの子どもや、両手、両足がないけれど元気な子どももいます。
私のような他の星で、紛争に巻き込まれてしまった子ども達や、山へ捨てられてしまった子ども達だそうです。
「この子達の魂はすごく綺麗なんだよねぇ」
大抵の傷や病気は一瞬で治してしまう中川さんですが、生まれつきの特性や、そもそも世界の構造が違うひとに対してはどうにもならないと仰っていました。
中川さんは無理してお世話しなくてもいいよと言ってくれましたが、私は進んでお世話役を買っています。だって、私は中川さんのお友達さんの命を奪おうとしていたのです。少しでも罪を償わなければいけません。
あれから柚木さんにはお会いできていません。私の居場所を特定されないために、外で中川さんと会って食材や色んな保存食を提供してくれています。
色んな方々の支援で教会は成り立っているのだとシスター・マリーリカも感謝していました。そして、シスター・マリーリカは毎朝必ず祭壇へ祈りを捧げます。
「シスター・マリーリカの信仰している神はどんな方なんですか?」
「信仰する神は人によって異なりますよ」
私が聞くと、えおのちゃんは淡々と教えてくれました。
「だから、私も祭壇には祈りません」
そう言えば、中川さんも祭壇へは祈りを捧げません。
先に起きてきた2歳の女の子が、シスター・マリーリカの隣に座って祈りを捧げています。シスター・マリーリカと女の子はお互い微笑み合って、静かに目を伏せて両膝をつきました。
「そう言うアリアスちゃんは何かを信仰しているんですか?」
「⋯⋯私の信じていた神はお姉様だけです」
優しくて聡明で、どんな魔法も使いこなす稀代の魔法使い。
私の憧れのお姉様は、神様のようです。答える私に、えおのちゃんは困ったように微笑みました。
「アリアス、今日も来たの?」
お城の外れにある、古びた塔に住むエリーゼお姉様はいつも端切れを繋ぎ合わせたドレスを着ています。
色も柄もバラバラで、お世辞にもお洒落だとは言えません。けれど、それを着るお姉様は美しく、エメラルド色の瞳が細められると私はとっても嬉しくなります。
「魔法の修行です」
使用人の娘である私にもドレスは買ってもらえません。
でも、お姉様達のお下がりをいただくことは出来ます。使用人の方が、お姉様達が捨てると言ったドレスをいくつかもらってきてくれました。
第1王女のエリーゼお姉様は、一番偉くてすごいのに偉ぶったりしません。
第2王女と第3王女のお姉様達は、怖いです。いつもイライラしていて、私も話すことを許されてはいません。
第4王女のお姉様は、少し優しくてたまにいらないお菓子やアクセサリーをくれます。
第5王女のお姉様は、私は見たことがありません。使用人の方達が、魔力なしだから城下町へ下ろされたと話しているのをちらりと聞きました。
「じゃあ今日は水魔法の修行をするかい?」
エリーゼお姉様は美しい金色の髪をひとつに縛ると、楽しそうに人差し指を立てました。
その先に、ふわりと水球が浮かび上がります。私は目を輝かせて、拍手を送りました。
「お姉様は全属性の魔法を使えるのですよね」
「ふふ。そのせいでここへ追い出されてるんだけどね」
「創成主と同じ全属性持ちだからって、異端扱いするのはおかしいのですよ。エリーゼお姉様は誰よりも優しくて、誰よりもすごいのに」
拗ねる私を、エリーゼお姉様は優しく抱き締めてくれます。とてもいい匂いがして、幸せな気持ち。
「この世界では仕方ないんだよ」
「エリーゼお姉様⋯⋯」
「でもアリアスがいてくれるから、僕は幸せだよ」
エリーゼお姉様が笑ってくれるから、私も嬉しくなって笑顔になります。
「私も、エリーゼお姉様がいてくれたら幸せです!」
お母さんがいなくても、エリーゼお姉様がいるから寂しくないのです。
エリーゼお姉様が笑ってくれるから、私も頑張ろうと思えるのです。
エリーゼお姉様だけが私を認めてくれる。頑張ったら頑張った分褒めてくれる。
使用人の子どもだとエリーゼお姉様は後ろ指をささない。獣の子だと汚いものに触れるような触り方をしない。
幸せです。
幸せでした。
幸せだったのに。
「早く魔女を処刑しろ!」
「あの女のせいで私の子どもが疫病で殺されたのよ!」
「呪いだ!」
「神と同じ全属性持ちなんて⋯⋯」
「産まれた時に殺せば良かったのに」
うるさい。
うるさいのですよ。私の耳はよく聞こえるから。
お姉様が疫病をつくるはずないのです。
お姉様が誰かを害するわけがないのです。
お姉様は、優しくて聡明な方です。
だれもきょうみをもたなかったくせに、おまえらにおねえさまのなにがわかるのですか。
「―――アリアスさん!」
はっとしました。
名前を呼ばれて、慌てて教科書を開きます。わたわたしていたら何が書いてあるのか分からなくて、隣のグルーさんから「教科書逆だぞ」と指摘されました。
「慣れない異世界で大変かもしれないけど、授業はちゃんと受けなさいね」
苦笑いをしながら、英語教師のアズウェル先生が私の元へ来てくださいました。
そっと教科書の上下を戻して、指で示してくれます。
「こちらが英訳。こちらが和訳ですよ」
そう言われても、どちらの言葉も私には分かりません。
「このスイーツは伝統的な日本の味、抹茶を利用しています」
しゅんと肩を落としていると、グルーさんが代わりに読んでくれました。
顔を上げると、アズウェル先生が英語の文を引き継いで読んでくれます。
「This sweet takes advantage of a traditional Japanese taste, matcha。このtake advantage ofの使い方は⋯⋯」
難しいですが、ここにいる以上はきちんとしなければ。
ぼんやりしている訳にはいきません。だって私は、この星の方々にお世話になっている身なのですから。
授業が終わると、後ろの席から夏椎さんが来てくれました。
「すみません、気付くのが遅れてしまって。とりあえずいきなりふたつの言語習得は難しいでしょうから、日本語だけでも読み書き出来るようにしましょうか」
「すみません⋯⋯」
私の監視役をして下さっている夏椎さんは、腕を組んで教科書を見下ろしています。
横から、ひょこっと翔真さんが顔を出しました。
「おれ達ねぇ、ひらがな覚えるためにみんなにたくさん絵本読んでもらったよ。ねぇ、晃」
「知らん」
「無言で次々絵本持ってきてたの晃なのに」
翔真さんはニヤニヤ笑っています。晃さんはもう一度「知らん」と言って顔を背けました。
「真生達はどうしたの?」
「俺は留学生だから、来る前に事前に教育受けてたよ」
「俺もボスに予め聞いていた」
真生さんとグルーさんがそれぞれ教えてくれますが、私の世界には地球と関わりのある方はいませんでした。
話す言葉だけは、言語通訳の魔法で補えていますが、読み書きはからきしです。そして、私は教育と言うものを一切受けたことがありません。
獣には必要ないと言われていました。けれど、隣の席のグルーさんは大きな熊さんなのにとても頭の良い方です。
「とりあえず、ひらがなの習得からだな」
「じゃあ習得したとみなして全教科書にひらがな打ちしていこうか」
グルーさんと真生さんはこのお部屋の中心的な方です。決断力があって行動がとても早いです。
「手伝ってあげるわよ」
「さくらもー!」
雪絵さんとさくらさんが手を挙げてくれました。仲良しのおふたりはいつも一緒におられます。
「僕、先生に現状を伝えてきます⋯⋯」
一心さんが席を立って教室を出て行こうとされると、その肩を公さんががしりと掴みました。小さな一心さんは公さんに隠れてしまいます。
「一緒に行こうぜ!いっちゃん!」
「公くんが行くとややこしくなるから止めて!」
「しゃあねぇなぁ、俺達も行こうぜ、吹雪」
「もう、任せておけばいいのに⋯⋯」
吹雪さんと梓さんも、しぶしぶ席を立ち上がりました。休み時間はいつもカードゲームをされているのに、申し訳なく感じてしまいます。
「私もお手伝いしますわぁ」
本来、獣人とは相容れないはずの高貴なエルフさんも、この世界では平等に接してくれます。エフィネさんはうふふと美しく微笑んで、ポケットから小さな本を取り出しました。
「私が使っていた図鑑です、良ければどうぞ」
「牛肉の部位の図鑑を渡されてどうしろと?」
「失礼な。豚肉と鶏肉も載っていますわよ!」
グルーさんはそれ以上何も言わず、小さな本をエフィネさんへ押し戻しました。
えおのちゃんは授業の最後の方から教科書を持ったままずっと眠っています。あ、今ずり下がって額を打ちました。慌ててキョロキョロしているえおのちゃんがとても可愛らしいです。
「みなさん、すみません⋯⋯」
「困っているクラスメイトを助けるのは、中3部のモットーだ。気にするな」
「悪魔の言う台詞じゃない」
グルーさんと真生さんは顔を合わせてくくくっと笑いました。ふたりとも仲良しです。
お友達と言うものだそうです。私もいつかお友達になれるのでしょうか⋯⋯
ふと思って、慌てて違うと思い直しました。
私は、この星の神様の命を奪いに来たのです。
みなさんの平穏を壊しに来たのです。今はもうその計画に加担しようとは思いませんが、実際、この星へ『白百合の純潔』を招き入れたのは私なのです。
追跡魔法は既に解除していますが、柚木さんの住処は『白百合の純潔』に把握されています。
いつ襲われてもおかしくない状況で、きっと、怖い思いをしているに違いありません。
あんなに可憐な方なのに。きっと、《ラクリエーレ》を退けたのも他の方なのでしょう。
《ラクリエーレ》は最上魔族です。並大抵の女性が太刀打ち出来る相手ではありません。
今だって、不安に押し潰されそうになっているはずです。
★★
「⋯⋯!今バカにされてる気がする!」
「そんな事よりこの鶏の群れどうにかして」
黛はすごく嫌そうな顔をして鶏を摘み上げた。
バサバサと羽ばたくせいで書類が飛び散っている。迷惑極まりない。しかも何でB地区長室に来るのこの子は。
鶏の群れに囲まれた柚木は、頭にひよこを乗せてうーんと唸りながら腕を組む。
「目覚まし時計として飼うのはどうだろう⋯」
「目覚まし時計よりは唐揚げがいいなぁ」
黛が言うと、柚木は静かに首を振った。
「木戸。ちょっと何羽か連れて帰って」
「えっ、俺ん家に?」
「今住んでないならいいかなと思って⋯⋯」
「先輩。いい子だから元の場所に帰しましょうね」
鳥派がなんか悲しそうにしてるが、鶏はいらん。
仕方なくふたりで養鶏場まで返しに行った。話を聞くに柚木を元気付けに勝手に鶏が徒党を組んで脱走したらしい。
いい子だなーと褒める柚木がアホ可愛くて木戸は何も言えなかった。
★★
「―――うちの保護者代理が仕事してない波動を感じる」
「夏椎は何の能力開花させちゃったの?」
教科書のひらがな打ちをしながら急に顔を上げた夏椎さんは、難しい事を言ってまた作業に戻りました。
翔真さんが不思議そうな顔をしています。それにしても、みなさん総出で私の教科書を開いてくれてとっても申し訳ないです。
私は、先生が幼稚園という学び舎から持ってきた絵本と言う教科書を読んでいました。
隣でエフィネさんがひらがなを教えてくれます。声に出して読むと習得が早いと言うので、声に出しますが詰まってしまってなかなかスムーズに読めません。
「難しいです⋯⋯」
「アリアスちゃんの世界はどんな言語なの?」
真生さんに問われて、私は言葉に詰まりました。
とても言いにくい理由で、私は教育を受けさせて貰えませんでした。獣に文化は必要ないと、第2お姉様の冷たい声が脳裏に響きます。
「⋯⋯えっと、私はあまり頭が良くないのです。だから、読み書きは苦手で⋯すみません」
星が違えば、文化が違います。
真生さんも、グルーさんも、翔真さんも、同じ獣型の人なのにとても聡明です。
私の星では、獣人は使用人や奴隷として使役されるのが常でした。私のお母さんも、見目を買われて夜伽の相手をしていた一介の使用人です。
「アリアス、物事の習得スピードは人それぞれだ。そんなに自分を貶める必要はない」
大きな手で器用に鉛筆を持ちながら、グルーさんは私の瞳を覗きました。
黒目がちな瞳が、真っ白な私を映します。
「俺達がフォローするから、ゆっくり進めばいい」
「グルーさん⋯⋯」
「流石クラス委員長」
「ほんと見た目以外はイケメンだよね、グルーは」
「お囃子するならもう少し丁寧にしろ、妖怪達」
はぁーい、と梓さんと公さんが同時に返事をしました。
この方々は、とても不思議です。
言い合いをしていたかと思えば笑っていて、呆れて、ひとりが何かをし始めれば周りが自然と同調して協力体制に代わります。
じっと見ていると、夏椎さんが顔を上げて困ったように微笑みました。
私は、監視されている身なのに。こんなに優しくされてもいいのでしょうか。
今この間にも、誰かが犠牲になったりしていないのでしょうか。
今更。今更です。私は何も知らなかった。侵略した先に住んでいる誰かがいることも。こうして、穏やかに暮らしていた誰かの命を軽々しく奪える恐ろしい悪魔に加担していたことも。
加害しようとした人達に庇護されのうのうと生かされている私はなんて愚かなのでしょうか。
この優しい人達に、責められないのが怖い。
この優しい人達に、責められるのが怖い。
穏やかな瞳が色を失くすと思うだけで、身体の芯が冷えるような感覚はなんと言い表せれば良いのでしょうか。
授業が終わって、お帰りのご挨拶をする頃になると翔真さんの尻尾が左右に揺れ始めます。
「今日は何制作するの!?」
「まだ井戸が終わんないのよ」
真生さんと翔真さんは話しながら教室を出て行きました。文化祭でこのクラスが使用する教室が違うためです。
「アリアス、行きましょうか」
雪絵さんから声をかけられました。
雪絵さんはピリッとしている方ですが、とてもお優しいです。私は慌てて立ち上がりました。
「じゃあアリアスは借りるわね、夏椎」
「裁縫係手伝えなくてすみません⋯⋯」
「いいわよ。何かあったら連絡するわ」
夏椎さんは、私のことは異世界から保護された子どもだとクラスメイトに話していると聞いています。
そして、良く分からない組織に狙われているのだと。半分正解で、半分嘘です。私はその組織に加担していたのですから。
「夏椎くんは分かってないねぇ」
雪絵さんと並んで歩くさくらさんが、いっしっしーと声に出して笑っています。
「女の子が集まる楽しさと言うものを理解していないんだから」
さくらさんが家庭科室のドアを開けると、円状にミシンが並べられ、その中央にティーポットとお菓子が山積みにされていました。
毎日、ここで女子会なるものが開催されています。先に着いていたエフィネさんとえおのちゃんが私達に手を振りました。
「先始めてますわよ」
「エフィネは誰の衣装作ってるんだっけ?」
「グルーさんですわ!」
これは何の衣装でしょうか。
襟元がきんきらきんです。下の服は白いです。そして、サイズがとても大きい。
「グルーに西洋風王子様とは⋯⋯分かってるわね」
「グルーさんが一番イケメンですものね」
「あれでもう少し人型に近ければねぇ」
やれやれと雪絵さんはミシンの前に腰を下ろしました。
私はミシンを使えないので、えおのちゃんと一緒に小物製作です。昨日は花飾りを作ったので、今日は腰ベルトの装飾をすると聞いています。
「雪絵ちゃんは男らしい人が好きだもんねぇ」
さくらさんがミシンを動かしながら器用にお菓子を食べています。
「私の理想は頼りになる夫と貞淑な妻なのよ!」
雪絵さんも布を選びながら、それに答えました。
「男は逞しいのがいいのよ!はぁ、あの赤くて大きな人が翔真の知り合いだったらなぁ」
「残念だったねぇ」
「幼なじみどもはひょろひょろとした男ばっかりだし⋯⋯。何で私が一番逞しいのよ!」
ミシンがガコガコと変な音を立てて揺れています。
「理想と現実は違うよねぇ」
「そういうさくらはどうなのよ」
「さくらは雪絵ちゃんが好きだもーん」
ガコッとミシンが止まりました。
「⋯⋯そう」
雪絵さん、嬉しそうです。お顔が真っ赤です。
うふふと隣のエフィネさんも嬉しそうです。
「わ、笑ってるけど、エフィネはどうなのよ」
「私は色気より食い気ですわぁ」
「あぁそう⋯⋯」
雪絵さんは次に私達の方を向きました。
えおのちゃんが面倒臭そうな顔をしています。
「えおのは⋯⋯」
「私は修行中の身なのでそれどころじゃない」
「でも公と仲いいじゃない」
えおのちゃんは今度は迷惑そうな顔をしました。
「あれは私の反応を面白がってるだけ。好意ではない」
「そうかしら」
「大体、学校は学びに来るところ。男女の仲を深めるための場所じゃない」
「頭固い⋯⋯」
雪絵さんは呟きながらミシンを動かします。
そして、ぱっと顔を上げました。
「そうだわ!来たばかりのアリアスはどう思う?」
「は、はい」
キラキラとした瞳で見つめられ、思わず肩が跳ねてしまいました。
どう、とは。好ましい男性がいるかどうかの話でしょうか。
お城にいたときは、お姉様と使用人の方は女の人しかおられませんでした。お父様には一度会ったっきりで、それ以降も会えていません。『白百合の純潔』にも女の人だけが所属していました。
そもそも、私は純潔を守らなければならない『白い血』の持ち主です。安易に男の人と関わるべきではないと『白百合の純潔』で教えられていました。
「私は、⋯⋯分かりません」
有効に使える魔法があるのなら、それを捨ててしまうのは浅はかなことです。
答える私に、雪絵さんはそう、と呟きました。ガッカリさせてしまったでしょうか。せっかく、恋の話で盛り上がっていらしたのに。
「じゃあこれからね」
さらりとそう言われ、私は驚きました。
これから?
「たくさんの人と関わって、自分の好みを知っていくのよ。アリアス」
雪絵さんは出来上がった服を見て満足そうに頷きました。
これは、雪絵さんのお衣装です。雪のように真っ白なワンピース。
「見て!初めてにしては上出来じゃない?」
「ここ、ほつれてるよ」
「くぅっ!やっぱり私に細やかな作業は向かないわ⋯」
「貞淑な妻目指してがんばれー」
雪絵さんとさくらさんの楽しそうな笑い声を聴きながら、私は先程の雪絵さんの言葉を反芻します。
これから。
これから、が私にあるのでしょうか。
私は、お姉様に会いたいだけです。
頭の中が真っ白です。何を考えれば良いのか分かりません。
「アリアスちゃん、大丈夫?」
えおのちゃんに問われ、私は何度も頷きました。
まずは、文化祭なるものを乗り越えなければ。犯した罪を償わなければ。お姉様に、会わせて頂かなければ。
「大丈夫ですよ」
私は、お姉様に会うためなら何でもします。
そのためにここへ来たのです。
微笑むと、えおのちゃんは少しだけ心配そうな顔をして、また作業に向き直りました。
私も、作業に戻ります。今やるべき事をやるのです。
ちく、と針が刺さった指から赤い血が流れました。
その血がとても汚いものに見えてしまって、私は思わず目を逸らしました。
下校の鐘が鳴って、私達は教室へ戻ってきました。
そこに、中川さんがいました。ふわふわと微笑んで私とえおのちゃんに手を振ります。
えおのちゃんは眉間に皺を寄せました。可愛いお顔が大変なことになっています。
「⋯⋯何でいるんですか」
「文化祭準備を頑張っている子ども達に、差し入れを持ってって欲しいと頼まれたからー」
中川さんは机にてんこもりの黄色いお菓子を指さして言いました。
あれは何でしょうか。甘い匂いが漂っています。
前に立つ雪絵さんとさくらさんが浮き足立ったように声を弾ませました。
「シュークリームにエッグタルト、それにカステラ⋯⋯あ、ロールケーキもある!」
「とある筋からの差し入れです」
中川さんはぱちんとウインクしました。
「何があったんですか?」
尋ねる夏椎さんに、シュークリームをつまみながら中川さんはふふふと微笑みます。
「何があったか知らないけど、君達の保護者が大量の卵の消費に困ってたよ」
「何故そんな事に⋯⋯」
呆れながらも、夏椎さんはどこか嬉しそうな様子です。
翔真さんは両手に持ったお菓子をもりもり食べながら、ニコニコと微笑みました。
「今日はオムライスかなぁ」
「いいなぁー、オムライス」
「もうね!他所でご飯食べれなくなるからね!」
翔真さんが真生さんに力説しています。私は見たことのない食べ物に戸惑っていましたが、えおのちゃんにひとつ手渡されてそっと口に含んでみました。
しゅわりと口の中で甘味が広がって、すぐにほどけていってしまいました。
「⋯⋯!」
「中川さんの差し入れお菓子はいつも美味しいです」
「だよね!」
中川さんは微笑みながら、私に柔らかい岩のような形のお菓子を手渡してくれました。
これは、なんでしょう。食べてみると中からとろけるクリームが出てきて慌ててしまいます。
口の周りがクリームだらけになってしまいました。オロオロしていると、夏椎さんがハンカチを渡してくれます。
「小さな子どもみたいですね」
ふふっと笑われて、恥ずかしいやら困ったやら感情が定まりません。
なんだか顔が熱いです。ハンカチをもらって押さえながら頑張って食べ切ります。これ、すごく好きです。ほぅっと息を零していると、えおのちゃんがどこか安心したように私を見ていました。
「それ、シュークリームって言うんですよ」
「しゅうくりぃむ」
「中川さん、いくつか持って帰ってもいいですか?」
えおのちゃんがシュークリームを指さすと、中川さんは「じゃーん」と言いながらお菓子の隙間から大きな紙袋を出してきました。
「そう言うと思って紙袋もらってきた!」
「用意周到ですね」
「天使族の大食らいを舐めてはいけません」
お菓子を食べながらウキウキで紙袋にお菓子を詰めていくおふたりは、姉妹のように見えます。
「えおのちゃんも、えおのちゃんのお姉ちゃんもめっちゃ食うね⋯⋯」
公さんがぽつりと呟きました。私も初めて見た時は驚きましたが、数日経ってすっかり慣れていました。やっぱりおふたりとも他所から見ても良く食べる方なのですね。
「この人は姉ではありません。私の師匠です」
「みんなも持って帰る?いらないなら食べちゃうけど」
「中川さん、節度を守って下さい!」
夏椎さんが中川さんにしがみつきました。
その間に、すかさず翔真さんが紙袋にお菓子を詰めていきます。翔真さんが動くと、真生さんも公さんも動き始めました。
あれよあれよという間にお菓子はなくなってしまい、中川さんはぷーと頬を膨らませます。
「いや、なんですかその顔」
「えおの、今日は帰らないからアリアスちゃんをよろしくね」
「絶対晩ご飯食べに来る気だこの人!」
えへへと中川さんは可愛らしい笑顔を浮かべました。そのまま夏椎さんにグイグイ押されて教室から出ていきます。
「みんな、また明日ねー!」
翔真さんと晃さんも夏椎さんの後に続きます。他の皆さんも、帰る準備を始めました。
「帰りのおやつにしよーっと」
「治郎丸様にバレないようにね」
公さんと雪絵さんも続いて教室から出て行きます。
えおのちゃんも紙袋を上げて私を見上げました。
「帰ったらもうひとつ食べましょう」
「は、はい」
「まずは目の前の事からですよ、アリアスちゃん」
えおのちゃんは鞄を持って薄く微笑みました。
「文化祭、頑張りましょう」
「⋯⋯はい!」
お姉様のもとへ辿り着くために。お姉様にまた会えたら、私は伝えたい事があるのです。
助けられなくてごめんなさい。
苦しい思いをさせてごめんなさい。
大好きです。大好きなのです。お姉様が幸せでいてくれるなら、私は他に何も望みません。
私も鞄を持って、えおのちゃんの後に続きます。
口の中に残るほんのりとした柔らかな甘味が、私の背中を押してくれるようでした。




